新仮名・新字体版

 縫目は靑い。

 糸の縁は黒い。

 膨れ上がっている。

 寿永連じゅえいれんと謂う。

 綴人zhui renと書く。

 縫目が、内側から風船のように膨れ、はち切れそうで、しかし破れない。だからそういう。泉筆が綴るように縫目が体表を走り、巧妙に綴じられているから、と。

 五人、六人の人間が、強靭な糸で縫い合わされる。皮膚は予め切開され、血管も直径に対して垂直に切られては繋ぎ直される。筋繊維が絡み合い、赤血球が交じり合い、しかし綴り合わされた人体、綴じられた傷口の周りに、死斑は出ない。拒絶反応を起こさない肉体を使うよう《製作》の前段階で入念に検査してある。繋ぎ合わせる人間の選定から既に《製作》は始まつている、と青木は言う。

 今目の前にあるのは、床から腰ほどの高さに纏められた六体目の綴人、男が四人、女が二人か。乳房が三つ横並びに並び、三つ目の房のかたわらの肉は削げ落ちている。男は壮年のもの、枯れ木のような老人、それから少年の、若く新芽のような肌理の皮膚が、これは二人ぶん見える。女のほうは、どうだろう、皮膚のたるみ具合や肉付きから察するに、不惑を越した頃合か。どうあれこうなってはひと月とも永らえる命ではない。

 女が二人逆海老反りに縫い止められている以外は、男たちは全然野放図に結合せられている。腕が腰に、踵が肩に、肘は腹に、左腕は脛に、薬指はこめかみに……。老爺の腕は股下を通って尻に結ばれ、肉の達磨めいて縮こまる。その体を覆う毛布になるように、壯年の男が老爺に寄り添い、その脚を老爺の背に肩に縫合されて、眼前に老爺の尻穴を拝む位置で頸を固定される。

 男の頭を押さえているのは少年の諸手、こちらは肩口から切り取られて、一度老爺の腰に縫い合わされてから、膝のように肘が屈曲して起点へ戻り、壮年の男の頸を、老爺自身の意思によるかのように、アヌスの先で押さえつける。その指と顔の皮とは縫い合わされ、否、やはり他の部分と同様、皮膚を開いた上で組織を結合せられているか。男の上下の瞼の隣を二本の細く骨ばった指が横切る。色の違う皮膚は隙間無くぴたりと縫われている。爪の根元が青く澱んでいる。女の、削ぎ落された四つめの乳房は、少年の体毛の薄い胸の中心に、太陽光線のような縫目を八方に広げて綴じられ、乳首の脇に半ば干からびた眼球が植わる。

 ……少年という程の歳ではないよ、きみと変わらない、と青木が言う。

 すると二十歳か。皮膚の肌理ばかり見てしまう。髭の生え具合はどうかと見て、顔の下半が無い。

 いや、違う。所々、緑色に光っている。寄って見、腐毒の臭いが強い。当然か、暗い鼻の下の爛れが、顎を抜け、鎖骨にまで広がる。潰瘍めいて滲出液に塗れて、ぬらぬらと、そこかしこに蟠つているのは流れ落ちた膿。蛆虫は湧かない、未だ。暖房の無い部屋で地中から這い登るように臭い、地衣類のようにてらてらと光るのは、切り刻まれ、繋ぎ合わされた肉体と、そこから流れ落ちる液と涙のみだ。二十歳だという生白い男の膚は人中から下は肩まで剥がれ、肋の浮いた胸の中心には切り落とされた女の乳房が太陽のように縫われている。綴人の新趣向だ、と青木がまた言う。腕に寄りをかけた。事実そうだろう。靑年の、女たちの喉は潰され、全員の口は縫われ、鼻の穴も塞がれ、瞼も半ばは綴じられ、右の眼球だけが開いている。恐怖の色も鮮やかに靑木を視る眼の隣で、同じに忙しいらしい眼球の動きを透かして見せる目蓋の皮膚の細波が立っていたのは昨夜までのこと。屠殺された牛の涙に潤みながら澱んだあの眼が、蜃気楼のように女の閉じかけた眼に重なる、睫毛が長いのが、蜃の、貝殻の輪郭に点々と並ぶ青い眼を彷彿させる。膚は味噌汁の貝の身のように萎びている。呼吸は浅い。老爺の、右の鼻の穴だけが開かれて、呼吸の為の通気口の役目を担っている。総身は刻々と酸欠に腐れる。時折裸身のどこかが小刻みに顫える。腐汁の臭気が部屋に充満している。死期が近い。


 初めは達磨にされた二人の男が、腰と、背中合わせに、百丗伍度の角度で接ぎ合わされているだけのものだつた。六時間程生きていたがやがて失血死した。

 再び人を拐かし、解体し、繋ぎ合わせた。四人の老爺の胴を胸と背でぴたりと合わせて、口と瞼を縫つた。四肢はやはり落として達磨にし、最前列の老爺の脚にまとめて繋いでやる。血管だけを繋ぎ神経は無視するので、腐らず動かず、無論歩行の用をも為さない。老爺達は鼻の穴で喘ぎ続け、恐らく柒日程生きた。骸は硫酸槽で溶かされている。

 人を拐かすのは容易い。都市なればこそ衆人の眼に隠された死角はあり、冬の乾いた風も壊死する身体を凍えさせるには足りない。誰の眼にも捨て置かれた浮浪児や無宿者は数多く、仕事があると言えば随いて来る男、体を買うと言えば身を委ねる女は青木の恰好の獲物になる。

 三体目。麻酔で眠らせた男と女、二人ずつ。全身で絡み合はせた上で縫い止める、現在の綴人の趣向が登場する。達磨にするという惨酷志向にも飽きたようだった。肉体が螺旋状に捩じれ、一方では引き攣り、他方では弛み、しかし全体は遂に歩く事もない。蠢蠕(もぞもぞ)と動いていたが次第に静まり、それまでと同じように硫酸槽に沈んだ。

 四体目は子供許り繋いだ。両眼を綴じた、痩せつぽちの、棒のような腕と脚の、薄い髪の毛許りが柔らかい子供達が、円環を描いて床に転がされる。万歳をした両腕を前の人間の腰と脇腹に留められ、伸ばした両脚は後ろの人間の肩と胸に留められ、唇はアヌスを覆うように綴じられた。小水はまだよいが人糞は処理が面倒だと青木は言った。曇つた呻き声が体内から腐り、伍日程で死んだ。

 長く……といつても四日以上という程度の事だが……生かしておくと、綴じた縫目が紫色に變わつてゆき、柒日を過ぎると錆汁色さびじるいろの腐汁が滲み出る。蒼く爛食した傷口が眼に見えて膨れ上がり、鋼色の糸が錆びるように黒ずむ。暗い部屋の中で垢と血と膿と尿と糞と滲出液と腐汁に塗れて、黒く、赤く、黄色く、錆汁色の、死にかけた肉体に、靑い条線がボンヤリと浮かび上がる。それを見て満足することを先頃覚えたと靑木は言ふ。

 六体目の綴人にもまた……到る所に綴られた紋様が走っている。


 乳房の脇、削られた部分に、火で強く炙られた痕がある。青木が施した加工の痕らしかった。これも新趣向だ、と青木が言う。綴じられた縫目は鋼色の糸が電灯の明かりを受けて鈍く光り、その反射が全身を走る傷跡を示す。膿と汁に汚れている。綴じられた条線からは鋼色の、事実なめした鋼で造られたらしい糸が、三方の部屋の壁へと伸びる。壁際に置かれていた本棚や机は今は移動させられて、滑車が取り付けられている。總計二佰 卌。綴人からアルミ軽合金の滑車へ伸びた糸は、各々の壁の真下に置かれた巻取り機へと収束する。青木がスイッチを押せば巻取り機は起動し、糸を巻き込み、綴人を吊り上げる巻き取り機の準備が今日ようやく整ったと言う。

 ……いつか切れるのではないか。糸ではなく肉が、皮が。

 ……暫くはもつ。

 この部屋の中で死んだ人間は二十を数えようとしている。何人の血を、液を吸う事となるのだろう。三十か、四十か。警察組織の捜査は蜘蛛の網のように疎らだ。青木は逃げおおせることだろう。當局といふものが今やどの程度まで機能しているか、外部の者は誰も知らない。女らが転がっている床板は既に腐汁を吸っては乾いてきた。ここそこに黴が生え、片隅は黒く斑になり、別の一角は緑色に染まり、その緑色の上、女の一人が膝をついている、その膝の稍々上の腿が露骨に膨れて、どこか灰の色に見える。

 ……あれは?

 ……腐葉土。

 腐葉土……と青木は言う。

 無数の縫目のうち、一つだけを選んで、腐葉土を籠める。地蟲も幾許か入る。やがて中から腐れる。

 ……何故そんな死期を早めるような真似を。

 ……それだけじゃない。

 女の、乳房の完き女の右肘、内側に突き刺さる針があった。針の先に管が付いた。管は透明に伸び、蛇の首をもたげるように銀色の金属柱を伝って上り、薄めた尿の色の液体の入つた樹脂袋へと逢着する。尿の色の液は管を通って女の腕へ、靜脈へと流れ、渾渾と全身を巡る。

 ……これは。

 ……栄養点滴を与える。

 昨夜、青木が針と樹脂袋と管の一式を持ち込み、綴人に栄養剤を与えたのだった。栄養と謂つた所でその実何を投与しているか知れない。ともかく、一層の延命措置なのだとその時は納得した。しかし栄養点滴と供に腐葉土、活力剤と死毒を同時に与えるとなった、今は。

 毒と薬。

 拮抗……させるというのか。

 青木は目前の生ける屍の塊を見下ろし、女の乳房に手を伸ばす。まだ腐ってはいない。乳首の色はしかし蒼褪めて黒い。黄ばんだ膚に光は無い。青木の、痩せた白い、関節ばかり膨れた指が、頂を抜けて房を二つに割る無意味な縫目をなぞる。腐汁が流れる。

 これは暫く生きるだろう。死に漸次的に近付いて行っても、直ぐには死ぬまい。


 滑車が回る。巻取り機が唸る。綴人が僅かに身じろぎし、二百四十の鋼の糸が光る。三方に閃きを飛ばしながら、ごく緩慢に、腐れた組織を破らぬよう慎重に、全身を綴じる糸が張りつめる。少年の腕が、女の腹が引き攣る。壯年の男の背が床板を離れる。滑車の回る音だけが部屋に満ちる。老爺だけが己を包み込む人間の檻の中で、しかし死毒の流れる血管に結び付けられている。



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壽永聯 再生 @reincarnationCCQU

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