SIDE05 別魂の調べ(前編)
※過去編(瑠惟19歳、絋夢17歳)―絋夢視点―
その電話を取ったのは……俺だった。
◇◇◇
その日は、倉沢夫妻が20回目の結婚記念日として計画していた二泊三日の旅行から帰ってくる日だった。夫妻の居ないこの3日間、喫茶店は休業という形を取っている。
俺は推理小説を読みながら、リビングのソファで寛いでいた。
途中……電話が鳴り響く。
店ではなく自宅の方だったので出るのに若干躊躇ったのだが、瑠惟は頭痛がすると言って昼食の後からずっと寝室に籠っていたので、しばらく考えた後……受話器を取った。
「はい、倉沢です」
「こちらS病院からですが、倉沢
抑揚のない静かな口調に胸がざわめく。
「そうですが……何か……あったんですか?」
自分の心臓の音がやけにウルサイ。
不吉な想像ばかりが浮かんできて、凪ぎ払うように頭を振ったところで、
「お急ぎ当病院までお越し下さい。ご夫妻が交通事故にあわれました」
そう告げられた……。
「瑠惟っ」
簡単な説明を受け、受話器を戻してすぐ瑠惟の部屋に飛び込んだ。
「瑠惟っ起きろ。すぐ出掛ける」
肩を揺するとゆっくりと瞼を開ける。その瞳が俺を捉えて不思議そうに瞬きした。
「ひろ……む?」
「瑠惟、出掛けるから急いで準備しろ」
「え? あ……うん」
まだぼんやりとした様子のまま着替え始める。
「何処にいくの?」
着替えを済ませ脱衣所に行く途中の瑠惟に話し掛けられた。
「病院……」
「病院? 何かあったの?」
動きを止めた瑠惟に、「行きながら話すから、準備出来たら表に来て」それだけ伝えて、俺は電話でタクシーを呼んで下に降りた。
瑠惟も俺に続いて降りて来る。
そして店の前に停まったタクシーに急いで乗り込んだ。
「S病院までお願いします」
目的地を伝えると運転手はドアを閉めて発進した。
「絋……夢。何が……あったの?」
尋ねる瑠惟の声が微かに震えている。
「瑠惟……」
俺は瑠惟の右手をぎゅっと握り締めた。
「ひろ……?」
「……マスターと瑠美子さん……が、交通事故にあったって」
「………………え……?」
たっぷり間を置いて発した後、瑠惟の身体がさらに震えだす。
「どん……な?」
絞りだした声に胸が潰れそうだった。
「ごめん……俺も詳しくは分からないんだ」
「そっ、か……」
それ以降 病院に着くまで、瑠惟は一言も話さなかった。
病院に着いて受付で電話があったことを伝えると外科の入院病棟に案内された。そこのナースステーションで「倉沢ですが」と瑠惟が名乗ると50代くらいの看護師が出てきた。
「ご家族の方ですか?」
「息子です」
瑠惟の返答に頷き「こちらへ」と案内される。
病室に入ると頭に包帯を巻き、いくつもの管を通された瑠美子さんがベッドに寝ていた。痛々しいその姿から思わず目を逸らしてしまった。
「母さんっ」
瑠惟が駆け寄り膝立ちになって手を握り締めたが、瑠美子さんからの反応は得られない。
「あの……どんな状態なんですか!?」
泣きだしそうな顔で見つめた瑠惟に看護師は伏せ目がちに「頭部に強い衝撃を受けたようで意識が戻らないのです」と告げた。
瑠惟は瑠美子さんの手を握っている自身の手の甲に祈るように額を乗せる。
「母さん……。起きて母さんっ。目を開けて!! ……母さんお願いだ……目を開けてっ」
室内に響く悲痛な声に涙が出そうだった。
「すみません。マスタ……いえ、惟斗さんは?」
隣に立っている看護師に、小声で尋ねると彼女も声を落として瑠惟に聞こえない程度の大きさで返答した。
「倉沢惟斗さんは……此処に運ばれた時にはすでに、息がありませんでした」
案内された病室に瑠美子さんしか居ない時点で何となく嫌な予感はしていた。
「そう……ですか」
目頭が熱い。俺は顔を掌で覆って乱暴に目尻に浮かんだ涙を拭った。
しばらく俺たちに付き添っていた看護師は「何かあったらナースコールを押して下さい」と残して出ていった。
俺と瑠惟……そして瑠美子さんだけが残される。
「ぁ……さん」
もうほとんど嗚咽で何を言ってるのか聞き取れない言葉が繰り返される。
「瑠惟……」
呼び掛けると涙でぐちょぐちょの顔を上げて俺に抱きついた。
「絋……、ひろ」
俺の胸元に顔を埋めて震える身体を抱き締めると、瑠惟は時折肩を大きく上下させ、俺にぎゅっとしがみ付いた。
どれくらい経っただろうか?
病室に備えられていた椅子をベッド脇に移動させ、泣き疲れた瑠惟を腰掛けさせた。
瑠惟はすぐに目の前の瑠美子さんの手を握り締める。
「かあさん……目を開けて……お家に帰ろう? 一緒に……帰ろ……う。……ね? かあさん」
語りかける優しい口調が胸に悲しく響く。
涙というものは枯れることが無いのだろうか? 散々泣いた瑠惟の瞳からまた涙が溢れだす。
その後の瑠惟はただ俯くばかりで、それ以上言葉を発しなかった。
しかし突然はっとしたように顔を上げた。
「母さん?」
何が起こったのかと瑠美子さんを見ていると、微かに瞼を震わせ、小さく唇を動かした。
それは……音を発していなかったけれど、彼女の息子の名を紡いでいたのではないかと思う。
そして……心肺停止を告げる音が響いた。
瑠惟は瑠美子さんの手を握り締めたまま動かない。俺は涙を拭ってナースコールを押した。
駆け付けた医師と看護師によってすぐに蘇生処置を施されたが……結局瑠美子さんのその笑顔を再び見ることは叶わなかった。
放心した瑠惟をどうにか連れて帰った時には遠く……朝日が昇り始めていた。
幸福の温度 和泉 @kei_izumi
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