12
(疲れた……)
谷崎が危惧していたのは、署内、厳密にいえば、捜査課の空気であった。
あの後、署に戻った遠山一行は、課内の空気の悪さに(マイペースな約1名を除き)、思わず頭を抱えた。
真面目が取り柄の遠山でさえ、一瞬直帰を願うほどである。
元々相性が良くないことが前提の、捜査同行。
多少の衝突はあるものとして、皆覚悟はしていた。
幸い、捜査中で、人命がかかってるとなると、お互い幾分大人になれるようで、想定していたような凄まじい衝突はなかった。
しかし、目立ったことはなくとも、チクチクと嫌味の応酬のような時間を過ごすということだけでも、心をすり減らすものである。
加えて、今回がドッペルゲンガーの討伐であったことが、さらに精神をすり減らしていた。
ドッペルゲンガーという怪異は、一般人には、一見するとただの人間のように見える。
そのことで、捜査官は様々な気遣いをする必要があった。
しかも、骨を折って行う討伐を、今度は被害者自身に非難されることもあった。
ノアたちの流れは稀で、基本的に被害者たちは死にたがりなのである。
ある討伐班は、今回、襲われていた被害者を助けたところ、被害者にいたく責められてしまったという。
勿論、そう思ってしまうほど、被害者たちが追い込まれてしまっていることは、捜査官たちも理解はしている。
そして、普通ならば「感謝されたくて仕事をしているわけではない」と、割り切ることも出来たのかもしれない。
しかし、怪異捜査官の殆どは、それを割り切ることが出来ない。
これは、特にスカウト組がこの傾向にある。
怪異という存在は、ようやく政府にその存在が認められた、だけである。
一般に、この現象は未だオカルトの存在である。
谷崎のように、家が元々そういうものに理解がある場合はそうでもないが、理解者が身近にいない環境で、怪異に通用する能力を備えていると、悲しいことだが、その人は迫害されやすい。
そういう人間ほど、〝特殊捜査課の怪異捜査官〟という立場に固執しやすい。
自分の能力を求められ、感謝されるような環境は、彼らにとって、初めて真に認められたような気がするのだ。
だからこそ、今回のような事件は割とダメージを受けやすいようである。
それを見越して、本来、ドッペルゲンガー討伐班は適正審査を元に組むのだが、今回は兎に角人手が足りない。
ドッペルゲンガー以外にも、怪異発生に追われて、人を選んではいられないのだ。
(今回は、兎に角タイミングが悪い気がする)
溜まった疲労を、パスケースに挟んだ〝嫁〟のブロマイドを眺めることで癒す。
これで、電車から降りた後も、家まで歩くことが出来そうだ。
『次はまだら公園、まだら公園駅です。
お出口は、右です』
「あと少しで、帰れる……」
電車が停まったのを確認してから、出口をくぐってホームに出る。
入れ違うように、子供が乗り込んだことに、遅い時間にもかかわらず珍しいと、遠山が考える。
「……そういえば、あのくらいの時、兄さんとふたりで家出したな」
遠山の印象として、兄はあの時からツンケンした性格になりつつあったが、兄弟仲は決して悪くなかった。
不満があると、兄の部屋まで伸びる庭の木をつたって、ふたりで、こっそり家から抜け出していた。
こどもだけで電車に乗ったこともある。
先程の子供は、どうやら保護者もいたようなので、家出ではないだろうが。
「……帰ろう」
久しぶりに兄と会話をしたせいだろうか?
変に感傷に浸ってしまったと、遠山はホームを移動しはじめた。
いつのまにか、自分が乗っていた電車も、次の駅へ向かったようで、反対側のホームの様子が良く見えるようになった。
……反対側のホームに居る男性が、なんとなく遠山の目に留まった。
身長が高いせいで、目立つように思ったのかもしれない。
相手は今まで、手元に目線を落としていたが、ちょうど遠山に向くように、顔をあげた。
相手の容貌が、はっきり見える。
「兄さん……!?」
それは、遠山にそっくりであった。
厳密には、遠山の兄、廻斗にそっくりである。
遠山よりも長めの前髪も、やや柔らかい目元も、兄本人としか思えなかった。
急に声を上げた男性ひとりに、周囲は冷たい視線を注ぐ。
しかし、今はそれを気にしている場合ではない。
遠山は、足早に向こうのホームを目指した。
(ひとりで出かけるなんて、何を考えてるんだ?!)
途中で兄に電話をかけてみるが、応答はない。
結局、ホームに着いた頃には、電車は行ってしまった後で、廻斗らしき人間はそこから姿を消していた。
苛立ちを隠せないまま、今度は自宅に電話をかけてみる。
本人だという確信があるが、万が一見間違いの可能性はある。
しかも、あとから注意した時に、不在であった証拠がなければ、いくらでも言い逃れする兄だ。
3コール内に、母親が電話に出た。
『あら、或斗、どうしたの?
帰りがもっと遅くなりそうなの?』
「母さん、急にごめん。
兄さんが今、どこに出かけたか知っているか?」
『え、廻斗?
今は寝てるはずよ、さっき帰ってきて、疲れたからシャワーだけ浴びて寝ちゃったわ』
「え」
……一瞬戸惑う遠山だったが、確信があった為、容易に引き下がれなかった。
「……今、兄さんに代われるだろうか?
いや、寝てるならいいんだが……」
『あら、ちょっと聞いてみるわね』
兄の名前を呼びながら、階段を登るような音が、わずかに拾われて、遠山に伝わる。
なにやら会話をしているような、そんな声が少しの間あって、再び母親が電話に出た。
『廻斗、今眠いから、緊急じゃないなら明日にしてほしいんですって』
「あ、あぁ。
明日でも大丈夫だ。
……兄さん、本当に家にいたんだ」
『そうよ?
今も声かけたら返事が返ってきたし』
「そう。
ありがとう。
俺の方はあと10分で家に着くから……」
電話を切り上げて、遠山は考える。
兄は、家にいた。
母親の言葉に応答したのだから、家にいたのだろう。
では、さっきの兄の姿は、見間違いだろうか。
否、兄と同じ顔で同じ背丈の人間が、そんな何人もいるだろうか……?
では、あれは……?
『僕の〝ニセモノ〟が居る』
遠山は、自分から血の気がひくのを感じた。
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