#4 儚(はかな)くも美しく

 その時、美月さんが女のブラウスの袖をそっと引き上げた。


「うっ」


――そのせた青白い腕にひしめいていたのは、ぎょろぎょろとまばたく無数むすうの目だった。


 野次馬達から悲鳴が漏れた。


 俺はすぐさま右手を構え、つづらの神力しんりきを集中させる。いつでもはらえるように。


「この女性の腕に貼りついている目は、百々目鬼どどめきというものです。窃盗せっとうを繰り返すたびに、盗んだ金銭が腕に貼りついて『鳥の目』になったものとも言われています」


 美月さんが静かに告げた。


「私は盗っていないっ! バッグに入れた後は、いつもちゃんと戻している!」


 女が訳の分からないことを叫び、髪を振り乱して暴れた。


「よくもみんなの前ではじをかかせたな!」


 女が店主とサラリーマンを振り払った。支離滅裂しりめつれつな言葉を美月さんにびせながら、つかみかかる。


「きゃっ!」


 俺は迷わず美月さんの前に出て、ぶつかってくる女の衝撃を右肩で受け止めた。


「うっ……痛って……」


 ずしりと来る痛みに、右肩を押さえる。

 勢いよくぶち当たってきた女の体は、骨ばっていてとても痛かった。


なつくん!」


「……大丈夫だよ。俺のことは気にしないで」


 美月さんがすまなさそうに俺に頭を下げると、女の方に向き直った。


「いったん盗んだ品物を、何事もなかったかのように元に戻したとしても、あなたのやった事は消えません。その腕に貼りついてしまった『目』と同じです」


 美月さんの言葉に、女は抵抗するのをやめ、虚無きょむを抱えたようなひとみのまま腕をだらりとらした。


 その腕に貼りついた物の怪が、盗みに対する烙印らくいんだというのならはらう必要はないだろう。


 俺は、神力の宿る右手を静かに下ろした。


⛩⛩⛩


 パトカーが来て、警察官けいさつかんが女を警察けいさつしょ連行れんこうしていった。


なつくん。ごめんなさい、私のせいで」


 見物客が引き上げていく中、づきさんが心配そうに俺のひとみのぞき込んだ。


「もう痛くないから大丈夫」


 万引まんびき女に全力でぶつかられ、本当はまだ少し痛みがあるが、彼女を心配させないように振舞ふるまう。


「そうだ。ネックレスは?」


 側溝そっこうの近くに落ちていたネックレスを拾い上げる。


 空に浮かぶ月のようだったムーンストーンには大きくひびが入り、二つに割れてしまっていた。

 あの美しさは、とてもはかなくてもろいものだったと思い知る。


「ごめん美月さん。つづらの言う通り、あの時俺がすぐに決断けつだんしていればこんな事にはならなかったのに」


「いいんですよ。それよりも、夏輝くんが無事で良かったです。……その方がずっと大事です」


 気遣きづかわしげに俺を見る美月さん。

 その優しさが胸に沁みて来て、有難さとこれ以上心配をかけたくない気持ちの両方が入り混じった。


⛩⛩⛩


「どうもありがとうございました。開店した日からあの女性を毎日見かけていましてね」


 アクセサリーショップの店主が俺達に頭を下げた。


「しかし、特に物がなくなった形跡けいせきがなかったので、見逃みのがしてしまっておりました。まさか、品物をぬすんでは元に戻すことをかえしていたなんて」


「いえ。つかまって良かったです」


「あのネックレスをお礼に差し上げたかったのですが、あいにく一点物いってんものでして。申し訳ございません。代わりに、店の品の中からお好きなものを一つずつ差し上げます。どうぞお選びください」


 店主がそう言ってくれた。


 店の中にはたくさんのアクセサリーや小物が所狭ところせましと並んでいる。

 しかし、あのネックレスをえる逸品いっぴんはなかなか見つからず、俺はこまってしまっていた。


「あ……これ! 可愛かわいいです」


 美月さんがはしゃいだ声を上げる。

 彼女の指さす先には、大口おおぐちを開けた奇妙きみょうなキャラクターのキーホルダーがあった。黄色くて丸っこい、ちょっと間抜まぬけな感じのゆるふわなキャラクター。

 しかも価格も三百円とあまりにもリーズナブルだ。


「美月さん、本当にこれでいいの? ちょっと、いや。かなり微妙びみょうじゃない?」


 あまりにムーンストーンのネックレスとのギャップがありすぎるので、俺は小声で何度も美月さんに確認した。


「これがいいです。可愛いです」


「じゃ、これをください」


「彼氏さんはどれになさいますか? 男性用の小物はあちらの列にありますが」


 彼氏と言われて動揺どうようするが、つづらにまた何か言われそうなので釈明しゃくめいはやめた。

 財布さいふからさつをそっと取り出し、コイントレーに置いた。


「いえ、俺も同じもので。お金はここに置きます」


「お代は要らないですよ」


「いえ、お気持ちはうれしいんですけど。こういう事は自分でお金を出すからこそ、意味があると思うんで」


⛩⛩⛩


 美月さんが変なキーホルダーを手に持って、らしつつ歩く。


「夏輝くん、有難うございます。ふふっ、うれしいです」


「喜んでもらえたなら良かった」


「さて、どこに付けましょうか? あ、ここにしますね」


 美月さんが立ち止まり、変なキーホルダーを大切そうに鞄に付けた。


 俺も、キーホルダーをリュックの奥へ大切にしまい込んだ。


 時々取り出してながめれば、常世に戻ってからも、今日のことを思い出して楽しい気持ちになるに違いない。


──そう言えば俺は、いつかは常世に戻らなければならないのだった。


 最初は帰りたくて仕方しかたがなかったのに、現世ここにいる時間に比例ひれいして、だんだんとじょうが移っていく。


 今だけは、その現実を忘れてしまおうと思った。

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