新人調査員によるレポート
敬愛する先生へ。
調査員マルコ・デ・ヤマノウチがご報告申し上げます。
僕は今、遭難しています。
でも安心してください。
生命の危険はありません。
当面ないと言うのが正確かもしれないんですけど。
とにかく、遭難はしていますが落ち着いた状況です。
時間はたっぷりありますので、それでレポートを書くことにしたんです。
砕け過ぎた言葉で書いているのはわかっています。
言い訳、説明をさせてください。
ふたつ理由があり、正しい敬語で綴る余裕がないからと、もうひとつはかのアム博士が「まずは飾らず思ったまま、口語で記述すること。最初から論文にするための良い文章を書こうと構えてしまうと、本来あなたがフィールドで感じていたことは専門用語のフィルターで覆い隠されて、後から読んだ時に見えなくなってしまう。というか、そもそも船酔いしながら理性的な文章を書くの無理だから」という有用なアドバイスをくださったからです。
そのため、これは僕のメモ書きでもあります。
ご容赦ください。
はじめに遭難に至る経緯を書きます。
僕の調査地であるアルマナイマは、謳い文句の通り「海と龍の星」でした。
国際宇宙港以外の建築物はなく、上を向けば広く青みの強い空、前を向けばたいてい翡翠色のラグーンか、深い青を湛えた大海原が見えます。
推定によればこの星の九割以上が海だそうです。
僕の体感からも比率は正しいと思います。
それで、ご存知だとは思いますが、僕はその果てしない海の上をカヌーで渡るセムタム(ヒト型知性体)の研究をテーマとして、調査派遣してもらっています。
調査はセムタム族の参与観察例が少ないことから、フィールドワークが望ましいと聞いていました。
幸運にも、空港島の浜辺で知り合ったセムタム男性トコマ(以下Tと記す)のカヌーに同乗させてもらい、セムタム族の生活をダイレクトに観察することができています。
Tは十代後半の若者ですが、成人してから(※セムタム族においては年齢ではなく技量の到達度で成人と認められるか否かを推し量ります)もう五年は経っており、その五年のうちに龍を仕留めたこともあると言いますから、大したものです。
僕とTは九十日ほどをかけて島々を巡りました。
話に聞いていた通り、セムタム族の人々は定住生活を好まず、カヌーひとつで放浪生活をしています。
島々を巡る行為は僕にとっては観光や商売を意識させますが、Tにとっては日常生活でした。
彼の淡々とした生活は、僕の大冒険です。
それについては空港島へ帰還してから改めてレポートします。
もうノートが三冊目になったっんですよ。
早くお伝えしたいことばかりです。
Tはこちらの文明文化にも興味があり、僕たちは好奇心の強さという共通点を要に意気投合しました。
僕のセムタム語は拙く、アム博士からは海でのフィールドワークは時期尚早なのではないかと心配いただきましたが、日常会話レベルなら問題なくこなせるようになりました。
九十日あまりで喧嘩をしたことはありません。
僕がTの日常生活にくどくどと口を差し挟まなかったのが良かったのかもしれません。
それよりも僕は九十日の間、絶え間なく大海原に圧倒されていました。
見渡す限りの水に取り囲まれたことはありますか。
それは飲み水ではなく、落ちれば足もつきません(レジュメには遠泳が趣味と書きましたが金槌です。申し訳ございません。この場をお借りしてお詫び申し上げます)。
そして海の中には肉食動物が多々生息しており、僕たちが迂闊にも奴らの領域に踏み込むことを期待しています。
Tのカヌーの基礎構造にはエンジンもカーボンファイバー製の船体もなく、あるのは風を受ける原始的な帆と龍の骨で組み上がった船体です。
僕は恐ろしくてなりませんでした。
波が船体を打つ絶え間ない音が不安を掻き立てます。
島影もないというのに、どこからか得体の知れない生物の叫びが響いてきます。
洋上で唯一の味方はTだけであり、度胸のある現地の
そのTが死んだのはこのレポートを書いている日時からちょうど二日半前。
夜半のことです。
僕とTは海の上にいました。
夜の海というのはセムタム族にとっても恐ろしいものだそうです。
月や星はステーションで想像するより遥かに明るく夜を照らしてくれますので、航海には支障は出ません。
ただ夜の海と夜の空はセムタムの領域ではなく、死者の領域とされます。
そこに蠢く数多の悪霊たちはいつでも腹を減らしているそうです。
Tは自分の懸念通り悪霊に誘われたのだと思います。
何度思い出しても、Tほどの海上生活者が間違えるような場面ではなかったと感じられるのです。
二日半前、風のない夜でした。
水面を見つめていたTが不意に、サジキ(※食用の魚)の群れがすぐそこを泳いでいる、と言って嬉しそうに銛を構えました。
僕は、夜は殺生はいけないんじゃなかったか、悪霊が出るって言ったろう、と問いかけたのですが、Tはサジキが大好物だったものですからあえてその禁を破ろうとしたのでしょう。
おまけに僕たちは数日間獲物に恵まれておらず、保存食を切り詰めてしのいでいたのです。
僕の重さの分だけ積める食料も減るわけですから、申し訳ないなと思います。
カヌーを見ててくれと言い残して、Tは銛ごと海に向かって跳躍しました。
サジキは大型の魚で、体長二メートルはくだらず、おまけに鱗がすこぶる硬いので、体重をかけて突き刺しにいかないと獲れないのです。
僕はTが描く美しい放物線を惚れ惚れと見ていました。
そのためTの放物線が着水せず、横合いから飛び出してきた大きな口にかっさらわれて、途中で終わってしまったことまで見届けることになりました。
今でも夢に出ます。
冷静になって分析するならば、それは大型生物の口でした。
この星には龍(セムタム語で「ファル」)と呼ばれる大型知性体が生息していることが知られています。
Tがサジキの群れだと思ったのは龍の鱗のきらめきで、奇襲されたと思った龍は咄嗟に反撃をしたのでしょう。
一言も残すことすら出来ずTは消え失せてしまいました。
龍を仕留めた勇者にしては、何と呆気ない死にざまであることか。
波が渦を巻いて押し寄せてきます。
鱗がカヌーの周囲に銀色の円を描いているのです。
Tを飲み込んだ頭部は見えませんでした。
頭を先に泳いでいるはずなので、奇妙なことです。
ならば僕がTを飲み込んだ部位が「口」だと思ったことが誤りなのでしょうか。
銀鱗が生えている本体の輪郭は全く見えません。
アルマナイマ星の夜、空よりも暗いのは海です。
月や星が光を投げかける空は、下手に照明をたくよりも明るく感じられます。
でも海はいけません。
海面のすぐ下からもう、塗りつぶされた黒に見えます。
その海闇より暗い色をした巨大な質量のモノが、海と一体化してしまったかのように、海との境目があやふやなまま泳いでいる。
その巨大な知性体が僕もついでに食うべきか無言で悩んでいる様は、不思議なほど怖くありませんでした。
想像力の許容量を超えてしまい何も感じなくなっていたようです。
ぼんやりしていると、来た時と同じように音も無く銀の円はいなくなっていました。
そこでしばらく波の音を聞いていて、自分が遭難したと理解したのです。
僕にはセムタム族の航海技術なんてありません。
ただ誰かがいる島に辿り着くことを、アルマナイマ星で崇められる三柱の龍神様に祈る事しかできませんでした。
神様に心から祈るなんて初めてのことです。
その夜は船底にへたり込んで、ただ祈ってました。
Tに祈り方を習っておいて良かったと思います。
そうでなければ夜のうちに絶望で発狂したはずです。
龍神様が哀れに思ってくださったのか、夜明けと共に島影が見えました。
風もあつらえむけに島に向かって吹いています。
僕は必死に帆を整え、珊瑚環の切れ目を探しました。
盛り上がった珊瑚を乗り越え、ラグーンに進入できる場所は限られています。
見極められなければ転覆して死ぬでしょう。
目を皿のように見開いてメガネも割れよと集中していた折、もうひとつの幸運の兆しが現れました。
島の浜辺から煙が立っているようなのです。
すなわち誰かセムタムが滞在しているということ。
僕の脳内処理速度が爆速になり、Tのカヌーを売れば空港島まで送ってもらえるのではないか、という計算が弾き出されました。
必死に左右を見渡すと、ラグーンにカヌーが浮かんでいます。
こうなれば、なりふり構ってはいられません。
近づきつつある珊瑚の壁を前に、僕は大声で叫び、飛び跳ね、目と鼻の先にいるはずのセムタムに気づいてもらおうと涙ぐましく努力しました。
すると、浅瀬で泳いでいたセムタムが海面に顔を出し、僕に珊瑚環の低くなっているところを教えてくれたのです。
安っぽくなるので言いたくはないですけど、まさしく奇跡でした。
そのようにして僕は一命を取り留めました。
恩人であるセムタム女性コリノラ(以下Kと記す)は島に住み着いている、珍しい定住生活者です。
老齢のため遠洋航海をする体力がなくなったから引退したということでした。
空港島へ帰れるのではという希望が薄まり落胆しています。
振る舞ってくれたスープはそれでも美味しかったです。
☆
島に来てから一週間が経ちました。
Kによれば、ここは風待ち島と言われているのだそうです。
辺りの風や海流が複雑で、経験値の低いセムタムが迷い込んでくることがよくあるらしい。
僕の中で希望がむくむく膨らみました。
早く誰か迷い込んで来てくれないか。
☆
一人目の迷い人が来ました。
しかし僕の求める助けにはなりませんでした。
そのセムタムは恐怖のあまり気も狂わんばかりになって島に流れ着き、浜にカヌーを泊めてからも体が震えて降りることもできず、Kが特製のスープを飲ませてようやく、ふらつきながら陸に上がってきました。
彼は膝を抱えて木の下でまどろみに落ち、そのまま目覚めませんでした。
僕とKは彼を彼のカヌーに乗せて海葬しました。
その夜になってふと、流れ着いたセムタムの背中に成人の証である
未成年のセムタムは単独航海しません。
奇妙なことです。
☆
二人目の迷い人については書きたくありません。
僕を罵り、あいつは疫病神だから追い出せとKに言い募り、さっさと出て行きました。
☆
島での生活に慣れてきました。
サバイバルの達人になれそうです。
今日はKに鍋の作り方を見せてもらいました。
Kはウガンドットという木の横枝から鉤縄を垂らし、鍋を吊っています。
いつもその下では火が立っていて、雑多な具を入れたスープがとろとろと煮えていました。
僕とKの暗黙の了解で、お腹が空いたらいつでも食べて良いことになっています。
食器は頑丈な木の実を半分に割っただけです。
鍋の六分目よりもスープが少なくなってきたら、海水を雨水で割り、スパイスを加えたものを足します。
具は浅瀬で獲れる魚介類や海藻がメインで、お飾り程度に陸の食材が入ります。
歩いて一周十分もかからないような島なので陸の食材は貴重品であり、Kが豆や根菜を入れてくれた日は素晴らしいご馳走のように思えるのです。
鍋のスープは創業以来継ぎ足し続けた秘伝のたれのような、もはや何が入っているかはわからないけれど、誰にも真似のできない奥深い味になっています。
成分分析にかけても再現できないでしょうね。
今日は質問されたことにKが面白がり、珍しく珊瑚の壁を越えて海へ漕ぎ出していき、大きな魚を釣りました。
Tの好きなサジキで、僕はしんみりとしてKにTの最期を話そうとしましたが、「来てしまうから、それ以上は言うな」と釘を刺されて終わってしまったのでした。
☆
三人目の迷い人は五体満足な女性でした。
有望に見え、Tのカヌーを代金にして空港島へ送って欲しいという僕の望みに最初は乗り気だったのですが、いざラグーンに泊めたカヌーを見ると首を横に振ったのです。
カヌーに不満があるのかと思いました。
Tのカヌーは、確かに他の成人男性が乗るものと比較して小柄で、男二人を乗せるには安定感を欠くものでした。
それでも航海中、僕が不安を覚えたことはありません。
ひとえにもふたえにもTの航海技術というか、センスが優れていたということでしょうね。
Tはカヌーにファンカラコ号と名付けていました。
海からの呼び声という意味です。
ぎりぎりまで設計を攻め切ったファンカラコ号は、その分スピードには秀でていました。
僕がそのように売り込むと、セムタム女性はこちらに手のひらを向けます。
近寄るな、と。
「持ち主は悪い死に方をしたはずだ。私はこのカヌーを欲しない」
項垂れる僕にKが秘蔵の酒を振舞ってくれました。
☆
Kは僕のおばあちゃんのようです。
背筋も全然曲がってないし、僕よりはるかに力は強いし素早いし、おばあちゃん呼ばわりしたら怒られると思いますけど。
僕には立派な両親がいます。
でもふたりは軟体種族だし、僕は養子のうえにヒト型種族なので、両親の親に会っても祖父母とは思えません。
遺伝子上はいるのでしょうが、会ったことないから一緒です。
この島で僕は本当の肉親が出来た気がしています。
Kには内緒ですが。
最近、夜になると
Kの体には隅々まで
僕は想像したら寂しくなって泣いてしまいました。
専門は図像学なのでやっと
言語や図像のデータだけでは味わえないものが現場にはある。
これが本当のフィールドワークなんだなあ。
なおKからは馬鹿笑いされました。
気分が上がったらしく今日は鍋だけでなく貝の蒸し煮も作り、僕にコツを伝授してくれました。
やっぱりおばあちゃんじゃん。
☆
昨夜
Kが
殺
され
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