#9 歌詠み国守の見た景色

 小桜山こざくらやまでの花見はなみ直会なおらいが始まって三十分後。


 千鶴子ちづこさんが持たせてくれた重箱じゅうばこは、見事みごとに空っぽになっていた。

 つづらもお神酒みきを飲んで機嫌きげんが良さそうだ。

 蛇はさけ玉子たまご好物こうぶつらしい。


「お腹もいっぱいになりましたし、みんなで山の上からの景色でも見ませんか」


 緋袴ひばかまひるがえしてやしろの裏手へ歩いてゆくづきさんに、俺達もついて行く。


 社の裏側には、見渡すかぎりの絶景ぜっけいが広がっていた。

 小桜山こざくらやまの頂上から見下ろす下界――輝く太陽の光を受けて、鳳凰ほうおうの街並みがきらきらと光っている。


 城を中心としてほりまちが築かれ、その周囲を取り巻くように一面に田んぼが広がっている。

 田んぼは水が張られ、かがみのように光っている。田植たうえを待つだけの状態だ。

 その奥にはきらめくあおい川が、大きなへびのようにゆったりとうねりながら流れている。


「すごい」


──ああ、何という僥倖ぎょうこう

 まさかこんな絶景ぜっけいに出会えるなんて。


「私からすれば、見慣みなれた当たり前の風景に過ぎないが……あの時、こくしゅも今のお前みたいに喜んでいたな」


 おれが景色に見とれていると、かんおう皇子おうじが言った。


「いや。だってすごいですよ、こんな景色は中々見られない」


「確かに百年後にこの景色が見られなくなるのは悲しいよね」


 つづらが首を上に伸ばした。


「そうかな? こんな景色、珍しくもなんともないね。ああ、田舎は嫌だ嫌だ」


 巴が頭の後ろで腕を組んだ。


「そこな半人前はんにんまえ陰陽師おんみょうじよ。やまから見る景色に何か不満でも?」


「ひえっ……な、何でもございません。絶景ぜっけいかな絶景ぜっけいかな……」


 かんおう皇子おうじにらまれておびえるともえ

 さっきかれたのが、よほどこたえたらしい。

 でも、顔色が戻って良かったと思う。


「あの川はね、まとがわと言って、人々の暮らしを支える大切な水源すいげんなんだよ」


 裕司ゆうじさんが言った。

 俺の住んでいた常世とこよまとがわは、水害の心配こそないが、上流をダムでせき止められ、両岸をコンクリートの防護壁ぼうごへきで覆われて、ここまで水量の豊富ほうふな生き生きとした川ではなかった。

 元は同じような世界だったはずなのに、たどる歴史が違うだけで、ここまで差が出るものかと驚いた。


なつくん。ひなびているかも知れないけど、結構いい所でしょう」


 美月さんが微笑ほほえむ。


「うん。俺の住んでいた常世ばしょは、自然なんてあまりなかったから、すごくうらやましい。ザリガニ釣りとかあこがれるなあ」


「ふっふーん。城の近くにザリガニが釣れる秘密ひみつの場所があるんだぜ」


 巴が得意げな顔をする。


「え、マジで。いいなー、今度連れてってくれよ。俺、本物のザリガニ見たことないんだよ」


「教えない」


「ケチだな。ちょっとぐらい教えてくれたっていいだろ」


「巴くんがこういう言い方をしているってことは、つまり。夏輝くんとザリガニ釣りに行きたいということですね」


「ちょっと、みーちゃん。僕の気持ちを勝手に通訳つうやくしないでくれるかい?」


「うふふ。どうでしょうね」


 美月さんが口に手をあてて笑った。

 幼馴染おさななじみの二人は、気心が知れているようでちょっとうらやましい。


 もうしばらくここにいて、同じ時間を過ごしたら、俺もみんなとこんな風に仲良くなれるんだろうか。

 そう思ったら、もう少しの間、現世ここにいてもいい、そんな気がした。


「あら? なつくんとともえくんとの間に、ご縁の糸が見えますね」


 美月さんが目を丸くして、俺と巴を代わる代わる見つめる。

 俺からすると何も見えないのだが、つきひめ神社じんじゃ巫女みこ様には、どうやらそういうものも一部いちぶえてしまうようだ。


「俺と巴が?」


「みーちゃん、悪い冗談はよしてよ」


 美月さんに詰め寄る俺と巴。


「はい。深く強い結びつきです。糸の太さで言うと、恋人や親友ぐらいでしょうか。でも、それだけにとどまらないような。不思議ですね」


「有り得ない話じゃないよ。もしかすると、二人のご先祖せんぞさまあたりがつながっているかも知れないね」


 裕司さんもうなずく。


「どうせえんの糸で結ばれるなら、俺は可愛かわいい女子の方がうれし……」


 巴が赤面しながら髪をいじりつつ、俺から目をらした。


「と、巴。何顔を赤らめてるんだよ! 誤解を招くから! そこはすかさず否定しろよ!」


 俺が必死になってさわいでいると、かんおう皇子おうじがおかしくてたまらないと言った様子で笑い出した。


「人とはまことに、見ていてきぬ存在だな」


 赤い水干すいかんかたそでひるがえし、舞うように金色のおうぎを振りかざす。


「さて時間だ。お前達のお陰で楽しかったぞ。いずれまた会おう」


 突然、冠桜皇子が桜の花びらに変わり、風に吹かれ山の下へと飛んで行く。

 後には、辺り一面のさくら吹雪ふぶき


「消えた……」


「冠桜皇子様はこの山の守り神でもあるんだけど、献花けんかさいが終わったので、田の神様になられたんだよ。稲刈いねかりが終わったらまた山の神に戻るんだ」


 裕司さんが微笑んだ。


「そうなんですか」


「うん。神様は、姿を変えて自然の中を循環じゅんかんされるんだよ」


 後に残されていたのは、一振ひとふりの見事な花の枝。思わず手に取り、太陽たいように透かす。


「ナツキ。まさか、それを持って帰るつもり?」


 つづらが聞いた。


「うん。確か、木って挿し木で増やせるものもあるんじゃなかったっけ。ご神木しんぼくはここから動かせなくても、枝だけ別の場所に動かせないかな、と思って。百年経っても、冠桜皇子が別の場所で生き続けられるように」


「あら。それはいい案ですね」


 美月さんが手をぽんと打った。


「それならば、この枝は桜町神社でまつらせていただきますよ」


 裕司さんがおだやかに微笑ほほえんだ。


「それと、できるならにぎやかな場所にお願いできますか。冠桜皇子がさびしくないように」


「もちろん。うちの神社は町の中にあるし、境内の桜たちも、冠桜皇子様を歓迎するだろうと思う。これからはお一人ではないはずだよ」


 国守・歌部うたべのくずがたった一人の友人だったという冠桜皇子にとって、小桜山での暮らしはさぞかし孤独なものだっただろう。


 しかしその寂しさも、これからは少し紛れるのではないだろうか。


 そうだったらいいな、と心から願う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る