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(何て、言ったんだこの人……?)

 


 

 さほど難しくもない、聞き取れなかったわけでもない言葉を、遠山は理解することができなかった。


 否。

 、の間違いであろう。

 

 よりによって、伊沢深泉という人が、被害者を見捨てるような発言をしたのは、単なる遠山の聞き間違い、にしておきたかった。

 


 

「あれ?固まっちゃった?

 そんなに難しいこと言ってないッスよオレ。

 つまりぃ~、『今回の怪異に関しての捜査は放置しちゃいましょ! 』っつー話ッス。」



 そんな遠山に追い討ちでも仕掛けるように、伊沢は再度、その提案を繰り返した。


 

 瞬間、遠山の頭は沸騰する。

 

 ダァンッッ!!!

 

 気づいた時には、遠山は自身の拳をテーブルに打ち付けていた。


 元々身体を鍛えている遠山だ。

 凄まじい音と共に、衝撃で床までもが震えた。

 

 

「アンタ……、今、自分がなんて言ったのか分かってるんですか?


 まだ確定もしてない、憶測に過ぎないことで、被害者を見捨てろって言ったんですよ?! 」


 

 伊沢はそんな様子を見てもさほど怯む様子もなく、さらにとんでもないことを言い出した。


 

「でも、多分おんなじ事を考えてる奴は、他にもいるッス。」

 

「そんなとんでもないこと言い出すの、アンタくらいしかいないでしょう……!」

 

「そのとんでもないオレの考えが正しければ、そのとんでもない奴は警察に……多分上層部に存在するッス」

 


 

(ここに人が頼りにきてる時点で、そんな、〝人でなし〟みたいな考えしている奴が警察にいるわけないだろう……!)

 

 

 そのまま襟首でも掴んで持ち上げてやろうか、と一瞬遠山は考えるが、すんでのところで堪える事を選んだ。

 

 あくまでも冷静に話さなければ、伊沢のペース持っていかれるのは、なんとなくわかっている。

 

 遠山は、深く深く息を吐いた。


 

「……警察側に、怪異を放っておくメリットがありません。


 ましてや、怪異捜査課は、怪異を放っておく恐ろしさを知っている。」

 

「なんで怪異は放っておくとマズいんでしたっけ?」

 

(やっぱ、この人馬鹿にしてんのか?)

 

 

 イラっとしながらも、遠山は一応律儀に答えた。

 

「……怪異は、人の想念によって生まれたことから、人の心同様その姿形は不定形の性質を得ます。

 故に、人のイメージの変化がそのまま怪異に反映されてしまいます。

 

 被害者たちが恐怖を募らせてしまったり、目撃者による話が世間に出回る前に、怪異対策課は速やかに事件を解決しなくてはいけません。」

 

「そう、故に怪異捜査事件は【短期解決】が基本。


 アンタはひよっこくんなので知らないかもしれないッスけど、3日。

 ……3日で捜査に結果が出なかったら、すぐここに人が派遣されるんスよ」

 

「……え?」

 

 

 そこまで言われて、遠山はおかしな点にようやく気が付く。


 

 遅すぎるのだ。

 ……解決のための、捜査の足取りが。


 

 確かに、伊沢という糸口があるのを最初から把握していたのなら、もっと早く行動すべきだった。

 

 噂というものが、容易に尾鰭をつけるように、怪異は口伝の中で簡単に姿を変える。


 とても曖昧な存在なので、大袈裟な脚色も、不確定な話も、怪異に対してなら、簡単に真実として付け加えられてしまうのだ。

 


 ましてや、口に戸は建てられず、スマートフォンが普及した便利な時代。


 今まで以上に簡単に噂が広まるので、素早く解決しないと、怪異がパワーアップ……なんて、笑い話じゃないのだ。

 

 しかし、それならばなぜ、一週間も時間を置いてから、遠山は派遣されたのだろうか?

 

 

「今回の怪異には、警察側にとって、【変質のリスクを上回るメリット】がある。


……それに気づいた人間が、特殊捜査課に圧力をかけている……ッスかねぇ。

 

 特殊捜査課は怪異のヤバさ知ってる奴が多い傾向にあるから、こんなこと企むのは課の外の人間だとは思うんスけど。」

 

「しかし、納得できません。


 怪異を放っておく以上に得られるメリットなんて……。

 

 刑事部特殊捜査課、それを含めた我々警察は、【国民の生活と安全を守る】事を第一にしている組織ですよ……!!」

 

「……もし、被害者たちの共通点が、【犯罪者】だったら?」


「え?」


「そりゃ、警察の人間には言えねぇッスよね。


 素直に白状したら、逮捕されて社会的に死ぬッスもん。

 

 なら、まだ被害者ぶれる現状のがましッス。」

 

「……都合が悪いことが、犯罪?」

 

 

 彼らは被害者ですよ。

 と、否定できないほどに。


 伊沢の話が腑に落ちてしまったことが、遠山はショックだった。


 未知の症状に本気で悩まされているのにそれを治そうとしない。

 その不可解な状況を、この仮説は今までで一番しっくりと説明できてしまっていた。

 

 

「そんでもってこの場合、警察側のメリットも説明できちゃうッスね?」

 

「まさか、警察は怪異と犯罪者の一網打尽を狙ってるのか……!?」

 

「怪異を目印に犯罪者を捕まえられたら楽ッスよね。

 しかも、症状からして被害者たちは外に出ようとしないから目撃者も少ない。

 

 変質の可能性は極めて少ないッス。」

 

「少ないとはいえ、変質の可能性がある以上、一般人に感染する危険を放っておくべきではないでしょう。」

 

「それに関してはほぼ可能性0でしょ。

 

 今回は、被害者たちは皆【自分のような人間に感染する】と自覚している。

その強い自覚が、ちゃんと怪異に定義づけをしている。

言ったでしょ?人間のイメージがそのまま、怪異に肉付けされるって。」

 

「その可能性は防げても、被害者たちが危険なのは、やはり変わらないじゃないですか。

 もし彼らが、『この症状は死にいたる』など考え始めてしまったら……。」

 

「まぁ、それはあり得るッスね」

 

「なら……!」

 

 

「でも、相手は犯罪者ッス。」

 

 

 伊沢は冷たく言い放った。


 

「アンタは自業自得な奴のために必死こくんスか?

 

 オレはそんな奴らのために命は賭けたくないッス。

 

 いいじゃないッスか。

 今回はこういう選択の方が、【国民の生活と安全を守る】合理的な選択でしょーよ」

 



 伊沢は飲み切った紙パックをゴミ箱に投げた。

 綺麗な曲線を描いて、ゴミはあるべき場所に吸い込まれていった。

 

 きっと、伊沢の言葉も、正しいのかもしれない。

 

 しかし。

 遠山は、拳を握りしめた。



 

「……なら、なんであの時俺を助けたんだ。」

 

 

 それは、小さな声だった。

 

 伊沢が、遠山の方を振り返る。

 

 しかし、遠山はそれに見向きもせず、自身の荷物を片付け始めていた。

 


「ご助言ありがとうございました。

 報酬は後から伊沢さんの口座に振り込ませていただきます。

 

 それでは、そろそろ失礼させていただきます。」

 

「あ、もう帰るッスか?

 実は昨日久しぶりに散歩してたら、商店街のおばちゃんから林檎もらったんッスよぉ。

 

 よかったら、食って行かないッスか?」

 

「結構です。

 職務中なので。」

 

「真面目ッスねぇ。」


 

 

 玄関に立つ。

 相変わらず、伊沢はヘラヘラした感じを崩さない。

 

 

「……我々は、絶対に怪異を突き止めます。」

 

 ドアノブに手をかける直前、遠山は言った。

 

「どんなに合理的な考えでも、俺はやはり賛同できません。

 たとえ、犯罪者でも、それならば、然るべき罰を受けて、然るべき対処を受けるべきだ。

 

 ただ、それをするのは怪異じゃない。」

 


 

 単なるひよっこの啖呵と言われればそれまでだ。

 けれど、遠山は誓いでもするつもりで、伊沢に譲れないものを示す。

 

 

「正直、がっかりです。


 俺は、〝真っ当な人間〟になるために捜査官になったんだ。

 

 相手が誰であれ、怪異の中に見捨てるのは、〝真っ当〟じゃない。」

 

 

 そのまま、遠山は伊沢の家を出た。

 

 その背中を見送って、伊沢はひとり呟く。

 

 

 

「……若いッスねぇ~」

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