第5話 罠/Trap

「ホントにここで…合ってる…?」


「誰もいないんじゃが…?」


 巨大な円形の構造物。中央を取り囲むような客席は階層状になっている。招待状に記されていたこの場所は篝火の星から程近い街の中心部にある【闘技場】と呼ばれる建物。

 昼間は魔物や剣闘士を闘わせるギャンブルで盛り上がるこの場所も真夜中の今では街と共に眠りについていた。

 暗闇と静寂に二人の足音が反響する。


「客席にも!地下にも!中央舞台にも!誰も居ねえ!」


「使徒はおろか仮面連中もおらんとは…ん?中央舞台にあんなモノあったかの?」


「…無いな…何だあれ?」


 先程まで何もなかった筈の中央舞台の中心に何やら赤い扉が出現していた。

 客席から中央舞台へと降りる。近付いて見ても変哲のない、何処でも行けそうな赤い木製の扉が舞台に直立しているだけだった。


「…行くのじゃ?」


「…行くしかないだろ」


 思い切ってドアノブを撚る。扉の先は眩い光で満たされ、一瞬だけ目を瞑った。そして再び目を開けたときには俺達は見知らぬ空間へと移動していた。

 そこは正しく豪華絢爛の食卓だった。壁には海を描いた絵画が飾られ、天井からはいくつもの硝子片があしらわれた大きなシャンデリアが吊るされている。その下では大理石の天板に黄金の器に盛られた豪勢な料理が所狭しと並べられていた。

 上座でステーキをむさぼっていた赤髪の女が口を拭いこちらを見やる。


「よお、初めましてだな。俺はクリム、テメェらが倒したワイトと同じあの御方の使徒って奴だ」


「お前が誰かなんざどうでもいい。マリネットを返せ、今すぐに」


「ハッ、せっかちな男はモテねぇぞ」


「分からんようじゃな。これは交渉では無く命令じゃ、早う娘を返せ」


 シディが突き出した右手に魔力が収束し、火球が形成される。


「分かった分かった。───ほらよ」


 クリムが指を鳴らすと漆黒の異空間が現れ、拘束されたマリネットと彼女の座る椅子を残して消え去った。

 マリネットは四肢を椅子に固定され、両目は布で覆い隠されていた。


「マリネット!」


「安心しろ、眠ってるだけだ」


「レイ、マリネットを連れてずらかるのじゃ」


「まぁ待てよ。ソイツの首、首輪が付いてるだろ。」


「何…!?」


 クリムの言葉通りマリネットの首には刺々しい首輪がかけられていた。


「そいつは『呪殺の首輪カースドチョーカー』、魔道具マジックアイテムだ。この指輪がある限り、俺の任意で何時でも発動できる。下手な事はしないほうがいいと思うぜ」


 クリムの右手人差し指が鈍く光った。


「…チッ、下衆が」


「それじゃあお話といこうか」


 音もなく現れた赤い仮面達が椅子を引き俺達に着席を促す。


「改めて、俺の目的は二つ。一つはワイトと同じく転生者リィンカーであるテメェの排除。もう一つは未だ不完全な邪竜トカゲの抹殺だ」


「本気で出来るとでも?貴様の前任は聖獣引き連れて尚、吾とこやつ二人に敗北したんじゃぞ」


「俺とワイトを一緒にすんじゃねぇ。現にテメェらはこうして俺の話を聞くしかねぇだろ」


「…それで?マリネット人質に取って俺達に何させるつもりだよ」


 クリムは金の杯を揺らしながら葡萄酒を口へ運び、ニヤリと口角を上げる。


「三日後、闘技場にてイニベータ中の冒険者ギルドが参加する『ギルド対抗闘技大会』が開催される。テメェらはそこに出場し優勝しろ。そうすりゃ人質は返してやる」


「貴様の言葉を信じるとでも?」


「分かってねぇな、テメェらに選択肢は無ぇんだよ」


「レイ、コイツはここで殺そう。今の吾の血液でも小娘の蘇生くらいは出来るのじゃ」


「…マジ?ってそうじゃなかった。いいか、呪いってのは魂の汚染だ。魂が汚染されている限り、何度肉体を治癒しても呪詛は体を蝕み続ける」


「そうそう、穢れを祓う聖剣の光もこの状況じゃあ使えねぇ。つー訳だ、分かったら諦めてさっさと帰れや」


 そう言ってクリムが再び指を鳴らす。

 俺とシディの足元に赤い扉が現れ、独りでにノブが回っていく。


「なっ!?待ちやがれ───」


「赤羽虫が───」


 扉が開かれ、足場を失った俺達は重力に従い光の中へと自由落下していく。


「ったぁ!?」


「のじゃぁ!?」


 眩い光の中で天地の感覚を失い、放り出された先で大地と激突した。


「ここは…闘技場か」


「どうするんじゃ?癪じゃが吾らの現状は奴の言う通り。とはいえ、このまま言いなりになるわけにもいかんじゃろ」


「…一旦ルイード達の所へ戻ろう」


 俺達は闘技場を離れ、篝火の星へと向かった。


 朝焼けの街を歩いていると、ギルド前の広場で膝を付き項垂うなだれる男がいた。


「誰だ…って、ギルマスじゃんか」


「なんじゃ、ギルマスか」


「───酷くない!?僕、一応君らのトップなんだけど!?ていうか何これ、出張から帰ってきたら僕のギルド全焼してんだけど!?」


 篝火の星のギルドマスター【マシュー】は灰となった自身のギルドの前で嘆きの舞を踊っている。


「なあギルマス、突然だけど俺達を今度の闘技大会に出してくんない?」


「いいとも!丁度僕も言おうと思ってたんだ。でも何で君が大会の事を?ま、いっか!ほら、僕のギルド全焼しちゃったでしょ?書類とかも大半が燃えちゃってさ、ぶっちゃけギルド存続の危機なんだよね」


 ギルマスは笑顔で語る。笑うしかないといった感じだ。


「…落ち着いて考えれば当然じゃな」


「そ、そんな…!?困りますよギルドマスター、いきなり無職になるなんて…」


 ルイードは突然のギルド解散を告げられ困惑している。マリネットの誘拐にギルド解散と泣きっ面に蜂とはこのことだろうか。

 プラムは─現実を諦め放心状態で雲を眺めている。


「まぁまぁ、最悪別のギルドに行けばいいって。お前らの腕なら他所のギルドでもいい線行くだろうし」


「いえ、それは難しいかと」


「なんでじゃ?」


「残念だけどー他の街からの流れ者ならともかく、他ギルドからの転属者は大体碌な依頼も受けられず仕事になりませーん!つまり君達が冒険者を続けるためには闘技大会で優勝し、賞金を獲得しなければならないのでーす!」


「マジか…。まぁ、どのみち優勝しなきゃだから計画は変わらないけど…」


「ちなみに賞金っていくらなんじゃ?」


「確か……二千万?」


 確かにそれだけの大金であれば焼失したギルドの再建は可能であろう。


「そういや闘技大会の詳細を聞いてねーや。ギルマス、説明プリーズ」


「ギルマスだよー。闘技大会こと『ギルド対抗闘技大会』は闘技場にてイニベータに居を構える六つの冒険者ギルドが戦うバトルロイヤルだ。レギュレーションは各ギルド二選手まで、殺しはNG。逆に言えば、それ以外は何でもありってことさ」


「出場ギルドは?」


「まずは主催の『暁の翼』、かなりグレーな依頼にも手を出してるって噂のやばめのギルドだね。続いて『嵐の牙』、二週間位前に暁の翼と提携を結んだ武闘派ギルドだ。次は『雷の涙』、こっちは半月前位に暁の翼と提携を結んでる。四つ目は『月の歌声』、ここも暁の翼と提携を───」


「ちょっと待った!…出場する六ギルド中半分が主催の傘下ってこと…?」


「表面上は提携だけど…まあそういう事だろうね。あと、最後のギルドは『砂塵の蝶』って所でさ。別名傭兵ギルドなんて呼ばれてる金次第でどんな依頼も受ける激ヤバギルドだよ」


「実質一対五じゃねえか!……今からでも傭兵ギルドを味方に出来ない?」


「無理。金が無い」


「ですよねー…」


 クリムの直属は【暁の翼】と見て間違いない。奴が俺達を殺すためにここまでお膳立てしたのならそれが可能なのは主催者だけだ。


「わざわざこんな大会に出させるって事は、ドサクサに紛れて俺達を殺すつもりだろうな」


 そして十中八九、奴は試合に出場する。何故なら奴は俺達を確実に殺す事を目的にしていた。単純な戦力的にも、人間を見下しているという点でも、奴は止めを自分の手で刺そうとするはず。


「何なら罪も他の出場者に擦り付けるつもりかも知れんぞ」


「いやいやまさか…全然有り得るな」


 むしろその為のバトルロイヤルという気さえしてきた。


「ま、なんとかするしか無いか。あんがとな、ギルマスもう帰っていいぞ」


「わかったー!まったねー!あはははー!」


 ギルマスはスキップで朝焼けの中へ消えていった。…ギルマスの精神衛生のためにもさっさと優勝しなければ。


「───プラム、ルイード。二人に話がある。マリネットの事だ」


 プラムの視線が空を流れる雲から俺のほうへと移る。


「一つ目、マリネットは無事だ。人質にされてはいるが、あくまでも俺たちを自由にさせないための鎖だ。しばらくは危険な目にあうことはないだろう」


「本当…?本当にマリネットは無事なの…?」


 目尻の赤らんだ眼が俺を捉える。今にも零れそうな水気を湛えたその瞳に映されて嘘をつくのは不可能だった。


「…命の危機には無い。が、首に『呪殺の首輪』を付けられている」


「───」


 それだけで二人はマリネットの置かれた状況を理解した。

 しばらくの沈黙の後、消え入りそうな声でルイードが呟くように問う。


「…犯人は…犯人の要求は何なんですか…犯人は一体何者なんですか…?」


「それは…」


 俺は言葉を詰まらせる。この状況は俺とシディがこの街で冒険者となった事、俺達がマリネット達三人と近しくなった事が原因だ。たったそれだけの言葉が出てこない。

 真実を告げることに恐れはない。軽蔑されることもお前のせいだと罵られることも受け入れられる。

 だが、俺は友情を失うことを恐れていた。

 今までの勇者としての俺ではない、幻術も肩書も無いありのままの俺に初めて出来た友人達。そんな彼らを失う事を俺は酷く恐れている。


「レイくんいいよ。言えない事情があるんでしょ?なら無理に言わなくて大丈夫。ルイードも、私達は私達に出来る事をやるよ」


 言い淀む俺をプラムは優しく赦した。さっきまで潤んでいた瞳で淡くはにかみながら。そんな顔を前にしてまだ言い淀むなど俺が俺を許せない。

 シディを一瞥する。シディは好きにしろと頷いた。


「───いいや、全部話させてくれ。二人はそれを知る権利が、俺は説明する義務がある」


「…うん、それじゃあ聞いちゃおうかな」


「…僕も知りたいです。何が起こっているのか、自分がどんな状況にいるのか」


 少し震えた声。それでも瞳は真っ直ぐに俺を向いている。


「───今回の事は俺とシディが原因なんだ」


 俺は全てを話した。俺の生い立ち、勇者の旅、シディとの契約、雷神との敵対。そして今に至るまでの一部始終、俺の知る限りを。

 二人は俺の話を黙って聞いてくれた。泣くでも怒るでもなく、ただ静かに。


「───とまあ、そういう訳なんだ。ずっと黙っていた事、今回巻き込んでしまった事、本当にすまなかった」


「…レイく─じゃないレイナード様。顔を上げて下さい」


「そんな畏まんなくていいって。いつも通りで頼む」


「そ、そう?じゃあレイくん」


「おう」


「レイくんは今回の事を自分のせいだって思ってるみたいだけどね、私はそうは思わないんだ」


 プラムは涙を拭い俺の手をとる。


「だってレイくん悪い事してないじゃん。その使徒?って人達はきっとレイくんが居なくても遅かれ早かれ同じような事を起こしてたと思う。ううん、もしかしたらもっと酷い事になったかも。でもさ、マリネットも私達もまだ無事でしょ?なら大丈夫だよ。きっとね」


「プラム…」


「それに、二人と友達になれなかったらーの方が嫌だもの」


 桃色の尻尾が左右に揺れた。


「れ、レイさんがあの勇者様だったなんて、僕も驚いてます…!それにマリ姉も必ず救える。そんな気がしてきました!」


「二人とも…ありがとな」


 ルイードも笑顔で俺の手を取る。そこには先程までの不安は無く、確かな絆を感じられた。


 ◆◆◆


「───ではこれより『マリネット救出作戦』の会議を始める」


「「「おー!」」」


 すっかり日が昇った午前九時頃。俺達四人は宿屋の一室、俺とシディが借りている部屋にて作戦会議を行っていた。

 昨夜からぶっ通しで活動しているため皆疲労の色が見える。だが、俺達には時間がない。闘技大会が始まる前にマリネットを救い出す方法を考えなければ。


「まずは現状報告だ。現在、マリネットは敵使徒クリムの下で拘束、監禁されている。また、彼女に付けられた『呪殺の首輪カースド・チョーカー』のせいで強引な救出は困難だ」


「そもそも、マリネットがどこにおるのかも分かっておらんのじゃ」


「二人はマリネットと直接会ったんだよね…その場所の特徴とかから予想するのは?」


「あそこは窓もないし、部屋の装飾こそ豪華だが特殊なつくりはしてなかった。なにより俺達もマリネットもクリムの転移魔法で移動させられてたからな、あの食堂がどこかもあそこにマリネットがいるのかも定かじゃない」


「そうなると街中で怪しい場所をしらみつぶしにするしかありませんね…」


 ルイードは街の地図をじっと見つめた。


「分からん事は後じゃ。まずは分かっとる問題の分析じゃろ?」


「あぁ。次に敵戦力についての情報を共有する。まずは敵の首魁のクリムについてだが…正直こいつに関しても分からない事が多い。確実なのは転移魔法を使えること。そして恐らくかなり高位の精神干渉魔法と火炎系の魔法も使えるだろうな」


「じゃがその程度では吾とレイを抹殺するには不十分じゃ。奴が吾らを相手に堂々と殺害宣言をした以上、まだまだ手札を隠しておると見るのが妥当じゃろうな」


「あとは例の赤仮面の連中ね…。マリネットの誘拐とレイくんへの接触が同時だった事を考えるとそれなりの人数がいるのかしら」


「マリ姉の誘拐時に見かけたのは四人。レイさんに接触したのが三人と姿を見せなかったのが二、三人。最低でも十人程度は確実です」


 地図の上に十一個の赤い駒が並べられる。そして赤い駒の中に一つと向かい合う形で四つ、今度は青い駒が並べられた。


「連中は何者なんじゃ?」


「ワイトの聖獣のようなクリムの眷属って可能性もあるだろうが、見た目からして適当な冒険者を洗脳して手駒にしてるってとこじゃないか?」


「それあるかも!メンバーがいなくなったって言う他所のギルドの子見かけること最近多いし」


「なるほどな。ギルマスの言ってた『暁の翼』が他ギルドに接触してたってのも闘技大会の根回し兼兵隊集めだったってわけだ」


「そうなると赤仮面はまだまだいそうですね」


 地図上の赤い駒が追加される。数だけなら向こうの戦力はこっちの五倍以上だ。


「よし、ひとまずこんなもんだろう。なんにせよ情報が足りないってのがハッキリした。こっからは二手に分かれて情報収集だ」


「じゃったらルイ坊は吾が貰ってくぞ。人の街の仔細など吾には分からんからの」


「なら私はレイくんとペアね。冒険者周りの聞き込みなら任せなさーい!」


 方針が定まり、俺達は二手に別れて調査を開始した。


 俺とプラムは手始めに冒険者ギルド【嵐の牙】を訪れていた。


「───うん、じゃあまた!」


 年頃の近い冒険者との話を終えたプラムが戻ってくる。


「どうだった?」


「全然ダメ…。何人かの子と話してみたけど特に新しい情報は無し。いなくなった人達、まだ戻ってないみたい」


「そうか…」


 俺達はプラムの言っていた仲間がいなくなった冒険者から話を聞き、赤仮面に関する人の動きを探ろうとしたのだが、結果は芳しくない。


「ここも暁の翼の傘下だ。長居して勘付かれるのは避けたいし、ここは一旦引こう」


 情報が出ない以上、長時間の滞在はリスクを増やすだけだ。

 そうして俺達はギルドを離れる。


「なあ、あんたたち赤髪の女《《》》を探ってるのか」


 その時だった。背後からフードを目深に被った男が声をかけてきた。


「───誰だ、あんた」


「俺はあのギルドのギルドマスターさ」


「ギルドマスター?…その割には随分みすぼらしい格好だな」


 男は所々がほつれ、毛羽立った麻布のフードを纏っていた。その下に見える服装も薄汚れた、とても経営者のそれには見えない格好だった。


「そう思うのも無理はない。…二週間前だ。二週間前、赤い髪の女が仮面の集団を引き連れて俺のギルドに押しかけた」


「二週間前って」


「嵐の牙が暁の翼と提携を結んだ頃ね」


「そうだ。執務室に押し入ったあの女の声を聞くなり俺は俺の身体を制御できなくなった。まるで心が身体から切り離されたような気味の悪い感覚だ」


「精神干渉魔法か…。意識を残して肉体だけ操る。いかにもあの下衆がやりそうな事だぜ」


「身体を操られた俺は契約書にサインさせられた挙句、俺のギルドに近寄ることも出来なくなっちまった…」


 男の肩は震えていた。その震えが恐れなのか、怒りなのか、もっと異なる感情なのかは定かで無かったが、その言葉には信じるに足る重さがあった。


「あんたの事情は把握した。そんなあんたが俺達に何のようだ?」


「二週間前のあの日、ギルドを追い出された俺はせめてもの反抗に奴らの後をつけたんだ。…今思えば末恐ろしい行動だが無知ってのは恐ろしいもんだぜ」


「それで?何処で何を見たんだ」


「…連中は教会の地下に潜んでやがる。一番奥の祭壇が地下へ繋がる隠し階段になってやがったんだ」


「教会って…あの『青枝教会』の事…!?」


【青枝教会】─それは王国の国教でもあり、この世界で最も大きな組織の一つ。楽園にて人類を見守る神と、その楽園の中央に在るという聖樹の青い枝を信仰している。

 教会の説く神と使徒達の主が同一神物とは到底思えないが、神の使いにとっては利用しやすい拠点という事だろうか。


「よし、それじゃあ教会に行ってみるか!」


「そうね。これは大きな前進のはず!」


「あんまり無茶はするなよ坊主」


「おー。おっさんも情報ありがとな、気ぃつけろよ!」


 新たな情報を得た俺達は嵐の牙を後にした。


 ◆◆◆


「何ですか…これ…」


「あやつ正気か…!?」


 イニベータを見下ろす山々の影にソレはあった。

 ソレは巨大な蕾のようであった。青い硝子のような透明の花弁。萼には棘を持ち、黒々とした金属色をしていた。そして何より特徴的だったのが青い花弁の隙間から薄っすらと視認できる真紅の柱頭。柱頭は先細った針のような形状であり、花弁と同じ結晶質で造られている。

 そんな枝も茎も持たない地面に根ざした巨大な蕾が花開いた時、自分達に何を齎すのかなど今の二人には想像出来なかった。


「───シディさん、あれ見て下さい…!」


 ルイードが指差した方には白いフードを被った人影が三つ、赤いフードの集団と共に蕾を見上げていた。赤いフードの一人が白いフードの三人に何かを手渡す。シディが竜の視力をもって辛うじて視認したのは片手に収まる程度の青い球だった。


「誰じゃあやつら…なんじゃあの球…───今度はなんじゃ…!」


 大地が揺れ、蕾から伸びた根を赤い光が流れ始める。赤い光は根を伝い地面から蕾の萼へと流れていく。

 巨蕾を中心に異様な空気が伝播する。木々がざわめき、鳥がはためく。突然青空に雲が陰り、横薙ぎの風が吹き始めた。

 そうなってようやく、シディは蕾の正体に思い当たる。大地から吸い上げられるあの光が何なのか、その光をもって大輪を咲かせんとする蕾が何なのか。


「───まさかアレは…『雷霆らいてい砲』か!?」


 ソレは邪竜を殺すための兵器だった。神々と邪竜達の戦いにおいて、とある雷神が生み出した大地の命と引き換えに邪竜諸共空間を焼却する神の雷。

 そして邪竜は同時に気付く。あの砲塔はイニベータに照準を向けているのだと。自分達が闘技大会で生き残った場合街ごと焼き消す為に光を集めているのだと。


「してやられたの…」


 狡猾なる天使の計略は既に完成していた。今更気付いても蜘蛛の巣にかかった蝶の如き無力であった。もはや最善の手は摘まれ、犠牲無くして勝利を得ることは出来ない。邪竜はそう判断した。

 一人の少女と街の住人を命の秤をかけ、右手を巨蕾に向けた。


「待って下さい」


 少年の声が引き止める。


「あの蕾が何なのか教えて下さい。…恐らくアレが僕達の逆転の一手になるはずです」


 前髪で隠れた少年の瞳にはまだ希望の炎が燃えていた。

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勇者と邪竜の神殺し 彌伝衛儺 @hinokag

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