クロスオーバー
駆動綾介
第1話 クロスオーバー
今年の冬は長い、三月になっても寒さが骨身に染みる。と、言ってもこんな早朝に外出していれば寒いのは当たり前か。
吐く息は白く、外気の冷たさを物語っている。吐いた息を両手で受け止め、擦り合わせる、悴んだ手がジンワリと体温を取り戻していく。目的の場所に着くまでは、これの繰り返し、着く頃には手が温まった状態にしたいからだ。
歩く事、数十分ここは都内某所にある運動公園。近辺にある公園の中では随一の広さと遊具の多さを誇っている。さらに都内とは思えない自然の豊かさが人気の公園だ。
目的の場所は公園のさらに奥。それはバスケットコート、僕は何を隠そう、今を輝く高校三年のバスケットマンなのだ。今もこうして今年最後の大会に向けて早朝から練習する優等生‥‥‥と言えば聞こえはいいのだけど、万年補欠でベンチ温め要員。
小学生からバスケをしていたおかげで、中学までは挫折を知らない天狗野郎。地元の中学ではそれなりに名のある選手で、地区大会では有名人だった。あの頃は背も伸びるのが早く一七〇センチはすぐ超えて、このまま一八〇センチ超えと期待していたのだが、高校に入る頃には失速、一七三センチでピタリと止まってしまった。
だが、この頃の僕は大海の広さをまだ知らなかった。「背がないのならドリブルとシュートを活かそう!」その時は自信もあったし、技術もそれなりにあったからこそ言えたのだが——所詮、井の中の蛙。僕が入学した高校はバスケ強豪校で全国大会にも何度も出場経験がある学校だ、そうなれば必然的に他県からも人は集まる。そうなればお決まりの「上には上がいた‥」
初めての試合形式での練習、華麗なドリブル捌きで僕を鮮やかに抜き去りシュートを決める天才達。その時の僕は全くついていく事ができず、狼狽、尻餅をついてしまった、あまりの衝撃に賞賛なんて送れるはずもなく、後からやってくる絶望を待ち構える事しかできなかった。
後はご覧の通り失意のうちに高校人生最後の試合間近、この三年間まともに試合には出られなかったが、卒業間近の人間は記念に負け試合や大差で勝っている時に出してもらえる可能性がある。そんな消極的案に期待するしかないのが情けないが、その時に少しでも清々しく終われるように練習してるって事。
さあ体も温まってきた、今日一本めの三ポイントシュート!
ガァン! 早朝の静かな公園にボールとリングの接触音がけたたましく鳴り響く、ボールはゴールネットを揺らす事なくリングに弾かれ勢いよく明後日の方に飛んでいった。
「はぁ、なんか今のすげぇデジャブ‥似たような外し方したのか、はたまた未来の暗示か」
早朝の一本目は占いのようなものだ、入れば吉日それ以外は凶日‥今の外し方は大凶だけど、へこむなぁ。
明後日の方角に飛んでいったボールを小走りで追いかける。バスケットコートには金網といった囲いがないため、大きく外すとかなりの距離飛ばされてしまうのが難点だ。しかも地面は砂地で、シュートを打つたびに顔に砂が飛んでくるのはもはやご愛嬌。そんな砂地には境界線がある、コートの周りを芝生が大きく囲っているので、簡易的なハーフコートに見えるのだ。
ボールは芝生地帯まで転がり停止していた。ようやくボールを回収して戻ろうとした時、聞き慣れた声が聞こえる。
「おはよう今日も元気だね」
ボールに気を取られて気づかなかったが、どうやら先客がいたようだ。
「ん? 何だよ、いたならもっとでかい声で呼んでくれよ」
そこには同い年くらいの少女、名前は夏目葵、高校三年生。絹糸を束ねたような黒髪は腰くらいまであり、朝陽を反射してキラキラと輝いている。そして同い年と言うには少し大人びて見える顔立ちに、透き通る肌の白さ、高校生にしては特質した美しさをもっているーー。だけど一つ普通とは違うところがある。
「あはは、ごめん私声はるの苦手で‥ごめん」
「なんで、そんなに謝るだよ、ちょっとからかっただけだよ‥‥親父さんに連れてきてもらったのか?」
「うん、この距離だったら一人で来れるのに、お父さん心配性だから」
夏目葵は一人で行動するのも一苦労する理由がある、それはーーー。彼女は車椅子だからだ。下半身付随、二年前に、おきた交通事故による後遺症らしい。足が動くなんて健常者からしたら当たり前なのに、それができない煩わしさ、それはきっと健常者では心底理解してあげる事はできないと思う。だから僕が葵にできる事は普通に接する事しかできない。
「まぁこの時間なら俺がいるからそんな心配しなくてもいいのにな」
「ふふ、蒼汰君も心配してくれてるの?」
少し余裕が出てきたのか葵は、頬を少し赤て冗談を言う。
「ち、ちがうって! 葵は危なっかしいから見てないとすぐ転んじゃうだろ? それより絵、描くんだろ? 出すの手伝うよ」
葵はこの時間になると人のいない公園で絵を描く。イーゼルを立て、大きめのスケッチブックに公園の風景を描いている。僕は絵画などの教養は全くないのだが、葵の絵はお世辞にも上手いとは言いがたい、だけど、一生懸命描いている姿を見ればそんな事口が裂けても言えない。でも最近描いているであろう絵は全く見せてくれない、まさか態度に出ていたのだろうか?
「大丈夫だよ。イーゼル立てるくらいできるから蒼汰君は練習してきて!」
やはり準備している風を装って絵を見てやろうと思ったけどダメだったか。
「オッケなんかあったら呼べよ」
ニッコリ笑い小さく手を振る姿にこっちまで口元が緩んでしまう。
さあ切り替えて練習しよう。大会はもうすぐだからな。
葵とは去年の十月、公園で出会った。今日みたく盛大にシュートを外し、飛んでいったボールがイーゼルに直撃して倒れた拍子に壊してしまったのが始まり。
車椅子少女の物を壊してしまった罪悪感はなかなかのものだった。でも葵は壊された事を、あまり気にしておらず「大丈夫です。描きたい物とか全然思い浮かばなくて、漠然と眺めていただけで‥‥もうやめようと思っていたので‥‥だから、大丈夫です」と言って片付けて帰ろうとしていた。
僕には、それが何故か許せなかった。壊した本人が言うのは、おかしな事かも知れないけど、このままこの人を帰してしまったら、この先、絵を描くのを止めてしまいそうな気がしたのだ。これは直感だけど、それ程にこの時の葵に生気を感じなかった。それに「やめる」とはどっちの意味なのか? 今ではわからないけど、もし絵を描く台座が壊れたと言う些細な理由がきっかけで、二度と絵を描く事を止めてしまうのであれば、それはとても悲しい気がした。
でもそれは自分がバスケを続けているからこそ思ったのだろう。『僕は諦めずに続けている』だから思わず言ってしまったんだ。
「‥‥じゃあさ! お、オレを描いてよ! て、いきなりはキモいかぁ‥じゃなくても、なんかほらこの公園! 木とかさ、いっぱいじゃん! きっと描きごたえあるよ! それに壊した物は絶対弁償するから!」
これは僕のエゴだ、本当に止めたがっているのであれば、こんなのただの耳触りの悪い言葉だけど、哀愁漂う姿にあてられてしまったのだろう。そして僕は有無を言わさずに、明日の朝までに買って返すと約束した。
家に飛んで帰り、親に頭を下げお金を借りてイーゼルを買いに行ったのを覚えてる。無駄に高い物を買ってしまったのは僕からのサービスだ。翌日、素直にきてくれた葵にイーゼルを渡すと「‥公園から描いてみたいと思います」だそうだ。正直この返事はとても嬉しかった。まぁ僕がきっかけで止められても目覚めが悪いって言うのもあったんだけどね。そこから葵と友達になった。
葵は初めて会った時に比べたらよく喋ってくれるようになったし、何より活発になった気がする。絵もそうだけど、バスケをしてみたいと言い、女性用の一回り小さいボールを用意してきた時は驚いた。車椅子に乗りながら精一杯腕を伸ばしてシュートを打つ姿はとても心打たれた。ボールが跳ね返り顔にぶつけても涙をグッと堪えて諦めずに何度もシュートを打っていた、きっと葵は負けず嫌いなんだと初めて気づいた。
「蒼汰君! 入ったよ!! 見てた!?」
「ん? 入った? ごめん全然みてなかった」
「やっと入ったのにぃ‥」
相当頑張ってシュートを入れたのだろう息も絶え絶えになりながらも嬉しそうに報告してきたのだが、すっかりよそ見をしていた。そして露骨に落ち込む姿は、こちらまで影響を及ぼす程の威力だ。次からは見ていたフリをして優しい嘘をつこう。
時が流れるにつれ、公園以外にも出かけるようになった。画材を買いに行ったり、カフェに行ったり、映画も観た。初めて後ろから車椅子を押した時は操作の仕方がいまいち分からなくて段差に躓いたり、物にぶつかったりと、困らせてしまう事が多々あったけど、謝るのはいつも葵だ。
「ごめんね慣れない事させて‥自分でも動かせるから無理しなくていいよ」
「葵、これからすぐに謝るの禁止! 今のは俺が悪かったんだし、これぐらいすぐ慣れるから今のうちだけ我慢しといて!」
「ごめ‥‥わかった‥」
この頃になると葵の癖というか悪癖が目につく様になった。僕は謝れば謝るほど自信というのはなくなっていくと思っているし、見ている側も謝られ過ぎると気分も下がる。
「へこむなって。そー言う時はありがとうって言っとけばいいんだよ! ニコニコしてお礼言っとけば、葵くらい可愛かったらみんな気分よく許してくれるって」
つい落ち込んだ葵を見て本音が出てしまった。後ろから車椅子を押しているから表情は見えないけど、綺麗な髪の隙間から見える耳が少し赤みがかっている気がする。そして細々く消えてしまいそうな声でお礼を言う。
「‥ありがとう‥‥蒼汰君に言ってもらえると、嬉しい」
僕もこれには赤面してしまった。お互い顔が見えなくて本当に良かった。
僕は中学、高校と部活三昧の日々を送っていたおかげで女性への免疫が全くない、彼女はもちろん女友達も皆無だった。だから葵と喋ったり、出かけたりする事がとても楽しかった。特に今の時期のバスケ部は殺伐とした雰囲気があり、気が滅入ってしまうけど、葵のおかげでいい気分転換になっているし、この時間がずっと続いてほしいと願わずにはいられなかった。
でも時間は過ぎるのが早い、あっという間に楽しい日々も苦しい練習も過ぎていく。
そして始まる高校最後の大会。僕は今回が終われば引退だ、ウィンターカップもあるけど、僕レベルが残ったところで意味がないし、大学受験も考えているから本当に最後だ。試合には出られるかわからない、でも、レギュラーの中には苦楽を共にした仲間がいるんだ、全国までいけるように応援しよう!
しかし今大会は波乱の嵐だ、地区大会は難なく通過したのだが、県大会からアクシデントが連続するーー。僕達のチームは三軍まであるマンモスチームなのだが県大会から怪我人が続出し一軍メンバーの半数以上が長期の怪我を負う災難に見舞わられた。アクシデントの影響でメンバー編成も、大きく変わり僕は二軍のシューティングガードまで上り詰めてしまった。
そして次に勝てば全国というところまで来た。僕は次の試合に出る確率が高い。一軍にはシューティングガードのエースが居るのだが、ここまでの試合でかなり疲弊しているし元々、膝も悪い為、ここまでの試合は僕と交代しながら出ている。久しぶりの試合は、緊張と言う一言では言い表せないほどの心臓の高鳴りだった。でも練習は裏切らなかった、スリーポイントを何本か決める事が出来たし、ディフェンスもギリギリついていけている。しかしそれくらいでは明日の余裕にはならない。だからこうして今日も公園で自主練をして気を紛らわしている。一人の観客と共に。
「次、勝てば全国なんだよね!? しかも明日は蒼汰君、出れるんでしょ!?」
「ああ、そうだよ。 エース君と交代しながらだけど多分出るよ」
「すごい! 日頃の練習の成果だよ! しかも前の試合はスリーポイントいっぱい決めたんでしょ?」
「いやいや3本はいっぱいじゃないよ‥明日もまぐれが続けばいいけどなぁ」
「まぐれ何かじゃないよ! 蒼汰君が日々努力して爪を研いでいるのを、私は知っているのです!」
「物騒な例え方するなぁ。まぁでもスリーポイントが入った時は報われた気がしたし、メッチャ嬉しかった」
「私も嬉しいよ。しかも明日は念願の蒼汰君の試合を見に行けるからさらに嬉しい」
「あれ? リハビリの予定入ってるんじゃなかった?」
「へへ、ずらしてもらちゃった」
「えぇ、来るなら余計恥ずかしいこと出来ないじゃん練習しよ」
座りながら喋っていたのを中断してスリーポイントラインに立ちシュートを打つ。ボールは大きく弧を描きリングに触れずに入った。スパンッ! 後ろから「ナイスシュート!」嬉しい声援だーー。
翌日。
遂にやってきた。まずはベンチスタートから、だけどいつ交代が来てもいいように心の準備を忘れない。つい力が入ってしまい、ずっと握りぶしになってしまう。ふと観客席に目を移すとそこには車椅子の少女、葵がいた。本当に来てくれたんだ、それだけで心が和む。人混みが苦手な筈なのに頑張ってきてくれたんだな、小さく僕に手を振る姿は何とも愛らしい。
「蒼汰! 交代だ!」
監督からの呼び出しだ。さぁやるぞ。
「はい!」
試合はかなりの接戦だ、リードしたと思えばすぐに追いつかれてしまう。しかしまだ逆転は許していない4点リードを守っているが、いつ均衡が破られるか気が気でない。そしてラストの第四クォーターが始まる。前の第三クォーターで僕が主に出ることによりエースを温存して最後の第四クォーターでエースが突き放してくれる算段だったのだが、様子がおかしい。エースのディフェンスが明らかに相手選手について行けていない、そこから一瞬にして得点を重ねられ、遂に同点まで来てしまった。
監督はエースの様子に気付き、すぐに僕に声をかけるがーー。遅かった、エースは相手選手のシュートをブロックしようとジャンプし着地した瞬間、膝からガクッと崩れ落ち倒れてしまった。膝を抱え苦しんでいる。完全に膝の爆弾が破裂してしまったのだ。すぐさま担架で運ばれていく。
一時中断になったが試合は続く。そしてそのまま僕と交代。残り五分、そして無情にも先程エースが止めようとしたシュートは、入っていた。逆転されニ点リードされている。凄まじいプレッシャーだけど、やるしかない!
僕は走った、とにかく走りまくった少しでも場をかき乱し、隙を作ろうと、もがいた。しかし同点に追いついても、直ぐに取り返されて二点リードされてしまう、ダメだこのままじゃ勝てない! 最後の決め手はスリーポイントしかないーー。
残り40秒同点に追いついた! しかし相手もかなりのスタミナを持ってる、怒涛の速攻をかけられ直ぐ様二点リードされた。残り30秒
まずい! 相手チームはディフェンスに全てを注ぎ込み、ぴったりと張り付くように側を離れてくれない! くそっ! とにかく走って振り切るしかない! 味方のドリブルが止まった、パスをもらいにいく! 残り15秒 奇跡が起きる、僕についていたディフェンスが足をつまずき転びそうになった! チャンスだ! 僕はそれを見逃さずディフェンスを振り切りスリーポイントラインでパスを貰った!! 残り5秒 転びそうになっていたディフェンスはすぐ体勢を立て直し、シュート体制に入った僕をブロックしようとジャンプしてくるが、充分距離がある、いける!
シュートを打つ瞬間、全てがスローモーションに見えた。指先から離れていくボールは大きく弧を描きリングに飛んでいく、いつもより高い弾道だ、入ったらさぞ気持ちいいだろうな。そうだ入ったら観客席にいる葵にガッツポーズをしようーーーーーーーー。
ガァンッ!! ビィーーーーーーーーーーーーーー!!
「試合ッ終了!!」
いつかの外したシュートのようにボールとリングの接触音が、けたたましく鳴り響き、ボールは明後日の方向に飛んでいったーー。
負けた。終わった。僕のせいで負けた。動けない本当に終わったのか? 実は夢オチ? ゆっくりベンチに目を向けると治療を終えたエースと一軍メンバー達が泣き崩れているの見て本当の本当に終わったんだとわかった。
観客席には目も向けられなかった。頭にタオルをかけ戦犯である僕は顔を隠しロッカーに帰る。ロッカールームでの監督の話や仲間の慰めは全く耳に入らなかった。とりあえず早くこの場からいなくなりたかった。大会はまだ終わらなかったが僕は耐えられず、勝手に荷物をまとめ帰路についた、会場の外は雨が降っていたが、何も気にならない。
こんなにも自分は脆い人間なんだと気づいた。一軍にいるメンバーはすごいな、いつもこんなプレッシャーと戦ってたのか、僕は最近出られるようになったくらいで完全に調子に乗っていた。
振り付ける雨が、僕を叱咤しているようで、ちょうどいい。方向感を失いあてもなく歩いていたつもりなのだが、ある場所に辿り着いた。いつもの公園だ、そうか今日の会場から近かったんだ。しだいに雨も止み、いつものバスケットコートに行き着くと、雲の切れ間から差し込む陽光がバスケットコートを照らしている。近くの芝生に腰掛ける芝生は濡れているが、気にならないくらい全身ずぶ濡れだ。
悔しいと涙が出るけど、絶望が上回ると涙が出ないことに気づいた。きっとこの先あの光さすコートに戻る事はない、大学に入ったらバスケは止めるつもりでいたから‥‥葵に絵を続けるように言ったくせに最低だな僕は。でもやめるいいきっかけだ、こんな思いをするバスケに未練なんてありはしない。さよなら僕のバスケ人生。
「蒼汰君‥」
聞き覚えのある細々とした消えそうな声が後ろから聞こえる。ゆっくり振り返るとそこには車椅子に乗った葵がいた、膝の上にはバスケットボールとスケッチブックが置いてある。そして後ろには付き添いで来ていた葵のお父さんが立っていた。お父さんは僕と目線を合わせるとニコリ笑い会釈をしてどこかに去っていった。
「葵‥ごめんせっかく来てくれてたのに、勝手に帰っちゃって‥‥ごめん」
目を合わせられなかった。せっかく観戦しに来てくるていた葵を置いて逃げ出してしまった事、戦犯である惨めさが、今まで作り上げてきた葵との関係が嘘のように距離を感じてしまう、だから僕は謝ることしかできなかった。
「うんうん全然気にしてないよ‥‥お疲れ様って一言いいたくて‥‥蒼汰君、お疲れ様でしたとても感動したよ」
「‥ありがとう‥‥いやぁ最後、恥ずかしいところ見られちゃったなぁ、だから動揺して帰っちゃったんだよね、あはは」
何とか作り笑いをするので精一杯だ、葵が気を遣っている事が本当に心苦しかった。
「恥ずかしい事なんてないよ! とっても、かっこよかった! シュートもたくさん入ってたしディフェンスもすごく良かったよ!」
「でも勝てなかったら意味ない」
「‥‥‥」
僕は何を言ってるんだ、葵がせっかく励ましてくれているのに、でも一度でた本音は止まらなかった。
「葵も、見ただろ? 試合終了のブザーがなった時のベンチ、皆んなが泣き崩れている姿をさ、一番悔しいのは一軍で頑張ってた奴らなんだよ、でも僕のせいで負けたんだ。偶然に、偶然が重なって運良く試合に出られたような奴のせいで負けた、そりゃ悔しいよやるせないよ。しかも最後、絶好のチャンスも見事に棒に振る始末‥‥いったい僕は何のために練習してきたんだよ‥こんな大事な日に‥全部、全部無駄だった、何も報われなかった。皆んなの悲しい顔が頭から離れない‥僕はみんなを不幸にしてしまったんだ‥僕は‥」
こんな姿を葵に見せるのは初めてだった。涙が止まらなかった。普段、葵の前では、俺と言うようにしてたけどそんな余裕すらなかった。
「‥違う、違うよ! 一番悔しいのは蒼汰君でしょ? 私は見てたよ‥蒼汰君が誰よりも勝ちにこだわってボールを追っていた事、誰よりも諦めずに走っていたのを、私にはわかるよ! 試合が終わった後、誰か蒼汰君のこと責めたりした? 違うでしょ?」
僕よりも涙を流し顔をクズクズにして問いかけてくる、こんなに声を張って喋る姿は初めてだ。僕は力なく返事を返すことしかできない。
「‥‥うん」
「‥もしね、仮にね皆んなが不幸になってしまっていても、私は不幸になってなんかいないよ。‥‥私ね本当は絵を描くのあんまり好きじゃなかったの、怪我をしてから私はすごく塞ぎ込んじゃって、見かねたお父さんが外に出るようにって画材を買ってくれたんだ。だけどね公園で絵を描いていると、走り回る子供達、散歩する大人達が目に入って、しだいにその人達に嫉妬するようになった。でね、より描きたいものが見つからなくなったの。だって本当は私も走り回って遊びたかった。座っているより運動する方が好きだから。でもイーゼルが壊れたあの日、蒼汰君に出会えた、きっと私が絵を描いていなかったら、蒼汰君がバスケをしていなかったら、出会えていなかったと思うんだ。それってすっごく、すごい可能性だと思うの。出会えたおかげで絵も少し好きになれたし描きたいものも見つかったんだ」
そう言うと膝の上に置いてあるスケッチブックを僕に渡す。ページはすでに開かれていて、きっと裏返すと葵の描きたかった何かが描かれているのだろう。僕はそれをゆっくり裏返すーー。
そこに描かれていたのは、僕だった。シュートを打つ僕が色彩豊かに描かれているのがわかる‥いつも練習の時に着ているジャージも、いつも使うボールも、とてもとても上手く描けている。嬉しくて、嬉しくて、涙が出るのは初めてだ、僕が初めに言った言葉を、覚えていてくれたんだ。溢れる涙が絵に落ちる、慌てて顔を起こす。
「はは、すごいよ葵、めちゃくちゃ上手くなってる‥それに覚えててくれてたんだ、ありがとう」
「‥もっと上手に描けたら良かったんだけど、それが限界みたい。蒼汰君にあげる、返品は受けつけてないからね‥‥後ね、もう一つお話ししたい事があるの」
そう言うと葵は車椅子に乗ったまま、雨でクズクズになったバスケットコートに入って行き、ゴールとの距離が約4メートルの位置で止まる、ちょうどフリースローラインの位置だ。いったい何を‥‥。
!!!!
「葵なにしてんだよ!?」
あろう事か葵はその位置に車椅子を止め、立ち上がろうとしている!
「きちゃダメ!」
その声に思わず止まってしまった。葵は車椅子のアームサポートをしっかり握り、体を持ち上げる、細い腕が震えているのがわかる。そのままゆっくりフットサポートから両足をおろし、ぬかるんだ砂地を歩しめる。しかし膝は自身の体重を支えられず崩れ落ち、前のめりに倒れ込んでしまった。
思わず駆け寄るが、葵は諦めていない、何とか膝を立て、もう一度立ち上がる。今度はかなり不安定ではあるけど、車椅子に捕まりながら葵は一人で立つことに成功した。
「葵‥いつの間に立てるようになったんだ?」
「えっへへ、本当はもう少し先の予定だったんだけど、蒼汰君に早く見てほしくてちょっとだけ頑張ってみました」
立っているだけでも相当辛いのがわかる、額に汗を滲ませ、足は小刻みに震えている。
「蒼汰君、ごめんだけどそこに転がってるボール取ってもらってもいいかな?」
さっきまで葵の膝の上にあったボールが立ち上がる途中で転がり落ち、僕の足元まで転がっていた。それを拾い上げ葵の元まで届ける。
「大丈夫か葵? 無理するな、早く車椅子に座ってくれ、泥だらけだし、これ以上は怪我するぞ」
葵はニッコリ僕に笑いかけボールを受け取る。
「蒼汰くんありがとう。もうそろそろ限界近いから言うね‥‥‥ふぅ‥私は蒼汰君のおかけで前向きになれました。本当は立って歩く事も諦めてた‥‥リハビリが辛くてすごくすごく痛くて苦しかった‥でも今は違う! 夢ができたの! 蒼汰君と立って歩いて、一緒にバスケがしたい!! だからもし、このシュートが入ったら、私がちゃんと立って歩けるまででいいから‥私のそばにいてください!!」
その瞬間、葵の願いが放たれた。高く、高くボールは舞い上がる。だけど葵はとっくに限界だったシュートを放ったと同時に前に倒れ込む、僕は葵が倒れないように抱きしめて葵を受け止める。そのせいでボールの行方を見失った。僕に抱きしめられながら葵は言葉を紡ぐ。
「蒼汰君、見てた私のシュート?」
「ああ‥見てた、すごいよ葵は、本当にすごいよ」
「嘘つき、見てなかったくせに」
「見なくてもわかるよ、僕はバスケットマンだからわかるんだ、あんな綺麗なシュート初めて見たよ‥‥」
葵をゆっくり車椅子に乗せ、僕は膝をついて問いに答える。
「葵、僕からもお願いがあるんだ‥‥‥ちゃんと歩けるようになった後も僕とずっと一緒にいてほしい‥‥‥僕は葵のことが大好きだ」
「‥‥私も‥蒼汰君と、ずっと一緒にいたい、です」
泥だらけになった顔を涙でめいいっぱい濡らしている。最後に小さく細々く、消えてしまいそうな声で「大好き」と聞こえた気がする。葵には感謝しかない、だって、こんな最低最悪な日を最高最良の日に描き変えてくれた。きっと将来は大物画家になるかもしれない、もしくは立って歩けるようになった葵はきっともっと凄いことを成し遂げるかもしれない。いや違うな、葵なら二人で色んなことを創り上げていこうと、言うかもしれない。
たくさんのありがとうを君に送り、抱えきれない愛情を君にあげる。
「葵、ありがとう」
そう言えば葵のお父さんがいない、ふと遠くのベンチに人影を見つける。ベンチに腰掛け目頭を押さえて俯いているお父さんの姿があった。僕と葵を出会わせてくれた立役者はお父さんで決まりだな、後で報告を兼ねてお礼をしにいこう。
完
クロスオーバー 駆動綾介 @kokusitu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます