#7 残り百年の景色

 俺が躊躇ちゅうちょしていた、その時だった。


「私があの木に登ります。ともえくんの命には代えられません」


 づきさんがそでをまくり、白いひも器用きように結んでたすきけにする。


「美月さんが? 巫女みこ装束しょうぞくで?」


「だいじょうぶです。時間ももうありませんし、覚悟かくごを決めて参りたいと思います」


「でも」


 つづらが言った。


「ナツキ。ミヅキは小さい頃からよく木に登って遊んでいた。だから、ミヅキを信じて任せるんだ」


「わ、分かったよ」


 美月さんがさくらの大樹を手でそっとで、樹の上を一瞥いちべつした。その横顔よこがおに、迷いはなかった。


⛩⛩⛩


「はじめ」


 俺のけ声で、二人が木の両側からあしをかけて登っていく。

 太いえださぐり、つかんでは体重をうまく移動させて気に登っていく美月さん。


 心配だが、今は二人を見守るしかない。


 早さは五分ごぶ五分ごぶだ。

 いや、少しずつだが相手がリードしはじめている。


 てっぺんの一枝をめぐって、二人が手を伸ばしポジションをあらそう。

 憑きものが美月さんの手を振り払うも、あきらめずに手を伸ばす美月さん。


 二人の手が同時に木のてっぺんに触れた。


同着どうちゃく」と言おうとした時、きものが俺の言葉をさえぎった。


「さあ私の勝ちだ。約束通り、この体はもらうぞ」


 憑きものが木のてっぺんでほこった。


「ちょっと待て。同着だっただろ。この勝負しょうぶは引き分けだ」


「いいや、私の勝ちだ。異論いろんは認めぬ」


 暑くもないのに、俺の額からは冷たい汗がじわりとにじみ出た。


──どうしたらいいのだろう。

 憑きものは人に勝ちをゆずるような性格ではない。

 こうなるともう、相手のいなりになるしかないのか?


 卜部うらべしきがみあやつっているところを見た時、面白おもしろい奴だと思った。

 なんとなくクラスで浮いているところも、俺と少し似ていたし。

 口では嫌だと言いながらも今日はこうして来てくれたし、悪い奴じゃないんだ。


 俺は心から卜部うらべともえと友達になりたいと思っていた。

 それなのに卜部を憑きものに渡すことになってしまうとは。


 今何かしなければ、一生後悔することになる。


――俺の中で、それまで張りつめていた糸が切れた。


 たてもたまらず、憑きものを散々罵ののしる。


「この卑怯者ひきょうものめ。さっきからこっちが下手したてに出てりゃ調子ちょうしりやがって。相手にびへつらったり、本当の気持ちが言えない関係なんて、対等たいとうじゃない。そんなの友達と言えるわけない。だからあんたには友達ができねーんだよ!」


 これまでは遠慮えんりょしていたが、もう我慢がまんならない。

 さっきまでの威張いばった調子はどこへやら、俺の言葉に圧倒される様子の憑きもの。


「な、なつくん……」


 樹上じゅじょうの美月さんも、あっけに取られた様子だが、かまわず続ける。


「大体、卜部も卜部だ。こんなヤツに憑かれるなんて、明らかに修行しゅぎょう不足ぶそくだろ。このファッション陰陽師おんみょうじが」


「なに。もう一度言ってみろ」


 きものが叫んだ。

――いや、憑きものじゃない。卜部だ。


 俺は平然と大きな声を出し続けた。


「あー、憑きものに身体に入ってもらえて楽だよなあ。式神に代理出席してもらっているのと同じでさぁ。この後は自分の人生を操縦そうじゅうしてもらえるんだから考えなくてもいいし、生きていてつらいこともみんな憑きものに引き受けてもらえるんだからな。案外自分で望んでかれたんじゃないの?」


「す、好きなこと言いやがって! 君にいったい僕の何が分かると言うんだ!」


 卜部が顔を真っ赤にして叫ぶと、とおった憑きものが体から半分抜け出るのが見えた。


――それは、あざやかな赤い水干すいかん姿の、おかっぱ頭の少年の姿。すかさず、つづらに助力じょりょくを求める。


「つづら、力を貸して。憑きものを引きがすぞ」


「オーケー、ナツキ」


 つづらの全身が白く光り輝き、俺の右手に神力しんりきが集まる。


 つづらの力を込め、木のてっぺんに向けて放つ。強くイメージすると、右手から放たれた白い光がへびのようにうねり、十メートル上にいた憑きものを捕縛ほばくした。


「へえ。憑きものをはらわずにしばるなんて、ナツキも考えたね」


「夏輝くん、すごいです。神力の使い方が前よりも上手くなっています」


「ああ。つかまえるだけなら、つづらの力もあまり消費しょうひしなくてむかなと思ってさ」


 右腕を空に向けて伸ばしたまま、俺は答えた。


 ふくれっつらきものを、つづらの神力しんりきでぐるぐる巻きにしばり、丁重ていちょうに地上まで下ろした。


 あざやかな赤い水干すいかん姿の少年は、年の頃は十歳前後の女の子と見まがうかのような姿をしている。


 その隣では、きものが落ちた卜部うらべともえが、憔悴しょうすいした表情で桜の木に寄りかかって休んでいた。


「あなたと桜の大樹の間にごえんの糸がうっすらと見えますが、もしや山桜やまざくら精霊せいれいさんですか」


 づきさんが聞いた。


「いかにも。この地をまもるうち、神格しんかくを得た。名を、かんおう皇子おうじと言う」


 冠桜皇子はあやしく美しい笑みを浮かべた。

 俺は疑問ぎもんに思っていたことをたずねる。


「どうして人を困らせるような真似をしたんだ。そんなに相手をしてほしかったのか?」


「ふん。自分の存在そんざいが消えてしまうのが、あまりにもこわくてさびしくて。それで誰かを困らせてやろうと思った」


「存在が消える? どういう意味だ」


「その昔私は、この木を植えたこくしゅと、この鳳凰ほうおうの地をまもることを約束したのだ。歌をむことにひいでたうるわしい男だった。私達桜の木を見ては『美しい』と言い、たくさんの歌を詠んでくれた」


歌部うたべのくず、ですね」


 美月さんが言った。郷土の国守であり、歌人かじんである歌部真葛は俺も知っている。


 冠桜皇子の心にある風雅ふうがな男の映像えいぞうが、俺の中に流れてくる。

 この山で、冠桜皇子と歌詠うたよみの国守が心の交流を深めている姿がありありと見えた。


「しかし、国守が死んで時が流れ、気づいたのだ。あと百年もすればこの山の植生しょくせいががらりと変わり、周囲の名もなき木の方が高く伸びて、我々桜をおおいつくしてしまうことに」


 周囲を見渡すと、華やかに咲き誇る桜の隙間に、まだ葉芽ようがを固く閉じたままの名も知らぬ樹々がしっかりと根を下ろし眠っていた。


 確かに、この樹々がいずれ成長し、自分達よりも勢いを増していくことは、冠桜皇子達にとって大きな脅威きょういに違いなかった。


「日の光を浴びられなければ、我々はおとろえ消えるしかない。国守との約束も守れなくなるし、誰からも『美しい』と言われなくなるのは何よりつらいことだ。私達が美しいのは、人から見られてこそのものなのだから」


 それであんなに、構ってもらいたがっていたのか。


「なるほど。この山で満開の桜が見られるのも、あと百年という訳ですか」


 声がして振り返ると、桜色さくらいろかりぎぬ浅黄あさぎ色のはかまを履いた、背の高い若い神職しんしょくが立っていた。

 二十代前半くらいだろうか、眼鏡めがねをかけた端正たんせいな顔立ちに穏やかな微笑ほほえみを浮かべている。

 落ち着いていて張りのある、伸びやかな声。


づきさん、つづら様、お待ちしていましたよ。それになつくんとともえくんだね。今日はにぎやかなおまつりになりそうだ」


裕司ゆうじさん。遅刻してしまってすみません」


「大丈夫ですよ。時間ぴったりです」


 神職が懐中かいちゅう時計どけいを取り出してうなずいた。美月さんが頭を下げた後、俺達に紹介してくれた。


桜町さくらまち裕司ゆうじさん。この小桜山神社を管理する、桜町さくらまち神社じんじゃの若宮司さんです」


「どうも」


 俺と卜部うらべも頭を下げた。


「冠桜皇子様。申し訳ありませんが、さすがに樹齢じゅれい千年せんねんを超える桜の大樹を別の場所に移植いしょくすることは難しいですね」


 桜町宮司が眉をひそめた。


口惜くちおしや。やはりべつよりしろを探すとするか」


「駄目だ。他の誰かにくなら、今度は全力であんたをはらう。約束しろ。もう誰の体も奪わないと」


 俺は右手を光らせて、威圧いあつする。


「だいたい、人間に憑いて悪戯いたずらをしたって、山桜が他の木にまれて消えてしまう運命に変わりはないだろ。国守だって悲しむぞ」


「分かった。もう人間に迷惑はかけない」


「悪いがそうしてくれ。何かいい方法を考えるから」


 俺がそう言うと、冠桜皇子が諦めたように笑った。


「ふん。誰が人間の言うことに期待きたいなどするものか。まあ良いさ。これから待ちに待った神事が始まるのだから」


 冠桜皇子が、赤い水干の両腕を大きく広げ、天をあおぐ。


「私は本来、明るくにぎやかなことが好きなのだ。にぎやかでさわがしいと、じきに自分の命が終わることも忘れてしまえるからなあ」


「では、今日は冠桜皇子さまのために、せいいっぱいまいをご奉仕ほうしさせていただきます」


 美月さんが深々と頭を下げた。

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