24

 怪異は、思わぬ反撃に驚いていた。




 当たり前だ。

 あくまでも、非力な人間を相手にしているつもりだったのだから。


 一瞬呆気に取られ、動きを止めるが、すぐになんとか手を引っ込めようとした。



 ……被害者たちの恐怖を吸って、力を得た怪異は、細い腕からは想像もできない怪力を発揮した。



 しかし、男の方も負けてはいない。


 掴んでいた手を更に捻りあげると、怪異の体を、そのまま地面に押しつけた。



「こちら、遠山。

 只今より、特殊警察法に基づき、対象【百々目鬼】の処理にあたる」


 先程の泥棒……もとい遠山は、いつもの鋭い目つきで、討伐開始を宣言した。




 そう。


 あの時、泥棒に扮した遠山は、伊沢の家に盗みに入った。

 そして、怪異が最も油断するタイミングを、狙っていたのだ。


 ちゃんと盗人として成立するよう、念入りに工程を踏んで、怪異を誘き寄せるために。



 ____怪異は、己の性質には決して逆らえない。


 仮に罠だと気づいたとしても、盗人を前に現れずにはいられないだろう。



 伊沢の見立て通り、怪異は見事、遠山の体を張った囮作戦に嵌められてしまったのだ。




 

 遠山の方は、いくらか心の余裕はあった。


 奇怪な目にあってはいるが、既に連絡は取ってある。

 その内すぐに、応援も到着するだろう。


 それまで、怪異との揉み合いに負けなければ良い。


(……我慢くらべは、得意だ)


 女怪に爪を立てられ、不自然に腕や肩で瞬く目を潰される。

 流血し、猛烈な痛みと痒みを伴いながら、再び、目が作られる。


 それでも、遠山は離さない。




『何故?何故ダ!?


 そもそもニンゲンが、我ラに触れられるはずが無イ!!』


「確かに、〝現象〟でしかないお前達に、本来、俺達から触れることはできない」



「それは、正体不明のうちは……ッスけどね」



 第三者の声が、両者の間に割って入る。



 ……この時、怪異は、本能的な恐怖を感じた。

 ____まるで、天敵に直面した蛙のような心地だ。



 前方に、居る。

 ゆっくりと足音を響かせて、こちらに向かってくる。


 確かに、この男以外、人間は居なかったはずなのに。



 その瞬間、怪異はいっそう酷く暴れ出した。



 なんとか抑え込もうとするが、元々、遠山は筋力と根気だけでしがみついていた。

 ……怪異に対して、特異な耐性がある訳でも、才能がある訳でもない。


 流石に、今度は投げ飛ばされた。



 反射的に受け身を取るが、この勢いだ。

 ……ダメージは避けられないだろう。


 脳裏に、みどりたちの姿が過ぎった。



(負ける訳にはいかないっ……!!)


 衝撃に備えて、歯を食いしばる。

 そして、その後は何食わぬ顔で立ってやるのだと、遠山は決意した。



 しかし、いつまで経っても、想定していた衝撃は来なかった。



「ナーイスキャッチ」



 ……伊沢が、その痩躯で、遠山を受け止めたのだ。

 思わぬ状況に、珍しく遠山も表情に驚きを浮かべる。


 怪異も、想像よりも軟弱そうな男の登場に驚いていた。


 ____なんだ、脆そうジャないか。


 これならどうとでもなる、と、再び不気味な笑みを浮かべた。


 伊沢はマイペースを崩さずに、遠山を適当な地べたに座らせる。



「遠山くんて、特異体質じゃないんスよね?」


「……強いていうなら、他人より丈夫です」


「あら、頼もしい。

 普通、あんな風にしがみつづけられないッスよ」



 軽口を叩くが、伊沢の表情には心なしか険しさがある。



「ごめんね、少し悠長すぎた。


 ……あとは、先輩に任せろッス」



 伊沢がひとりで、怪異の前に立つ。


 遠山も立ちあがろうとしたが、伊沢に制される。



『捨テ身の覚悟か?』


 女の嘲笑に特に反応も示さず、伊沢はこのように話し出す。






「……怪異は、得体がしれないうちが怖い。



 正体を、掴まれた時点で、人間の手にも届く程度のものに成り下がる」






 ……地面を蹴る音すらなかった。



 遠山の視界から、怪異の視界から、夜闇でもあれほど目立っていた赤色が、姿を消す。



 ……ふと、首筋にあたる部分に息が当たるのを、女は感じた。



 容易にその背後を取った男は、手を回し、抱きすくめるように拘束する。


 ゆるく締められているだけなのに、怪異はピクリとも動けない。




「よくもまぁ、散々やってくれたッスね?


……慰謝料分は貰うッスよ」




 ____伊沢らしくない、芯から温もりを失ったような、そんな声だ。



 瞬きの直前、遠山は、怪異を黒い幕のようなものが覆うのを捉えた。


 ごくりと、何かを呑みこむような音が、いやに耳にこびりつく。


 ____正体を探る前に、ソレは、怪異ごと姿を消していた。




 終わった。



 達成感と共に、遠山の中で、疑問や混乱のようなものが生じる。


 ようやく気が抜けて、痛みや疲労感まで襲ってきた。


 幸い、身体を覆っていた目は消え去っていた。

 この分なら、きっと、被害者達の症状も治まっているだろう。


 ……色々、思うところはあるが、〝また助けられたのだ〟と、遠山は考えた。




(伊沢さんは……?)



 伊沢は幸い無傷のように見えた。


 その場に立ったまま、どこか、放心したように怪異のいた方向を見つめていた。



 それも、ほんの短い間だった。



 すぐに、遠山の方を振り返った時には、軽薄そうな笑みを浮かべる、ここ数日の、彼が居た。



「終わったッスね」





 夜が、明け始めている。



 まだ淡い陽の光を浴びながら、遠山に手を差し出す。


 その光景は、いつか、遠山が見たことがあるものだった。

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