#2 氏子デビュー

「ところでなつくんは、はらいを行った後は疲労感ひろうかんがありませんでしたか?」


 美月さんが俺に向き直った。前髪にした桜花のかんざしの、銀色の飾りがさらさらと揺れる。


「つづらの神力しんりきを使っているせいか、あまりひどくはないです」


はらいを行う者には、心身しんしんにいくらかの負担ふたんが生じます。寿命じゅみょうを削られる場合もあります。つづら様の神力を使いすぎると、今度はつづら様の寿命じゅみょうに影響が出ると思われますので、どうか気をつけて」


 その言葉に愕然がくぜんとした。つづらの寿命をけずるようなことだけは絶対にしたくない。


「私の両親は、はらいで命を落としました。夏輝くんを怖がらせるつもりはありませんが、現世ここはそういう場所なんです」


──美月さんにご両親がいない理由は、そういうことだったのか。


 俺が言葉をげないでいると、宿禰すくねさんがフォローを入れてくれた。


「全てを正面しょうめん突破とっぱする必要はない。相手をよく見て交渉する、無視むしする、危険な時は逃げる。祓いの後はしっかりと休んで心身を回復することじゃ」


 つづらが俺のひざの上に乗り、じっと俺を見た。


「ナツキ、安心しなよ。ボクには人間よりははるかに長い寿命があるし、つきひめ神社じんじゃへの信仰しんこうを集めれば、ボクの神力も強まる。それに、祓いを繰り返して成長すれば、ボクの神力の総量そうりょうも増える」


「なるほど。きんトレみたいなものか」


 俺のたとえがおかしかったらしく、宿禰さんもづきさんもくすくすと笑い出した。


「美月さんのご両親の時には、どうしてつづらの力を借りられなかったのかな?」


「いくら人間より寿命が長いと言っても、誰彼だれかれかまわず命を分け与えたら、あっという間にボクは消滅しょうめつして月姫様をまもれなくなる。月姫様がキミにボクの加護かごを与えたのは、例外中の例外なんだよ」


「神様のお考えはよく分からないな」


 宿禰さんが「うむ」と言った瞬間、ふわふわと白くて丸い浮遊ふゆう物体ぶったいがミーミー鳴きながら集まってきた。

 全部で十匹くらい、人魂ひとだまのような形に、小さな目と口がついていて、俺の肩の上にのしかかってこようとする。


「何だこいつら!」


「月姫神社の居候いそうろうもの白魂しらたまだよ」


「居候物の怪?」


「ナツキと一緒だよ」


「この白いふわふわと俺が同じ立場?」


──複雑な心境だ。


「あやかしのたぐいが、清浄せいじょうなる神域しんいきに入ってくるなと何度も言っておろうっ! はらっても祓っても……」


 宿禰さんが大幣おおぬさをばさばさと振って、まるで親のかたきとでも言わんばかりに白魂達を追い払おうとする。


 ミーミー鳴いて美月さんの後ろに隠れる白魂達。


「おじいちゃん、やめてください。この子達は何も悪い事はしていないんです」


 美月さんが白魂達をつつくと、ミーと鳴いてどこかへ飛んで行った。


「美月や。ぬいぐるみを被ったものだまされてかれても、わしゃ知らんぞ。あやつらの中には知能ちのうが高く狡猾こうかつな者もおるゆえ、本性ほんしょうが分からんうちは、気軽に心を許してはならん。少しは巫女みことしての自覚をじゃな……」


 宿禰さんのお説教に、しょんぼりとうなだれる美月さん。


「そう言えば、ここは神社なのにどうしてこういう奴らが出入りできるんですか。鳥居とりいの中って基本的に聖域せいいきだと思うんですけど。昨日は忌津いみつくらのかみも侵入してきましたし」


 ふといてきた素朴そぼく疑問ぎもんを口にすると、宿禰さんがぎょっとした顔をしてゴホンゴホンとき込んだ。


「まことに言いにくい話じゃが、日彦ひのひこさまが出て行ってしまわれてからというもの、つきひめ神社じんじゃは力が落ちた」


「そうなんですか」


「うむ。今も変わらず信仰しんこうしてくださる地域の方々──氏子うじこはいるが、年々数が減っている。信仰しんこうする者が少なくなれば、ご祭神さいじんの力も弱まる。それに、鳥居とりい注連縄しめなわで張った結界けっかいも時間が経てばもろくなり、完全なものではない」


 美月さんもうつむいた。


「今は家族と氏子さんだけで月姫神社をようやく維持いじしている現状なのです。建物も老朽化ろうきゅうかして、修繕しゅうぜんが必要な所もありますし」


 俺を助けてくれた蓬莱家の皆さんのために、何か恩返しがしたいと俺は思った。


「俺にも何かお手伝いさせてください」


なつくん。手伝ってくださるのは嬉しいが、約束してくだされ。きみとつづら様のお命を大切にし、くれぐれも無理はしないように」


 宿禰さんがはしら時計どけいを見ながら立ち上がった。


「さて、そろそろ春祭りの片づけの時間じゃな」


「俺も行きます」


 桜の花びらを運ぶ風の冷たさに身震みぶるいしつつ境内に出ると、宿禰すくねさんと境内けいだいに出ると、はるまつりの片づけに当たっているおじさん達──氏子うじこさんが何人かいた。


 氏子さん達の法被はっぴには、背中に月のしんもんえりには「つきひめ神社じんじゃ」の文字が入っている。


「今日も朝早くから有難うございます。下宿生の瀬戸せとなつ君です。ご指導しどうのほどよろしくお願いします」


 宿禰すくねさんに続き、よろしくお願いしますと頭を下げる。


「夏輝くん。氏子うじこ総代そうだいさんと、氏子の風祭かざまつりさん、林崎はやしざきさん、づめさん、山根やまねさんじゃ」


──え? いま、なんて?


 一度にさらっと言われたが、覚えられない。おじさん達が皆同じになって見える。


「昨日の春祭りで忌津闇神いみつくらのかみを退治してた子か。いやぁ、すらっとしていて、二枚目だねぇ」


 丸顔のづめさんがにこにこしながら言った。愛想あいそうの良い感じの人だ。


 頭をかきながら恐縮していると、総代さんに物凄い形相ぎょうそうにらまれた。


「今時の子は、我慢強さがない子も多いと聞いているが、君はどうかね」


 疑うような目。年の頃は還暦かんれきくらいか、筋肉のついたがっちりとした体型で、眼光が鋭く気難きむずかしそうだ。


 上手うまくやらなきゃ、と俺は身構みがまえた。

 氏子さんは五人で、氏子うじこ総代そうだいが作業全般を仕切る形だ。


「おおい、皆さん。提灯ちょうちんを外して、こちらに運んでくれんかね」


「はいよー」


 比田総代の声に、氏子さん達が脚立きゃたつに上りながら器用に提灯を外していく。


 俺も慌てて脚立に乗って提灯の取り外しにかかるが、こちらへ歩いてきた比田総代の目がぎらりと光る。


「違う」


「ひえっ……す、すみません」


「先に下の針金から外さないと御神ごしんとうが落ちてしまうだろう。ちゃんと考えなさい」


 総代さんの有無うむを言わせぬ迫力はくりょくに気おされて、脚立きゃたつの上でフリーズする俺。

 何か質問しつもんしただけでしかられそうな雰囲気ふんいきだ。


 氏子うじこ全員で外し終わった提灯ちょうちんたたんだ後は、幟旗のぼりばたの片付けだ。

 これも総代さんから「違う」とダメ出しを連続で受けながらなんとか片付けた。早くも悪いサイクルに入ってしまった気がする。


 ようやく休憩きゅうけいに入る。


「疲れた……」


 氏子さん達は社務所でにぎやかにしゃべっているが、の中に入っていけない俺は、境内の手水舎ちょうずやの近くで一人ぽつんと休憩していた。


 桜は満開だというのに、空は銀色の冷たいくもり空だ。


「ナツキ、大丈夫? 顔色が悪いよ」


 つづらが服の中から顔を出した。


 見上げる空には雲が垂れこめていて、常世はおろか将来の見通みとおしすら見えなかった。


「帰りたい……」


──でも、このまま常世に帰れなかったとしたら?


 急に焦燥感しょうそうかんが襲ってくる。


 神社をぐるりと囲む玉垣たまがきの上に、猫くらいの大きさの黒い玉が現れた。

 目をらすと、ぼこっと音がして分裂した。

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