例え、失っても

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 怪異というのは善悪という物差しでは決して計り難く、それ故に予測がしにくい。


 故に思わぬ状況下で命を拾うことも、落とすことも、頻繁にあり得るのが、怪異捜査官という職業だ。




 谷崎の遺体は、匿名の通報で発見された。



 彼女の帰宅ルートの、その近くにある路地裏で発見された彼女の体の損傷は、比較的に少なかった。


 ……首がないことを、除けば。



 その手に握りしめられた携帯電話と、現場に落ちていた荷物から、この遺体が彼女のものである可能性が浮上した。


 そして、先ほど、鑑定の結果彼女で間違いないと、断定されたのだという。

 さらに、現場から怪異の残穢が検出されていた。


 間違いなく、【怪異の仕業だった】。




 ドッペルゲンガーが殺すのは、あくまでももうひとりの自分を求めた本人だけ。



 遠山の印象が正しければ、谷崎がドッペルゲンガーに殺された可能性は低いだろう。

 ……しかし、それは、遠山の主観であって、断定できないことだ。



 何人かの捜査員が、すでにドッペルゲンガーとの関連を調べている。

 後々、分かることがあるかもしれない。




 遠山にできることは、廻斗と合流して、無事に帰宅し、体を休めること。


 そして、明日の捜査で結果を出すこと。


 特殊警棒の携帯許可と共に、彼にそう厳重に言い聞かせた館は、疲れた体に鞭を打って、部下たちと共に慌ただしく去っていた。




 事実、谷崎の方にはすでに人員が割り当てられている。

 この件に関して、彼がこれ以上関わることはできない。



 すでに人気のなくなったスペースで、伊沢に電話越しの報告を行った遠山は、自身の膝にその拳を強かに打ちつけた。


 じぃんと響く骨への衝撃と後を引く確かな痛み、それを上回る悔しさに、眉をギュッと顰めた。




 怪異捜査官の殉死は珍しいことではない。



 しかし、その痛みに遠山はまるで慣れる気がしなかった。



 同僚であり、事件を共に捜査することは珍しくない。

 しかも、つい先ほどまで、面と向かって言葉を交わしていた彼女が、もう二度と会うことは叶わないのだ。


 それが、考えれば考えるほどに実感を持って遠山の感情を揺さぶった。




「おい」



 俯いていた遠山に向かって、少し離れた位置から声がかかる。

 ようやく用事を済ませたらしい廻斗が、不機嫌そうな顔で自身の弟を見下ろしていた。




「帰るぞ」


 そう言い捨てて、廻斗は遠山の心境にもお構いなしにさっさと歩いていってしまう。

 ……その背中に、谷崎の一件がふと遠山の脳裏によぎった。



「待って、兄さん」



 彼は慌てて荷物をまとめながら、廻斗に声をかける。




「うるさい、お前が遅いんだろ」



「……何かあったら、どうするんだ!! 」




 追いついた遠山が兄の腕を掴む。



 廻斗は、自身の行動を阻害されることも、あまり人に触れられることを好まない。


 だから、文句のひとつでも言いながら、弟の腕を振り払おうとした。

 しかし、遠山の表情が目に入ると、廻斗はすっかりその気を失ってしまった。



 廻斗はわざとらしくため息をつくと、呆れたような表情で問いかける。




「何、……怒ってるの?」




________「……君、何か怒っているのかい? 」________




 これは、潜入した大学の食堂で、遠山の険しい表情に、それを気を遣いながらも指摘した谷崎の言葉と、同じものであった。


 もし、彼女が生きていて、それで今の彼を見たら、丁度こんな表情で、そう言っていたのかもしれない。




「……そうだ」



 遠山は、怒っていた。


 何もできない自分自身に。気まぐれに牙をむく怪異に。

 人の気も知らないで、自分のことですらどうでも良さそうに振る舞うこの兄に。


 ……理不尽にも、死んでしまった彼女自身にも、ちょっぴり。




 それを聞いていた廻斗は、再度、大きなため息をつくと、腕を払った。

 しかし、その歩みは、今度はゆっくりしたものだった。




 捜査にも関わることだ。


 廻斗にも一応、遠山は簡潔に

「谷崎が、恐らく怪異によって、先程亡くなった」

 とだけ、伝えた。



 廻斗の反応は淡々としたものだった。

 ほんの、ほんの一瞬だけ目を見開き、そして「あ、そう」と端的に返事をしただけだった。



 あまりにも静かな帰り道だった。




 けれども、帰宅ルートの半分を過ぎた時、廻斗が珍しく自分から弟に話しかけた。




「お前さ、なんで怪異捜査官になったの」



「……知ってるだろ」


「あの専門家様の影響?

 あぁ……本気で言ってたんだ」




 廻斗も、伊沢に助けれらた人間のひとりだ。

 遠山と同じく自宅で怪異に遭遇し、そしてその怪異を伊沢が退けたという経緯がある。


 それまで遠山は、警察になることにあまり関心はなかったが、この時抱いた憧れは、彼を捜査官の道へ駆り立てていた。


 そのことは、廻斗のように聡い人間であれば、勘づいているものだと、遠山は考えていた。


 だからこそ、改めて聞かれた意味を測りかねていた。




「向いてないって、自分でも分かってたんでしょ」



 廻斗の疑問も、また尤もであった。



 遠山のような真面目で実直なところを求める場所はいくらでもある。

 不器用ではあっても、努力を積み重ねていけば、ちゃんと結果は出せるタイプだ。


 対面に向いていないことも、多種多様の働き方がある今の時代では、さほど問題はない。



 しかし、廻斗から見ても、怪異捜査官という職業は、努力では決して縮まらない、才能がものをいう世界だ。


 憧れだけではやっていけない、下手をすれば次死ぬのは、遠山かもしれない。



 それは決して、脅しでも笑い事でもなかった。




「それにまだ気づいてないわけないほど、馬鹿じゃないでしょ」



 廻斗の意図に、遠山は改めて、自分の中の理由を組み立てる。



 向いていない。


 それは、伊沢にも言われた。

 他の捜査官にも何度もそのように陰口を叩かれた。

 今だって、遠山自身痛いほど、痛感している。


 もっと厳しい言い方をするなら、遠山の無力に殺されるのは、遠山自身だけではないだろう。



 頭では分かっていても、遠山は怪異捜査官を辞めることが、どうしても、どうしてもできなかった。



 それに気がついた時、ずっとずっと思考を覆っていた霧が一気に晴れたような気がした。





「本当の嫌われ者には、なりたくなかったから」




〝自分にとって嫌なことは人にしない

 人にされて嬉しかったことは自分も返す〟




 これは、人から勘違いされやすい経験から、遠山が得た行動の基準である。



 これさえ守れば、他人からなんと言われようと、本当の意味で「嫌われ者」にはならない。



 そう考えてからというものの、このルールは決して忘れることはなかった。



 それは、あの時抱いた憧れも例外ではない。



 ただ、怪異に自分や、それ以上に兄が襲われた時、とても怖くて、辛くて、嫌だった。


 そこを伊沢に助けられた時、ただ色眼鏡もなく自分にまっすぐ手を差し伸べてくれる眩しさが、嬉しかったのだ。



 向いていないのは、分かっていた。

 自己満足なのも、分かっていた。




 けれども、あの時の自分のように苦しむ誰かに、手を差し伸べられたなら。




 誰よりも人に誠実であることを求めていた彼にとって、それが、例えどんなに離れた理想でも、決して諦めることはできないのだ。



「とんだ自己中じゃないか」



 相変わらずの反応だが、決して廻斗は遠山の答えを笑わなかった。


 正反対のふたりだが、根が真面目なのは数少ない共通点だ。

 相手が本気ならば、それを決して笑うことはない人間なのだ。



 その様子に、遠山もまた、廻斗に問いかけた。




「兄さんは、どうして警察になったんだ」


「求められたから」


「求められた?」


「優秀なのも、面倒なんだよ」




 それ以上はあんまり答える気がないらしい。



 遠山も思い返してみたところ、確かに、周囲の人間は、廻斗の未来が父親と同じものだと信じていた気がする。



 その期待に、廻斗は応えざる得なかったのだろうか。




 夏休みの工作に始まり、ちょっとしたバーチャルアシスタントを作成したこともある。


 明らかに興味があったであろうにも関わらず、廻斗が選んだのは違う道だったのは、そういう理由だったのだろうか。




「オレは、わかるよ。

 正直、怪異につけ入れられる人間の気持ちが。


 間違ってると分かっていても、縋りたくなる。

 そうしないと、救われないものも確かにある。


 誰でも、お前のように真っ直ぐなわけではないし、お前もずっとそういられる保障もない」



「それでも、俺は捜査官だ」



 更に、遠山はこう付け加えた。




「アンタに恨まれても、俺はドッペルゲンガーを討伐する」

「俺は、兄さんの家族だから」




 怪異の関わる先に碌な終わりはない。

 やはり怪異は人間には利用できない現象であり、そうした人間たちの末路は嫌というほど目にしてきた。


 一見すると救いに見えても、必ずそこには人間には理解できない裏がある。


 だからこそ、ドッペルゲンガーに限らず、怪異は対処しなくてはならない。

 これは、やはり前提として揺るがない。




 更に、廻斗に関することには、遠山個人の願いが含まれる。


 ……単純に、この兄に死んでほしくないのだ。



 例え、今はどんなに嫌われていても、自分にとって、兄はかけがえのない家族である。


 怪異によって命が失われた身体に縋り付いて泣く人々の姿が、これ以上自分の未来に重なるのは、嫌だ。


 兄がそこにどれだけの救いを見出しても、これが兄にとっては身勝手でしかなくても、遠山は怪異を討伐するだろう。




 そんな遠山を、兄はじっと見て、それから顔を伏せた。



「そーかよ」



 暗がりもあり、視線が合わないのもあって、兄の心情を計ることが一層難しくなってしまう。

 今度こそ、家に着くまでふたりは言葉を交わすことはなかった。




 暗がりの道を、ふたりで並んで歩く。


 昔の脱走劇を思い出した。

 窓から木を伝って、それでどこまでもどこまでも、ふたりで嫌なことから逃げた過去。




 けれど、遠山も、廻斗も、そうはいかなくなったのだ。



 遠山が選んだ道には、自分にできる事を探し続ける義務がある。

 ……谷崎が、していたように。


 理由が見つかった今、もう迷うことはできない。



(絶対に、怪異を討伐する。


 自分にできる、全力で……!)

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