第5章 卜部巴を護りしは

#1 月姫神社、皐月(さつき)

 その日、俺は学校から帰ると、白蛇のつづらを肩に乗せてつきひめ神社じんじゃ境内けいだい手水舎ちょうずやの掃除に精を出していた。


 天然の石をくり抜いた手水ちょうずばちに落ちた枯れ葉や花びらを拾い、こけをたわしでこすり落とす。

 五月上旬とはいえ、日陰はまだ肌寒く、水も冷たい。


「うう、冷たい」


「ナツキ。こういう地道じみちなご奉仕ほうしの積み重ねが、常世とこよへ帰る道につながるんだから頑張るんだよ」


「はい……」


 つづらに励まされつつ、手水鉢の下の玉砂利たまじゃりをバケツに拾い上げ、隙間に挟まっていた枯れ葉をトングで一つずつ取り除いていく。


 枯れ葉の集まったところに、黒くにごった気の吹きだまりがあり、背筋が寒くなった。


 これが『けがれ』であり、たまるとわざわいをもたらし、良くないものを呼び寄せるようになる。神社は常に清浄せいじょうでなければならないのだ。


「遅いなぁ、まだ時間がかかっているのか」


 手水舎の柱に寄りかかったともえが腕を組みつつ、あきれたような声を出した。


「せっかくこの僕が直々じきじき将棋しょうぎの手合わせをしてやろうって言うのに、人をこんなに待たせる奴はいないぞ」


「うるさいな。そう思うなら手伝えよ」


 とは言え、将棋の手合わせを頼んだ覚えは一切なく、いつの間にか俺からお願いしたことになっていた。


 しかも、将棋はこいつの得意分野らしいから、嬉々として俺を打ち負かしてくるに違いない。ちょっと憂鬱ゆううつだ。


「大体なぁ、お前、美月みづきさんが優しいのをいいことに毎日来てるじゃないか。仕事の邪魔じゃまするなら出入り禁止だぞ。あと賽銭さいせんも置いてけ」


「しょうがないでしょ。恵方えほう※《その年の幸せをつかさどとしとくじんのいる方角》がここなんだから。僕は仕方なく来てるの」


 この天邪鬼あまのじゃく、と言おうとした時に、後ろから「すみません」と声をかけられた。

 氏子うじこ風祭かざまつりさんの奥さんだった。


「こんにちは。宿禰すくねさんか千鶴子ちづこさんはいらっしゃるかしら」


「すみません。あいにく末社まっしゃはるまつりに行っておりまして」


「あら、そうなの。うちのお嫁さんに赤ちゃんが生まれてね。お宮参りの予約をしたいのだけど」


「それはおめでとうございます。お宮参りですね。少々お待ちください」


 俺は社務所しゃむしょへ戻り、予定表と鉛筆を持ってきた。

 慣れないながらも予約の受付をしていると、隣で巴がにやけながらこっちを見ている。

 見ていないで手伝えと言いたい。


 風祭さんが帰ると、社務所の奥から巫女装束みこしょうぞく姿の美月さんが顔を出した。


「そろそろ休憩きゅうけいにしませんか」


⛩⛩⛩


 盆にはほうじ茶と、ガラスの皿に盛られた琵琶びわ

 橙色だいだいいろ薄皮うすかわいて口に放り込むと、上品でひかえめな甘さが広がる。


なつくん、ともえくん。お手伝い、有難うございます」


「いえいえ。みーちゃんこそ、毎日学校終わってから家の仕事だから大変だよね」


 巴がにこにこしている。


「おい。お前は何にもしてないだろ」


「してるよ。夏輝くんがサボっていないかの現場監督げんばかんとくをね」


「……」


 琵琶びわを食べた後、待ってましたとばかりに巴との将棋勝負が始まった。


 案の定、めっぽう強い。

 しかも、いやらしいめ方をしては、人の手駒てごま容赦ようしゃなくいで丸裸にしていく。


「夏輝のかく飛車ひしゃはハリボテに過ぎないね。もっと活用かつようしなきゃ」


うるさいから黙ってろよ」


「ふっふっふ、おにより怖い二枚にまい飛車びしゃ


「その飛車ひしゃは元々俺のだ」


「はい。銀に続いて金ももらった」


「ちっ」


「夏輝くーん、ほらほらぁ。王様の周囲にすきま風が吹いてるよぉ」


「……」


 とにかくはしゃいでうるさいので、戦意せんいがれる。


「はい王手」


「何でこいつにここまで蹂躙じゅうりんされなきゃいけないんだ」


 俺はがっくりと肩を落とした。ああ、何という不幸。


「まあまあ」


 美月さんが隣で困ったような笑顔を見せる。つづらも呆れた様子で長い首を振った。


「さあて。将棋の指南しなんも終わったし、帰るとするかな」


 今までのサディスティックな攻めぶりを、指南しなんのたまいやがったよ、こいつは。


 にらみつける俺には目もくれず、巴がうきうきと立ち上がる。


「お前、食べた琵琶びわの分だけ働いていけよ」


「あはは。将棋の指南料しなんりょうだよ。こよみが良ければまた明日来るよ」


「この疫病神やくびょうがみが……」


 片手を上げて去っていく巴だった。


表紙

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