憧れの人は奇行人

8

 

 馴染みのある土地であるために、流石に迷わないとは思いながらも。


 念のためと言って、遠山は地図アプリと照らし合わせながら、順調に目的地を目指していた。




 彼の印象の通り、目的地は警察署から電車で20分、実家からだと、なんと徒歩10分くらいの地点にあるアパートメントハウスだった。

 

(こんな近所に伊沢さんが……)

 

 もしかしたら、憧れの恩人と最寄りのスーパーなどですれ違っていた可能性も浮上し、軽く衝撃を受けていると、メモと同様の館名板を見とめ、遠山は足をとめた。

 

 

 メゾン・奇々怪々。


 

 二階建ての連棟式という、オーソドックスなメゾネットタイプの建物は、築年数が長いのか、随分と古めかしい印象を受けた。

 特別どこかが荒れているわけでもないのだが、全体的に漂う重い、重い空気が、余計そのように見せているようだ。


 

 このあたりで、遠山はここが、地元で有名な〝おばけアパート〟であることを思い出していた。



____『気をつけろよ、ノア並みに癖は強いやつだからな』____

 

 と、伊沢の家に向かおうとする遠山に、館は言っていたが、なるほど、確かに多少は変わり者なのかもしれないな、と遠山は考える。


 

 意外にも、彼のテンションは依然として高さを保っていた。


 ……仕事のためである以上不謹慎であることは自覚していたが、それでも、『憧れの人に会える』という、思いもよらないチャンスを得たことで、自重しようにも、彼の心はどこか浮き足立ってしまっていた。


 

 彼が伊沢深泉という人間に関して、こうも心を動かされるのには、理由があった。

 

 件の伊沢は、遠山にとって、怪異捜査官を志したきっかけであり、命の恩人なのだ。

 

 

 8年ほど前。

 18歳だった遠山は、彼の兄と共に不運にも怪異事件に巻き込まれてしまったのだ。


 襲い来る怪異相手に、当然太刀打することなどできず、死ぬしかなかったふたりを助けたのが、伊沢深泉その人だったのだ。

 

 優秀な捜査官であった伊沢にとっては、自分は助けた数多の人間のうちの、そのひとりでしかないだろう。

 助けた理由も、仕事だったからと言われれば、それまでだ。

 それは、遠山もよく理解していた。

 

 

 しかし、あの時、遠山は、たとえ本人に特別な他意がなくとも、『怪異から助けてもらった』という事実以上に、確かに救われたのだと感じていた。

 

 それをきっかけに、遠山は、伊沢を追いかける形で怪異捜査官に志願した。

 残念ながら、遠山が正式に特殊捜査課に配属された頃には、伊沢はすでに退職してしまっていたが……。

 

 

 (……とはいえ、公私混同は禁物だ)

 

 先述の通り、現在の遠山の立場は特殊捜査課から派遣された怪異捜査官だ。

 故に、彼にはそのように振る舞う義務が発生する。

 ましてや、今こうしている間にも、被害者たちは苦しみ、怪異があたらしくその魔の手を広げようとしているかもしれないのだ。

 今回、伊沢の助力があれば、捜査が好転する可能性が高い。


 ……必ず、伊沢の協力は、得なければならない。

 


(せめて印象には気をつけることにするか…)


 口下手な態度や目つきのせいで、初対面時は特に嫌われやすいことを自覚していた遠山は、いつも以上に身だしなみを何度も確認した。


 今回の任務内容としても、印象は大事であるはずなので、これは私情ではないだろう……と何故か言い訳じみたことを内心呟きながら。



 スーツはここに来る前にシワがないことを確認し、消臭剤を吹きかけてきた。


 表情筋はいつも以上にほぐしてきたし、インターネットのサイトを読み漁って、笑顔は勿論、アイドルスマイルからひょうきんスマイルまで習得した(※つもりである)。


 その上、手土産である菓子折りの準備も抜かりない。

 

 

「お辞儀の角度は30度……。

 お辞儀の角度は30度……」

 

 ぶつぶつとお経のように、お辞儀の作法を繰り返しながら、404号室と書かれたドアの前にたった。

 表札には〝伊沢〟と書いてあるため、そうそう間違いはないだろう。

 

 恐る恐る、遠山はチャイムを鳴らした。

 

 

 ピンポーン

 

 ノイズ混じりの呼び出し音が鳴る。

 少し間があってから、ドタバタと部屋から物音が近づく。

 

 ガチャリ。

 小気味の良い音と共に、玄関扉が開かれた。

 

 この部屋の住人であろう、小柄な赤毛の男性は、

 

「……ッス」

 

 と、どこか落ち着かない様子で、上半身だけをドアから覗かせた。

 

 顔の上半分を覆うほどに長い前髪から、うっすら透けるメガネのフレームとそばかす。

 羽織っただけの白衣の下に見える赤いパーカーは、遠山の記憶の中の伊沢も着用していたものだった。

 

 

 間違いなく、彼が、彼こそが、伊沢深泉である。

 

 

 再び込み上がってくるものをなんとか押し殺しながら、遠山は、それはそれは綺麗な30度のお辞儀を伊沢に披露する。

 

「刑事特殊捜査課の遠山と申します。


 現在我々が追っている怪異捜査に関して、是非とも貴方のお力を貸していただきたく、参りました」

 

 あらかじめ考えておいた挨拶をなんとか澱みなく伝えると、顔をあげて、彼なりの精一杯の笑顔を作った。


 

 ……それを見ていた伊沢は、なにか思うところがあったのだろうか?

 ゆっくりドアから移動し、遠山の前に全身をあらわにした。

 

 そして、おもむろに自身の両手を、そして、片足を上げた。

 

 

 あの時、遠山には興奮という、特殊なフィルターがかかってしまっていたので、楽観的に聞き流してしまっていたが、伊沢の家に向かう直前、館は確かに忠告していた。

 


____『気をつけろよ、〝ノア並みに癖は強い〟やつだからな』____


 

 ……冗談めかしてはいたが、そういえば、彼の目は、普段からあんなに死んでいただろうか?

 

 あの忠告が、とても真剣みを帯びていたことに気がついた時には、何もかもが遅かった。

 

 

「キィイイイェェエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!!!」

 


 案の定ともいうべきか。


 想像もできない急展開が、遠山を襲った。

 

 まさしく、荒ぶる誇り高き鷹のポーズを決め、奇声ををあげ始めた伊沢に、遠山は激しく自身の油断を責め、そして、途方に暮れた。

 

 

 _____捜査官たるもの、油断してはいけない。

 

 

 それ以来、その言葉は、遠山にとって捜査における座右の銘のようなものになった。

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