第12話「学校、二度と行けなくなるかも」


 小麦色の天使――少し大げさな表現だっただろうか?

 いや、そんなことはない。


 砕華の褐色の肌と白い水着のコントラストにより、どちらもキラキラと輝いて見える。

 そして可愛らしい水着のデザインとは対照的に、予想以上に「大きなもの」をお持ちだ。

 フリルで覆われていて詳細は計り知れないが、布を押し上げる二つのそれは兵器的な威力を内包していることが、丸みを帯びた輪郭と存在感からはっきりと分かる。


 むき出しの腹部はキュッと締まり、うっすらと腹筋の美しい縦筋が見える。

 そのまま下ると、腰から太ももにかけては女性的な丸みがあって、とても扇情的だ。


 はっきり言おう。眼福であると。


「めっちゃ似合ってる。可愛いよ」


「ちょ! 恥ずいからドストレートに褒めんなし……」


 砕華は顔を赤らめて身をよじる。

 先程までの挑発的な態度はどこへ行ったのか、恥ずかしがる姿もなんとも可愛い。


 クラスではいつも他人を寄せ付けない雰囲気を放っているギャルの砕華。その彼女がこんな表情をするなんて、俺は少し前まで想像することもできなかった。

 まるで新たな、というより元々彼女が持っている魅力がどんどん引き出されていくかのようで、気分が高揚する。


「でも胸がキツイなぁ。それにちょい子供っぽくない?」


「そんなことないと思うけど」


 砕華は鏡に映る自分の姿をしきりに確認し、少しするとなにかを納得した様子で頷いた。


「うん! もう片方も試そ!」


 意気揚々とする砕華は再びカーテンを閉める。

 次は黒い方に着替えるのだろう。

 黒い水着は白い水着よりも大胆なので、気を引き締めておかないと変なことを言いかねない。


 決してセクハラまがいの発言も行動もするつもりはないが、俺の中の獣が目を覚ましたら俺は自分を抑えられる自信がない。

 そうだ、どんなコメントをするかあらかじめ決めておこう。そうすれば不用意な発言をすることもない。

 だが先程と同じ感想では満足しないだろう。


 思考を巡らすために深く息を吐き、着替えを待っている間、俺は閉じられた試着室から視線を外す。


「……ん?」


 その時、俺の視界に妙なものが入り込んだ。


 場所は二十メートルほど離れている別の売り場。

 そしてその妙なものとは、黒づくめの集団だった。


 黒いスーツを纏い、サングラスをかける大柄な男が四人。

 それらの中央にはサングラスをかけた妙齢の女性がいて、男たちはその女性を守るような位置取りをしている。


「どう見ても普通じゃないな……」


 まるでお忍びでショッピングに来た政府の要人と、その警護をするSPだ。というかそれにしか見えない。


 黒い集団は近くの売り場に入っていくと、男たちが二手に分かれて売り場を物色していき、少しすると速足で戻って来る。

 その後、女性が一人だけで売り場に入り、男たちは売り場の前で後ろ手に組みながら売り場の外を見張るような動きで待機した。


 うん、完全に要人のお忍びショッピングだ。

 それもどこかの国の首相並み。


 ほどなくすると女性は売り場から出てきて、そのまま隣の売り場へ移る。

 同じ様に黒服の男たちが売り場を確認し、終わると女性が売り場を見に行く。その繰り返しだ。


 そこで俺は気付いた。

 このまま一つずつ売り場を移動していくと、ほどなくして俺達の方へやって来ることに。

 あの女性が水着を買う予定があるかどうかは分からないが、特に法則性もなく物色しているように見えるので、おそらくこちらにも来るだろう。


 とはいえ、あの女性がどこの誰だろうと所詮ただの高校生である俺達にはなんら影響はないはず。

 なので、俺はそれ以上気にしないことにした。

 そろそろ黒ずくめの集団から視線を外そうと思ったその時、試着室のカーテンが再び開く音が聞こえた。


「お待たせ! 思ったよりも大胆だけど、コレけっこう好きかも。ねえ、衛士はどう――」


 砕華が二つ目の水着姿を披露しながらそう言うので、やはりドキドキしつつも視線を正面に戻そうとする。

 その時だった。


「衛士! こっち来て!」


「え? ちょ、わわわっ!?」


 突然、俺は砕華に腕を掴まれて、勢いよく試着室の中へ引きずり込まれた。

 その際に試着室の段差に足が躓き、俺はバランスを崩して砕華の方へ前のめりに倒れてしまう。

 普通の女子なら俺の体重を支えられずこのまま押し倒してしまうだろうが、砕華は違う。

 俺の体はそのまま彼女の体でしっかりと受け止められた。


 しかも顔面から。


「ンぐっ!?」


 俺の鼻と頬を覆う様にして、柔らかいものと人肌の生温かい感触が伝わって来る。

 同時に俺の視界は小麦色の谷間で埋め尽くされていた。


 そう、砕華の胸の谷間である。

 俺の顔はなぜか砕華の胸に包まれているのだ。


 どうしてこうなったのか?

 そもそもなぜ砕華は俺を試着室へ強引に引き込んだのか?


 混乱する頭で必死に考えても理解が追いつかず、とりあえず急いで砕華の胸から顔を離そうと動く。

 が、砕華の両手が俺の頭を抱えて放さない。離れられない。

 むしろ離そうとすればするほど押し付けて動けなくなる。


 これ以上は色々と、色々とまずい。

 幸福と羞恥と罪悪の三すくみでどうにかなりそうだ。


「んん!? んんんん~!」 


 離してもらうよう訴えるが、俺の口は砕華の胸で塞がれてしまっていて言葉にならない何かが漏れ出るのみだ。

 すると砕華が俺を見下ろしながら、人差し指を自分の口の前で立てた。


「シッ! ジッとしてて! あーもう! なんでここにいんの~!?」


「?」


 砕華はカーテンの隙間から外を覗き、何かを見ているようだ。

 警戒している様にも見える。


 だがこのままだと、鼻と口が塞がれているせいで呼吸が出来ない。

 俺は砕華の腕を二回叩き、ギブアップを訴える。


 すると砕華も気付き「あ、ごめん」と言って腕の拘束を少し緩めた。

 俺はすぐさま顔を離し、息を吸う。

 一瞬だけ、ラズベリーの甘い香りが鼻腔をくすぐった。


「ぷはっ! あー、死ぬかと思ったぁ」


「ごめんごめん。苦しかったよね」


 正直呼吸はまだ続いたが、それ以上に顔に伝わる感触が耐えられそうになかった。

 そして胸の谷間はまだ目の前にある。

 このまま早く試着室を出たいのだが、砕華が俺の肩を掴んでそれを許さない。


「でもお願いだから静かにして。外に出ないで」


「いったいなんなんだよ。外になにかあるのか? まさかバリアントが――」


 砕華が警戒するものといったら、バリアント以外に想像できない。

 もしやこのショッピングモールにバリアンビーストが現れたのだろうか?

 それも見敵必殺のメテオキックが試着室に身を隠すほどの強敵が。


 いったいどれほどの敵なのかは砕華だけに分かるのだろう。

 少なくとも俺には分からないし、そんな気配も感じない。


 砕華は顔を青くしながら、その正体を告げる。


「……ママがいるの」


「は?」


「ママが、すぐ近くにいるの! 今日はお仕事だと思ってたのに、まさかお休みだったなんて!」


 ママ?


 一瞬、思考が完全停止した。ゆっくり咀嚼して理解に努める。


 つまり、砕華の母親がこのモールにいるということらしい。

 そういえばこの階の売り場には妙齢の女性がいた。

 黒服の男たちを連れている、政府の要人の様な人物だ。


 そして砕華の母親はバリアント対策本部のトップ。

 まさしく政府の要人と同等である。


 しかし、だからこそ分からない。


「なんでお母さんがいると、俺達が隠れないといけないんだ?」


 ひとまずバリアンビーストではないことに安心したが、それがなぜ砕華と俺が試着室に隠れなければならない理由になるのだろうか?

 むしろこれはお母さんにご挨拶をするいい機会なのではなかろうか?


 偽物の恋人関係とはいえ、恋人として親御さんに顔を見せておくのは大事だろう。

 あのとんでもない父親ならともかく、人類の味方である母親の方なら問題ないはずだ。

 そう思い外に出ようと試みるが、やはり砕華に止められる。


「ダメ! アタシらがここにいるの、バレたらヤバイんだって!」


「ヤバイ? どうして」


「ウチは恋愛禁止なの!」


「……ん~?」


 初耳なうえに衝撃的過ぎて、またしても思考が止まる。


 どういうことだ?

 俺達はまがいなりにも恋人関係で、でも砕華は母親から恋愛禁止令を受けている。

 つまりこの関係は矛盾していて、本来はあり得ないということだ。


「ちょっと待って。もしかして俺達のこと話してないのか?」


「ムリムリ! だから恋愛禁止なんだって! ゼッタイ許してくんない!」


「えっ、じゃなんで彼女(仮)引き受けたの?」


「それはその、プールデートまでの間だけって話だったしぃ……少しの間なら、バレないかな~……って」


 たしかに、俺達の関係はプールデートまでだ。

 それが終われば元のクラスメイトの関係に戻る予定で、恋人関係だったことを知るのはきっと慧斗達だけとなる。

 慧斗達からクラス内に伝わる可能性もあるが、広まってもそこまでだ。


 だから砕華はこの関係を無かったものとして、母親の前では隠し通すつもりだったのだろう。

 それが俺の願いを受け入れる唯一の方法だったのだ。

 同じ立場なら俺だってそうするだろう。


 問題は、母親に恋愛していることがバレた時のリスクがいったいどれ程のものなのか、だ。


「ちなみにバレたらどうなるんだ?」


「まず、夏休み中はメテオキックの活動以外、外出禁止にされる。でも下手したら……」


「下手したら?」


 続きを促すと砕華は最悪の事態を想像したのか、顔を真っ青に染めながら涙目で言った。


「学校、二度と行けなくなるかも」


 俺は喉の奥で小さく唸った。






 第2章 ヒーローがヒーローやってる理由はだいたい私情  完


 第3章へつづく

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