8

「僕の〝ニセモノ〟が居る」




 軽薄に笑んでいるようにも、心底忌々しいと不機嫌なようにも見える。


 そんな複雑性を、廻斗は、その美しいかんばせいっぱいに表してみせた。



「それが、ドッペルゲンガーかどうかは僕には分からない。

 なんせ、素人なんでね。


 ……ただ、近頃、覚えのない場所で僕の目撃情報が入るようになっていたんだ。


 例えば、先週なんか、睦月の辺りで友達と夜通し遊んでいたことになっていたっけ。

 僕はその時間帯は確かに寝ていた筈なんだけど、ね。



 いやぁ、話を聞いた時は結構ムカついたなぁ。

 万が一そんなニセモノの存在のせいで、僕の評判に傷でもついたら……、と考えるとゾッとしてしまってね」


「その割には、あっさりお猫さん脱いでたッスけどね」



 わざとらしく身震いをして見せた廻斗に、すぐさま伊沢が茶々を入れた。



「だって、意味ないみたいだったからね。


 俺が良い顔しても、アンタはとくに見る目を変える訳でもないようだし。


 訳アリで警察辞めてるアンタに、俺の信用が負ける訳ないし。

 この一件さえ終われば、僕が貴方と関わる予定もありませんしねぇ」



 弟が知る以上に、遠山廻斗という人間は無駄を嫌う性分だ。



 仮に猫かぶりについて、彼がしらばっくれた場合、伊沢は嬉々としてそこを突き続けるだろう。


 そのストレスを考えた結果この態度ならば、兄らしい行動だと、遠山も納得した。


 しかし、それを今伊沢と一緒に弄る気にはなれない。


 どこかおちゃらけた様子のふたりと違い、遠山だけは、真剣な態度を崩さなかった。



 それに気がついたのか、やや鬱陶しそうに弟を見つめると、廻斗は「そろそろ」と、話を戻した。




「最初の方は、僕も怪異だとは思っていなかった。


 夢遊病か、或いはやっかみの狂言か。

 そっちの方で疑っていたのさ。


 まぁ、双子の入れ替わりなんてのはフィクションではよくあるけど、それはあんまり疑ってはいなかったな。


 俺になりすますなんて芸当、この単純馬鹿に出来るとは思えなかったし。




 ただ、結局のところ、僕はそういう疑いを全て捨て去ることになった。




 〝ニセモノ〟を、この目で見てしまったからね」



 少し、声が震えている。


 遠山の目には、兄の顔色が、いつもよりも青白くみえた。


 それが、怯えによるものか。

 もしくは切れかけのために薄暗くなっている電気が原因なのか。


 何故か、遠山にはどうしても判別することが出来なかった。




「5日ほど前かな。


 帰るために外に出た時、明らかに誰かの視線を感じたんだ。



 それがどうにも気味が悪くて、視線の方を確かめてみることにしたのさ。


 視線は、振り返って顔を上げたすぐのところ。

 職場の……2階の窓からだった。


 ぱっと見、何人かと談笑しているようだったんだけど、その中でずっとこっちを見ている奴がいたんだ。



 それは、僕自身の顔だった。



 弟と自分は勿論、他人と自分の区別はつくものさ。


 他人の空似ではあり合えない、なりすましなんてものじゃないと、直感的に理解した。



 向こうも僕が見ていることに気がつくと、窓のブラインドをしめた。


 姿が見えなくなると、今度はこっそり追いかけてきている気がしてね。

 運良く拾えたタクシーですぐに帰宅したんだ。


 それから鉢合わせたことはないけど、目撃情報はまだ聞くよ。


 ……怪異の気配と聞かれて思い当たるのは、それだけだね。




 ちなみに、俺のその匂いとやらで、どんな怪異か特定できたりしないの?」



「それが出来たら楽チンなんスけどね。


 よっぽど感知能力が強ければワンチャンあるかもしれないッスけど。


 少なくともオレには無理だし、出来るような人に心当たりもないッス。


 ただ日常的に関わる捜査官のよりちょい薄いくらいの匂いだから、気になっただけで」


「ふぅん」


「ちなみに、お兄さんは、ドッペルゲンガーが出現する心当たりがあったり?」



 先ほどまで饒舌に答えていた廻斗は、この時、初めて言葉に詰まった。


 決して長い時間ではない、ほんの少しの間。



「さぁね」


 視線をほんの少しだけずらして、歯切れの悪い曖昧な返答をする。




「ただ……。


〝優等生〟というのは、案外疲れるんだよ」



 滅多に、もしかしたら、遠山は、見たことがないかもしれない。


 傲慢で勝ち気な、そんないつもの〝兄〟らしくない、どこかたよりない姿。



 話を聞き終えるまではと我慢していた遠山も、そのショックに、いよいよ口を開いた。



「どうして、そんな大事なことを、黙っていたんだよ……!」



「……言う必要が無かったからだけど?」



 「だから何」と言わんばかりの兄の様子が、遠山には信じられなかった。


 もし、それがなにかしらの怪異ならば、兄は保護対象になる。

 どんな危険につながるか分からない以上、せめて、課は勿論、一緒に行動する遠山たちにも、必ず最初に共有すべき話だ。



 ……そして、それがドッペルゲンガーならば。


 遠山のなかで〝今回の事件に関わる怪異〟だという捜査官としての義務以上に、兄を案じる気持ちが強く表れていた。



 ドッペルゲンガーは、捜査官たちの間でも、【自殺の怪異】と呼ばれる現象だ。


 

 それに廻斗は、心当たりのある素振りを見せた。


 つまり、彼は自死を考える程度に、追い詰められているところがある、ということだ。



 それが、遠山にはショックだった。



 仲は悪い。

 正直、嫌いなところが多い。


 それでも、決してどうでも良いと、大嫌いだと切り捨てることも、出来ない。


 彼にとっては、廻斗という兄は、そういう存在だった。



「アンタだって、怪異の恐ろしさは知ってるだろう?

 もし、もしものことがあったら、どうするつもりだったんだ!?」


「だから、お前に言ってどうすんの?


 俺としては言うまでもないと思ってたくらいだぜ?

 腐っても捜査官なら、何か気づくことがあって自分から聞いてくるかと思ったのに。


 それでも、お前は他人に指摘されるまで、何も勘付かなかったじゃないか。



 ……あぁ、それとも、あれか?

 自分も巻き込まれる可能性があるからキレてるの?

 あぁ、その配慮は欠けてたよ、ごめんねー?」


「そうじゃない!!

 いつもそうやって兄さんは……!」



 だんだんお互いに声を荒げ、不穏な空気になる。




 バンバンバン!!!!!



 突如乱入した騒音に、2人仲良く振り返る。


 伊沢が、いつの間にか引っ張り出したらしいホワイトボードを、まるでドラムのように叩いていた。


 そして、パトカーのサイレン並みの一喝。




「キャットファイトは他所でするッスよ!

 賃貸なんで騒音は厳禁!!!!!」




「「アンタが一番喧しいわ!!」」




 嗚呼、素晴らしきかな。

 ツッコミの文化というものは。



 対面時にあれだけ騒音被害を出したこの人に、言われたくないあまり、兄弟うっかり仲良く口を揃えてしまった。


 その気まずさに気が削がれ、伊沢は喧嘩の中断に成功した。

 結果オーライという奴である。



 少しクールダウンした遠山は、流石に申し訳なくなったのだろう。


「すみません……」

 と、頭を下げた。




「……とにかく、お兄さんには怪異と接触した自覚ありということで。


 ちなみに、それと、今回の捜査同行、なんか関係あったりします?」


「僕がちょっと思うところがあって、交渉していたら、さっきみたいに怪異について聞かれてね。

 特殊捜査課の保護下に入るように言われたんだ。



 だけど、僕としては、色んな理由で、怪異についてはあまり大ぴらにしたくない。


 あと、課同士の衝突が目障りな中、保護下に入るのはちょっと、ね。

 そっちの解決が、元々僕の交渉の目的だったしね。



 それで紆余曲折あって、捜査同行の話が持ち上がったんだ」



 つまり、今回の捜査同行は、衝突関係の改善に加え、廻斗の保護という目的もあったらしい。



「だから、一応事情を把握している人間はいるのさ。


 専門家を名乗る奴なら、仮に弟が気づかないにしても、そこで指摘されるだろうと思ったし。


 別に、俺も本気で隠してたわけじゃあないんだよ」


「あぁそうですか」


 遠山は少しイラッとしながら返事をした。 

 しかし、伊沢までも、何故かそわそわとしはじめていた。



「もうひとつだけ確認させてもらっていい?


 お兄さんの交渉相手ってだれ?」



「囘木警察署特殊捜査課長 神崎カンザキ 鳴海ナルミ



「やっぱりか、あの狸オネェ!!!」


 伊沢の大声と、そのビッグネームに、遠山も目を丸くした。

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