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(疲れた……)


 谷崎が危惧していたのは、署内、厳密にいえば、捜査課の空気であった。

 あの後、署に戻った遠山一行は、課内の空気の悪さに(マイペースな約1名を除き)、思わず頭を抱えた。


 真面目が取り柄の遠山でさえ、一瞬直帰を願うほどである。




 元々相性が良くないことが前提の、捜査同行。


 多少の衝突はあるものとして、皆覚悟はしていた。



 幸い、捜査中で、人命がかかってるとなると、お互い幾分大人になれるようで、想定していたような凄まじい衝突はなかった。



 しかし、目立ったことはなくとも、チクチクと嫌味の応酬のような時間を過ごすということだけでも、心をすり減らすものである。




 加えて、今回がドッペルゲンガーの討伐であったことが、さらに精神をすり減らしていた。


 ドッペルゲンガーという怪異は、一般人には、一見するとただの人間のように見える。

 そのことで、捜査官は様々な気遣いをする必要があった。


 しかも、骨を折って行う討伐を、今度は被害者自身に非難されることもあった。



 ノアたちの流れは稀で、基本的に被害者たちは死にたがりなのである。



 ある討伐班は、今回、襲われていた被害者を助けたところ、被害者にいたく責められてしまったという。



 勿論、そう思ってしまうほど、被害者たちが追い込まれてしまっていることは、捜査官たちも理解はしている。

 そして、普通ならば「感謝されたくて仕事をしているわけではない」と、割り切ることも出来たのかもしれない。



 しかし、怪異捜査官の殆どは、それを割り切ることが出来ない。

 これは、特にスカウト組がこの傾向にある。



 怪異という存在は、ようやく政府にその存在が認められた、だけである。


 一般に、この現象は未だオカルトの存在である。


 谷崎のように、家が元々そういうものに理解がある場合はそうでもないが、理解者が身近にいない環境で、怪異に通用する能力を備えていると、悲しいことだが、その人は迫害されやすい。



 そういう人間ほど、〝特殊捜査課の怪異捜査官〟という立場に固執しやすい。


 自分の能力を求められ、感謝されるような環境は、彼らにとって、初めて真に認められたような気がするのだ。



 だからこそ、今回のような事件は割とダメージを受けやすいようである。


 それを見越して、本来、ドッペルゲンガー討伐班は適正審査を元に組むのだが、今回は兎に角人手が足りない。


 ドッペルゲンガー以外にも、怪異発生に追われて、人を選んではいられないのだ。




(今回は、兎に角タイミングが悪い気がする)


 溜まった疲労を、パスケースに挟んだ〝嫁〟のブロマイドを眺めることで癒す。

 これで、電車から降りた後も、家まで歩くことが出来そうだ。



『次はまだら公園、まだら公園駅です。

 お出口は、右です』


「あと少しで、帰れる……」



 電車が停まったのを確認してから、出口をくぐってホームに出る。


 入れ違うように、子供が乗り込んだことに、遅い時間にもかかわらず珍しいと、遠山が考える。



「……そういえば、あのくらいの時、兄さんとふたりで家出したな」



 遠山の印象として、兄はあの時からツンケンした性格になりつつあったが、兄弟仲は決して悪くなかった。



 不満があると、兄の部屋まで伸びる庭の木をつたって、ふたりで、こっそり家から抜け出していた。

 こどもだけで電車に乗ったこともある。




 先程の子供は、どうやら保護者もいたようなので、家出ではないだろうが。




「……帰ろう」



 久しぶりに兄と会話をしたせいだろうか?


 変に感傷に浸ってしまったと、遠山はホームを移動しはじめた。



 いつのまにか、自分が乗っていた電車も、次の駅へ向かったようで、反対側のホームの様子が良く見えるようになった。



 ……反対側のホームに居る男性が、なんとなく遠山の目に留まった。


 身長が高いせいで、目立つように思ったのかもしれない。


 相手は今まで、手元に目線を落としていたが、ちょうど遠山に向くように、顔をあげた。



 相手の容貌が、はっきり見える。



「兄さん……!?」



 それは、遠山にそっくりであった。


 厳密には、遠山の兄、廻斗にそっくりである。

 遠山よりも長めの前髪も、やや柔らかい目元も、兄本人としか思えなかった。




 急に声を上げた男性ひとりに、周囲は冷たい視線を注ぐ。

 しかし、今はそれを気にしている場合ではない。


 遠山は、足早に向こうのホームを目指した。



(ひとりで出かけるなんて、何を考えてるんだ?!)



 途中で兄に電話をかけてみるが、応答はない。


 結局、ホームに着いた頃には、電車は行ってしまった後で、廻斗らしき人間はそこから姿を消していた。



 苛立ちを隠せないまま、今度は自宅に電話をかけてみる。


 本人だという確信があるが、万が一見間違いの可能性はある。


 しかも、あとから注意した時に、不在であった証拠がなければ、いくらでも言い逃れする兄だ。



 3コール内に、母親が電話に出た。



『あら、或斗、どうしたの?

 帰りがもっと遅くなりそうなの?』


「母さん、急にごめん。

 兄さんが今、どこに出かけたか知っているか?」


『え、廻斗?


 今は寝てるはずよ、さっき帰ってきて、疲れたからシャワーだけ浴びて寝ちゃったわ』


「え」



 ……一瞬戸惑う遠山だったが、確信があった為、容易に引き下がれなかった。



「……今、兄さんに代われるだろうか?

 いや、寝てるならいいんだが……」


『あら、ちょっと聞いてみるわね』



 兄の名前を呼びながら、階段を登るような音が、わずかに拾われて、遠山に伝わる。


 なにやら会話をしているような、そんな声が少しの間あって、再び母親が電話に出た。



『廻斗、今眠いから、緊急じゃないなら明日にしてほしいんですって』


「あ、あぁ。

 明日でも大丈夫だ。


 ……兄さん、本当に家にいたんだ」


『そうよ?

 今も声かけたら返事が返ってきたし』


「そう。

 ありがとう。



 俺の方はあと10分で家に着くから……」



 電話を切り上げて、遠山は考える。


 兄は、家にいた。

 母親の言葉に応答したのだから、家にいたのだろう。



 では、さっきの兄の姿は、見間違いだろうか。


 否、兄と同じ顔で同じ背丈の人間が、そんな何人もいるだろうか……?



 では、あれは……?



『僕の〝ニセモノ〟が居る』



 遠山は、自分から血の気がひくのを感じた。

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