第3話 デスボール




「……暇なのだ」



 今日は特に何も持ってこなかった俺への当てつけか、つまらなさそうに肘をついたまま、クッキーを一枚口に放り込んだ魔王が呟いた。



「まあ今日は天気がいいし、たまには外で遊ぶのとかはどうだ?」



「んー……」



 と、俺の提案にはあまり乗り気ではなさそうに返事が返ってきた。かと思うと、何か思い立ったかのように魔王が大きく目を見開いた。



「天気がいいなら、久しぶりにデスボールをやるのだ」



「……デスボール?」



 そんな俺の疑問を解決することなく、魔王に引っ張られた俺は城の外へと連れ出された。






 *   *   *   *   *






「デスボールはボールを相手に当てて、先に全員当てたら勝ちなのだ」



「なるほど、ドッジボールみたいなもんか」



 デスボールという遊びを簡単に説明してくれた魔王だったが、俺の言葉に魔王が小さく疑問符を浮かべた。



「いや、何でもない。まあ人間にも似たような遊びがあるから、ルールはたぶん大丈夫だ」



 そんな会話をしていると、魔王城横の広場に魔物がちらほらと集まり始める。魔王が声をかけながら城を回ったおかげで、暇な魔物たちも参加するようだ。



「結構……大きめの魔物もやるんだな……」



 集まってきた魔物たちの面々を見て、俺は思わずたじろいだ。俺も図鑑でしか見たことないようなギガンテスやトロルキングと言われる巨体の魔物たちが当たり前のようにデスボールのコートの方へと歩いていく。

 他にも、図鑑にすら乗っていない禍々しいオーラを纏うドラゴンや、黄金色に光輝くスライムなど、どの魔物もダンジョンのボスに匹敵するだろう。改めて魔王城にいる魔物たちを見てみると、やはり最終ダンジョンというだけあってそれは強そうな魔物ばかりだ。



「そろそろやるのだー」



 ある程度魔物が集まったところで、いつの間に持ってきたのか、ボールを持った魔王が声をかけた。それと同時に、自然と魔物たちが二手に分かれてそれぞれのコートに入っていく。



「えっと……俺は」



「勇者はあっちなのだ」



 どちらのコートに入ろうか迷っていると、反対側のコートを魔王に指さされた。どうやら魔王とは敵になるらしい。



「ゆうしゃ、今日は負けないのだっ!」



 ボールを胸の前で強く持った魔王が、俺に向かって白い牙を見せた。



「じゃあ、スタートなのだ!」



 という言葉とともに、意気込んだ魔王が俺に目掛けてボールを投げた。






 おおおっ……意外と普通だ。ヒョロヒョロ~と緩い軌道で向かってくるボールを見て、無意識に安堵の息が漏れた。

 魔王城の魔物たちを見てどれほど壮絶なドッジボールが始まるのかと心配していたが、この様子だと人間のやるドッジボールとあまり差がなさそうだ。


 魔王の投げたボールをいとも簡単に受けると、それを見た魔王がすぐにコートの後ろの方へと逃げていくのが見えた。まあ、魔王と言っても小さな子供なわけだし、この様子だと俺も本気でやるよりかは魔王に合わせてあげるのがいいのだろう。


 そう思った俺は、

 魔王が投げてきたのと同じくらいの勢いで魔王に向かってボールを投げつけた。

 そんな俺の投げたボールをキャッチできると思ったであろう魔王はすぐにキャッチの姿勢に入る。が、俺が投げたボールは魔王に届くよりもはるか前で、視界の端から伸びてきた大きな手が掴んだ。



「貴様、いきなり魔王様を狙うなんて卑怯な奴だナ」



 俺のわずか数歩前、いい天気の青空を見上げるくらいの角度から、ギョロっとしたギガンテスの大きな一つ目が俺を睨んだ。



「いや、そういうわけじゃ……」



 俺の言い訳なんて聞いてくれるはずもなく、ボールを掴んだ丸太のようなギガンテスの片腕が天高く振り上げられる。豪快に振りかぶったその姿から放たれるボールに手加減という言葉が含まれないことは一瞬にして感じ取れた。



「ヌグアアア」



 ギガンテスの小さな雄たけびとともに腕が垂直に俺へと向かう。と同時に、ズドンと、目にもとまらぬスピードで俺の視界を横切った何かが、地面に穴をあけた。




 これは死ぬ……。


 その何かが、弾力のあるボールだと理解し、そしてそんなボールで地面に穴をあける程のパワーに生物としての本能がそう告げた。



「外したカ」



 奇跡的に生き残った俺を見たギガンテスはそう吐き捨てると、コートの後ろの方へと退いていった。

 ……こうなったらもう、早めにアウトになろう。できれば魔王が投げるボールで――



「さあ、反撃よ」



 そんな弱気になりつつあった俺に、一匹の魔物が地面に埋まったはずのボールを渡してきた。



「いや、俺は――」



 という俺の口を、その魔物は人差し指の腹でそっと押さえた。

 大人の女性を彷彿とさせる身体つきと、まるでその美貌を見せびらかすように肌を大胆に露出したその服装。背丈は俺と同じくらいで、周りと比べるとはるかに小さいその魔物の姿は、まるで人間のようだった。



「分かってる。あなたは私たち魔物を傷つけたくないんでしょ。でも大丈夫、これは遊び」



 俺の顔のすぐ近くまで迫ったその顔は、これまで見たこともないほどに整った顔立ちだった。

 その魔物の囁くような声が俺の耳を撫で、吐息の甘い香りが俺の鼻をくすぐる。そして優しく微笑みかけるその魔物の瞳を見ていると、思わず彼女の言うことを聞いてあげたいと思いそうになる。



「コレはアソビ……」



「そう。いい子ね」



「オレはイイコ……」



 彼女の優しい声が俺の全身を巡る。ああ、どうしてだろうか……この魔物の言うことを聞いているとなんだか気持ちが良くなって――



「こらー!勇者を誘惑するのはダメなのだーっ」



「――ハッ!?」



 そんな意識が奪われそうになるほんの一歩手前、遠くから聞こえてきた魔王の声によって俺は我に返った。



「あら、もう少しで気持ちよくなれたのに残念ね」



 俺が理性を取り戻したのを見て、その魔物は少し意地悪そうな表情で俺を見つめた。



「もしかして……サキュバスか?」



「ふふっ、せいか~い」



 俺の言葉にサキュバスはまたも優しく俺に微笑みかけた。

 噂には聞いたことがあったが、分かっていてもその誘惑から自力で逃げることができない。なんて……危険な力なんだ。



「もし本当に気持ちよくなりたかったら、今度はあのおチビちゃんがいないところでね。いつでも相手してあげる♡」



「え、いや……」



 と、思わずはいともいいえとも捉えることができない反応をしてしまった。

 そんな会話をしていると、『こらーっ!』とまたもや魔王の叫ぶ声が聞こえてきた。



「さて、じゃあまずはあの脳筋ギガンテスから殺りましょう。あなたはおチビちゃん目掛けて本気でボールを投げてくれる?」



「え……魔王にか?」



 戸惑う俺に、サキュバスは笑顔でコクリと頷いた。



「ギガンテスはおチビちゃんを守る節があるから、きっと動くはずよ。そうなったらあとは私に任せてくれたらいいわ」



「わ、分かった」



 半信半疑ではありつつも、一緒に遊んでいるということは魔王の敵ではないのだろう。となると、ここはサキュバスの言葉を信じてみることにしよう。

 それにきっと魔王なら俺が本気でボールを投げても大けがとまではいかないはずだ。



「じゃあ、行くぞ」



 そう言った俺は少しばかりの助走をつけ、掴んでいたボールを目一杯の力で魔王に向かって投げつけた。その速さはさっきのものとは比べ物にならず、ゴォォという音を立てながらまっすぐに魔王のもとへと伸びていく。



「貴様、またしても魔王様ヲ」



 そう言ったギガンテスが魔王を守るように腕を伸ばす。

 確かに、サキュバスの言った通りだ。だが、さっきよりボールの勢いはあると言っても、また同じようにギガンテスにとられてしまうんじゃ……。




 そう思っていると、突如として俺の投げたボールの軌道が変わる。

 まるで何かにぶつかったかのように……んっ!?


 ボールの軌道が変わった場所を見てみると、そこにはさっきまで別のところにいたはずの魔物が地面に転がっていた。そして軌道を変えたボールに次々と別の魔物が当たろうと飛び込んでいく。



「ナッ……」



 ギガンテスも幾度となく変わるボールの軌道を何とか目で追うも、魔王を守ろうと伸ばした腕が仇となり、ボールは無防備になったギガンテスの身体に当たって地面へと転がった。



「ず、ずるいのだ」



「うふふ、私は何も知らないわ?」



 魅了が解除されたであろう相手チームの魔物たちは、何が起こったかわからない様子で首を傾げながら場外へと退場していく。

 おそらくここにいる全員が、サキュバスの魅了によって引き起こされたことだと理解はしているものの、魅了状態を解除してしまえば証拠は残らない。魅了する能力と言い、策を練る能力と言い、敵にすると相当厄介そうな魔物だ……。



「ぬぬ……こうなったらこっちにも考えがあるのだ」



 魔王は転がったボールを拾うと、まだアウトになっていないドラゴンの背にまたがった。



「さあ、飛ぶのだ」



 その掛け声で羽ばたいたドラゴンが勢いよく俺たちの陣地へと滑空し始めた。



「ちょ、ちょ、ちょ……線を越えてるぞ魔王」



「地面に足はついてないから問題ないのだ」



 ひゅんと俺たちの間をすり抜けると、魔王を載せたドラゴンは空で大きく弧を描く。そして、先ほどよりも一層勢いを載せて俺たちに向かってきた。



「みんなの仇なのだっ」



「あんっ♡」



 すれ違い様にボールを当てられたサキュバスが艶めかしい声を漏らす。



「これでサキュバスはアウトなのだ」



 ボールを当てられたサキュバスが場外へと退場していく。

 くっ……頼りになりそうなサキュバスがこんなにも早く退場させられてしまうとは……。かなりの痛手だが、サキュバスが大量にアウトを取ってくれたおかげで、数としてはまだまだこっちに分はある。



「ドラゴン、もう一回行くのだ」



「やば……」



 サキュバスの豊満な胸に当たったボールはぽよんと優しく跳ね返ったようで、相手陣地へと転がっていく。そのボールを拾いあげた魔王はすぐに2回目の攻撃態勢へと入った。



「心配しなくても、ゆうしゃは最後のお楽しみにするのだぁぁぁー」



 そんな言葉を宙に残しながら、ドラゴンに乗った魔王は次々とボールを当てていく。当たり所がいいのか、それとも魔王の計算なのか、ボールが相手陣地に転がっていく。それを拾ってはドラゴンとのタッグアタックを繰り返す魔王によって、俺のチームは為す術もなく壊滅状態に陥った。



「これで、終わりなのだ!」



 最後の一人となった俺目掛けてドラゴンが滑空する。そして俺の周りを縦横無尽に飛び回りながら、俺のすきを窺った魔王がボールを投げた。

 ドラゴンの飛ぶ勢いと魔王の腕力を載せたそのボールは俺の死角を伝って右頬へと一直線に向かい、バシンッ——と、今までよりも鈍く乾いた音が空に響き渡らせた。






「——そんなもんか、魔王ッ」



「と……とったのだ!?」



 確かに、ルールの裏をかいたこの攻撃に対応するのはほぼ不可能だろう。だが、何度も魔王のボールを投げる姿を見れば、ある程度の攻撃は予測できる。




 それが、『勇者』というものだ。


 俺は視線をボールにやることすらなく、振りかざした右腕の掌で魔王の投げたボールを受け止めた。その人間離れした奇業に、魔王は呆けた声を出して自陣のはるか後方へとすぐさま戻っていった。



「今度は、こっちの番だな」



 いつの間にか怖いという感情はなくなっていた。いいことだ、今は勝つことだけを考えよう……。

 まずは今の攻撃ができないよう、まずはドラゴンを——狙うッ。



「うらぁぁっ!」



 俺の雄たけびとともに放たれたボールは先ほどとは比べ物にならず、空気と擦れて火花に包まれる。その燃えるボールが自分に向かって飛んできているとドラゴンが認識したときには、俺の投げたボールは既にドラゴンにあたって俺の元へと跳ね返っていた。



「あと二人……。心配するな、魔王は最後のお楽しみにしてやるよ」



 アワアワと慌てふためく魔王に向かって、先ほど言われた言葉を返しす。そして、もう一方の、ボストロールめがけてボールを投げつけた。

 これであとは俺と魔王の一騎打ち……。




 俺がそう思った刹那、ボストロールが手に持っていた棍棒を素早く振りかざした。

 俺がそうであったように、ボスレベルのボストロールにとっても自分に来ると分かっている攻撃に備えることは容易かったのだろう。音速で向かってくるボールを、ボストロールはいとも簡単に打ち返す。

 バゴォン——という轟音とともに跳ね返ってきたそのボールは、油断して一切反応することのできなかった俺の顔の横すれすれを間一髪通り過ぎて行った。




 ……いや、え?



「それは……セーフなのか!?」



 思わず魔王にルールの確認を促す。

 いや、ボールを打ち返すのは俺の市っているドッジボールではアウトのような気がするが——。



「棍棒はボストロールの体の一部じゃないからセーフなのだ」



 そんな俺に、毅然とした態度の魔王から言葉が返ってきた。

 確かに……体の一部ではないが……。




 なんとなく腑に落ち切らないものの、確かに身体の一部ではないなととも思う。

 いや……そもそも、魅了を使ったり、空を飛んで相手陣地に侵入したりする時点で俺の知っているドッジボールではなかったと気づく。


 うん……。まあいいか。




 とりあえず自分を納得させて、相手ボールでデスボールが再開する。どうやら俺がボールをとれなかったせいで自陣からボールが出てしまったらしい。

 ボールを持った魔王がフフンと得意げな表情を浮かべる。そして、俺の真似をしたのか、助走をつけて前線へ走ってくる魔王。



「これで、ほんとに終わりなのだ」



 そう言って、魔王の手からボールが離れる。大丈夫だ、魔王の投げるボールなら、落ち着けば簡単にキャッチできるはず……。




 ——いや、待て。そんなことは魔王も分かっているはずだ。

 見た目は子供と言えど、魔王もそこまで馬鹿ではない。味方にはボストロールだっているのに、わざわざ魔王が投げてくるなんて、裏があるに違いない。


 魔王の手からボールが離れるその一瞬で色々な可能性が頭の中を巡る。

 一番可能性が高いのは、魔王の投げたボールをボストロールが棍棒で打つという連携業だ。だが、これは芸がなさすぎる。それに、正面であれば俺が反応できることは魔王も分かっているだろう。

 となると……魔法か!?


 魔王の手からボールが離れる。それと同時に、俺は後ろを振り返った。

 案の定、何もないはずの俺の背後には、黒く渦巻いた小さな空間ができていた。そうだ、魔王はボールを俺の背後にワープさせて俺に当てるつもりだったんだ。



「残念だったな魔お——」



 完全に読み切ったと確信した俺は、ニヤリとした表情で魔王の方を振り返った。

 が、その振り返った視界には、棍棒を持った腕を大きく振り上げたボストロールがベロを出して笑っていた。



「嘘……だろ……?」



 このワープホールは……フェイク?

 魔王の手から離れたはずのボールは俺に向かってでも、どこかにあるワープホールの入り口でもなく、魔王が立っている場所の空高くへと投げられていた。


 あんぐりと口を開けて、少しだけ土で汚れたボールが綺麗な青空に馴染んでいくのを目で追った。そして、そのボールがちょうど太陽にかぶろうというところで、ボストロールの振り下ろした棍棒がジャストミートした。


 今度は俺の真正面にボールが飛んでくる。が、一度後ろを向いたせいで、俺の身体はまだ正面を向くことができなかった。


 ……これは、完全に俺の負けだ。

 目の前に迫ってくるボールに意識だけは反応するも、身体はその動きについていけなかった俺は『ぶへぇ』という鳴き声を上げて、飛んできたボールを顔面で受けた。



「ゆうしゃ、アウトなのだーっ!」



 という魔王の声を聴きながら、俺は地面に倒れ込んだ。



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