二話(3) ただ主の愛を乞う。それが精霊だ




「昔っから言うでしょ。ルールは破るためにある。それに……イケナイことほど愉しいことなんて、この世に存在しない」

 そうでしょ? 愉楽に細められた夕陽色の視線がリズの奥に流れると。

 ゴト。卓上にフォークの切っ先が落ちた。


「見ない内に……耄碌もうろくしたようだな。カマ精霊」

 低い声が、ベルの地雷のど真ん中を踏み抜く。すると。


「ヨアンさまあ! お会いしとうございま……あンッ!」

「沈め」

 両手を広げて飛び掛かるベル。その暴発ごと、ヨアンは地雷を踏みつぶす。

「地を這う虫けらさえ、本能で“上下”を察するというのに。この俺のモノに手を出そうとは。殺してほしいならそう言え」

「……イイわ。このアングル。アタシを見下すくらい瞳。はあ……、尊い」

 腰が砕けちゃぶッ。皆まで言うことなく、石床にベルの顔がめり込んで……なにも聞こえなくなった。


「……なんだその目は、リズベット」

「誰があんたのものよ。契約精霊の分際で」

 だいたい遅いのよ。

 来るのも助けるのも、すべてが遅い。リズは壁の時計を示す。約束の時刻はとうに過ぎている。


「まったく精霊使いの荒い。主人を気取るなら、主としての義務を果たしたらどうだ」

 彼がずっとその手に持っていた、ベルのフォークを力づく叩き断ったミートナイフが、今度はリズの顎を上向かせる。


「飢えれば飼い犬も牙を剥く。俺を従えたいのなら、たまには餌付けでもして媚びてみろ」

「大人しくの出来る良い子になら、考えてあげるわ」

 負けてなるものか。見下す赤い眼光に真っ向から受けて立つ。

 するとカウンターの中から手を打つ音が響き、やっと刃がリズから離れた。

「ほらほらお二人さん。そんな怖い顔で塞がれちゃ、坊やが食べられないでしょう」

「あ、いや」慌てた様子でルネがぼやく。オレを巻き込まないでくれ、と。


「お残しは許さないわよ。それとも手ずから食べさせてあげましょうか。坊やは精霊わたしたちと、きっと仲良くなれると思うの」

「ビビアン」声には警戒が色濃く滲む。

「怖い顔しないでリズ。わたしたちのことを知ることは、坊やのためにもなるでしょう?」

 それは。ビビアンの言う通り、かもしれないが。


「ねえ、坊や。人間が精霊と契約を交わす方法は三種類あるんだけど、分かるかしら?」

 首を横に振るルネ。ビビアンは立てた人差し指を唇に添える。

「まず一つ目、願いに応えた精霊とちぎること」

「僕とビビアンのことだね!」

 今日はじめて店内に顔を出したマルセル。復活した彼はうっとり続ける。


「それまでの僕はひどく塞いでいてね。墓参りの帰り道、月光に蝶のような光が集まって、目を開けるとそこには見たこともない美女が! あの夜のことは、僕の人生で五本の指に入る奇跡だね!」

 半端な奇跡ね。とは、さすがに言えない。


 余分に作っていたらしく、マルセルは新たに持ち寄ったチームオムレットを皿ごと胸に抱きしめる。

「チーズの溶けあう香ばしさ。これは妻の。ビビアンは僕にとってのヴィーナスだ!」

「美と愛の女神だなんて。私に相応しい肩書きだわ」

 二人の世界に突入する美女と野獣。リズはさっさと説明役を引き継ぐことにする。


「二つ目は靴磨きや洗濯屋とか、街中にいると契約すること。最後、三つ目は契約を”継承”すること。私やセルジュがコレよ」

「契約の、継承……?」

「そう。契約主が変わっても、基本的に契約内容を変更することはできないけどね」

 だから好んで髪を喰われているわけではないのだ、セルジュは。彼の名誉のため、そう付け足しておく。


「私だって叶う事なら、もっとマトモな精霊を継承したかった」

「言ってくれる。そのマトモじゃない精霊の嫁になると息巻いていたじゃないか」

「「えっ」」魂の抜けたような声はセルジュ。地に響く低音は跳ね起きたベルだ。

「アンタがヨアン様とだなんて三百年早い、身の程を知りなさい小娘!」

何才いつの話よ、いつの!」

 幼女が父親に結婚をせがむような、そんな遠い黒歴史だ。リズの釈明に「んん?」とルネが首を傾げる。


「ルネ、言っておくけど聖都では見た目なんてのは、なんの尺度にもならない。ヨアンなんてこんな顔して実はすっごい老爺ろうやなのよ」

「おいビビアン。チーズオムレットと、”アレ”を寄越せ」

 言いながら手は既に伸びている。ヨアンが瓶を一つ、丸ごとリズの皿に引っくり返し。

「え、ちょっと!」

 ドロッ。流れ込む茶色いなにか。浅い皿になみなみ溢れる生々しいニオイ。

「なんでレバー⁉ せっかくの絶品オムレットが台無しじゃない!」

「老婆心による純粋な善意だ」

 嘘つけ、悪意が溢れてるわ!


「マルセルお手製の自家製レバーペーストよ。手間暇時間をたっぷりかけて煮込んで。ほら、こんなにねっとりトロトロ……」

 うっとり瓶から零れる最後の一滴まで見送る、灰色の瞳。とてもじゃないが食べられたものではない……のだが。

「お残しは許さなくてよ?」

 渋々、リズはスプーンを口に押し込む。それを確認してからビビアンは「もう一仕事」とマルセルを厨房に引きずり込んでいく。


「え、ちょっと待てよ、まさかまた⁉」

 先ほど通したヨアンの注文。チーズオムレットの調理にビビアンが鞭を振るい。

「はぅンッ!」

 マルセルの苦悶の声が厨房に響き。ルネが身体ごとそっぽを向く。


「安心なさい。精霊にとって契約主の不幸というのは、存在すら許されない禁忌」

 だからマルセルも心から嫌がってるわけではない。そう伝えると「それはそれで嫌だ」と俯くルネ。……これだからお子様は。

「……なに、ヨアン?」

 何か言いたそうな顔で頭を振るヨアン。次にその手がリズへと伸び。


「契約主は無二の存在。主の願いを叶えるため、望まれるがままの姿で生まれる。ゆえに優れた容姿を持つことが多く。言葉を求められなければ声すら持たない。――そうまでしてただ主の愛を乞う。それが精霊だ」

 健気なものだろう。頬をくすぐってくる手を、リズは全力で打ち落とす。なにが健気なものか。

「その代償あいとやらが重いのよ!」

「代償といえば。小娘、なにか忘れてるんじゃないの?」

「あーっと!」リズは声とともに椅子を蹴る。「もうこんな時間。ルネ、ランチタイムは終わりよ。そろそろ仕事に……」

 ぎゅっと声が首ごと締まる。逃がさない。首根っこを掴む大きな手。


「オイコラ。こちとら警察の極秘情報を流してやってんだぞ。今日こそは溜まったツケ、耳揃えて払ってもらおうじゃない」

 顔を寄せるベル。その形相は警察官というより、借金の取り立て屋。

「今日はちょっと懐が……。だいたい、昨日の密告には不備があったのよ。対象が最新の小銃リボルバーなんか持ち出したせいで、私たちも危ない目に……」


「器物破損に傷害罪。向こうが武器を持ち出したとて、過ぎたる防衛はただの暴力よ。毎度毎度、誰が尻拭って隠蔽してやってるか、そこんとこ分かってんのか小娘」

「お、落ち着いてよベルナード」

「ベルって呼べっつてんだろ!」

 ……雄々しいオーラが隠せてないわ、ベル姉さん。なんて言葉は胸の内に秘める。

 狭い店内に響く野太い怒鳴り声と、髪をむしられたセルジュの悲鳴。リズの背に隠れるようにくっつくルネ。


 それらすべてを遠巻きに包むように。新たに運ばれたチーズオムレットからは、香ばしい愛のかおりが漂っていた。




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リズベットの契約精霊は あらゆることを慎まない 志奈 @amaji_shina

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