第26話

 一心は丘頭警部から田浦鴻明の自首の話を聞いて、残念に思った。下藤爽太は娘を庇うという言い訳を盾に、自分の犯罪も隠そうとしている。一心の思いは届かなかった。真実を目の前にして、そこへ通ずる道が無い。

丘頭警部と話をしてもう一度盛岡へ行くことにした。

丘頭警部はもっと複雑な思いを背負っていた。えん罪事件と知りながら上司には認められず、公に捜査もできないのだ。

 

 次の日曜日の午後二人で下藤宅を訪れた。今日は家族全員と話したいと言ってあった。

奥さんが淹れてくれたお茶を一口啜ってから一心が口を開いた。

「俺はこれ程お互いに愛し合っている家族を見たことは無い。しかし今日は、ご家族の間の秘密を明らかにし、えん罪事件が二度と起きないようにしたい。もう、今となってはそれしかできないので、そのために東京から来ました。余計なお世話だと言わないで下さい。玄武勇元刑事はここにいる丘頭警部の仲間だった人です。その仲間を殺された悔しさ、しかも真犯人を逮捕出来ず、えん罪事件に対して何もできない悔しさは、あなた方には知り得ないでしょう」一心が話している間三人は俯いたままで微動だにしない。

「よろしいですか?お父さんが秘密にしていたこと、娘さんが生まれてからずっと隠し続けたのは、お嬢さんがお父さんの子供では無くて、田浦鴻明さんの子供だということを、お父さんも知っていたということです」

一心がはっきりと告げると、妻と娘は飛び上がるように驚いて、目をまん丸に見開いてお父さんを、夫を見詰めている。

「そうなんだ、探偵さんの言う通り、私はほのかが生まれた時、病院の情報を見てしまったんだ。もしやという気持ちが心の何処かにあって、そうさせたんだ。でも、口には出せなかった。家庭が壊れるのが怖かった。お前が家を出ると言ったらどうしようと思ったんだ。私は自分の愛する妻が産んだ子供は、自分の子だ愛しいに決まってる、そう思い込もうとした。しかし、そんな努力は要らなかった。生まれた子供は本当に可愛かった。自分の血がどうのと言う事は完全に頭から消えていた。本当だ。だから、生涯出生の秘密は口にせず、この子のために尽くそうと思った。そして自分の思った以上に優しい娘に育ってくれた」下藤氏が告白した。

「そんな!あなた、知ってたなんて」奥さんは、か細く震える声で漸くそう言って、ぼろぼろと涙を零した。娘は大きな瞳から大粒の涙を流し「お父さん!ごめんなさい」と言って両手で顔を隠して泣いた。

「あなた、ごめんなさい!私、取り返しのつかない嘘をあなたについてきた・・・」叫ぶように呻き、そして床の上で土下座して「あなたを失いたくなかった。ごめんなさい!」そう泣き叫んで床に頭を擦り付ける。

それを見て娘も床の上で土下座して泣いて謝る。

 下藤氏は、一人ずつ肩を抱いてソファに座らせて「私は、告白したら、ひとみやほのかが家を出ると言い出すんじゃないかと怖かった。きちんと話をしていたら・・・悪いのは私なんだ。すまなかった」そう言って今度は下藤氏が床の上で二人に向かって土下座をした。その嗚咽し震える肩には忸怩たる思いが溢れていた。

二人は慌てて「そんなことは無い、悪いのは私」と口々に言って下藤氏をソファに座らせた。

 一心は「お分かりですか?あなた方は相手を愛するあまり、その関係が壊れるのを極端に恐れ、秘密を海の底に沈めてしまおうとした」そう言ってから、少し間を空けて「そして、その沈めたはずの秘密がとんでもない殺人事件を生んでしまった。それもお父さんは気付いていたんですよ。ひとみさん!ほのかさん!」

そう言われて二人はまた驚いて顔を見合わせて、下藤氏の両側から抱きついて「ごめんなさい」と謝罪し、号泣する。

 下藤氏はその時のことを語り始めた。

「あの事件の時、家に帰ってすぐ妻の様子が可笑しいことに気が付いた。声を掛けるたびにビクッとし顔は引きつって、無理やり作った笑顔はいつもの優しい美しさはなかったし、手の甲に付いた血も気になった。

 翌日、哀園るりが殺害されたと報道があって、現場が当時の家から200メートル程度しか離れていなかったので、何か関りがと思ったが口にはできなかった。そして田浦鴻明が逮捕された時、すべてを理解した。

でも、どうするのが良いのか分からなかったし、娘を助けたかったので黙っていた。

 それから十数年後、玄武勇元刑事が家に来た。妻との話を応接室の受話器を浮かせて聞いていて拙いと思った。

それで、私は、田浦が朝の散歩中に育ての親だと名乗って話しかけ、娘を助けるためにと言って先日探偵さんが言った方法で作った毒入りの野菜ジュースを渡したんだ。それがすべてだ」

話が終わると「そんな事させてしまって、ごめんなさい」二人はそう言って下藤氏の肩に顔を埋めて泣いた。

 

 「私は、お父さんを逮捕する方向で捜査していたけど、県警から過去の事件は結果ありきという立場だ、という捜査方針を聞かされて諦めざるを得なくなった。だから、今となっては、お嬢さんが幸せになることで田浦鴻明さんに恩返しするしかない。そして二度と同じことを繰返さないために家族の中での隠し事は、この三人の中でも、お嬢さんの新しい家族の中でも絶対にしないで下さい。それだけです」警部はそう言って頭を下げた。

 三人は、申し訳ありませんでした、と謝罪しテーブルに手をついて頭を下げた。

 

 30分後、一心と警部は悔しさを吹き飛ばすかのような勢いでわんこそばを食べ続けていた。

そして、東京へ帰る新幹線に乗った。

 

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