二 の 十六

「さあ、どんどん引きずり出せ!」


 旺史郎の号令で、皆は綱引きのように卵を引っ張り出していく。本当に終わりがあるのだろうかと不安になるくらい、長い。


「ああ……、何だかだんだん妙な気持ちになってきた……、」


「この手ざわりがなあ……」


 にわかに手応えがなくなり、卵が切れた。有難いことに終わりはあった。一同は大きく息を吐いた。


「おい、まだか! 顔を嘗められたぞ!」


 切羽詰まった獅子郎の声が降ってくる。旺史郎が改めて縫以を肩車する。


「兄さん、もう少しだけ辛抱して。帰ったら消毒してあげるから」


 更紗が兄を宥める。何てやさしいんだ、サーラ! と、獅子郎は歓喜した。シシローは莫迦ばかだな、と、木綿斗が呟く。莫迦だな、と、万知也も心から同意する。


 ほころびが繕われていくにつれ、蛙のからだがだんだんと小さくなっていく。獅子郎が魂針で打つと同時にかき消えた。


「終わったよ!」 


 縫以が嬉しそうに声を上げると、地面をぬらぬらと覆っていた卵も消えた。木菟みみずくが舞い下りてくる。初仕事にくたびれたのか、獅子郎を投げ捨てるようにして下ろし、元のぬいぐるみの姿となった。


「良い蠅っぷりだったよ、兄さん」


 更紗が地べたに尻をついた獅子郎を労わる。獅子郎は疲弊しきった顔で、笑った。


「お前の為なら、世界一の蠅になるよ、サーラ」


 借りていた魂針を、更紗に返す。獅子郎自身の魂針は蛙の唾液にまみれていたが、更紗の魂針は綺麗なままだった。


「ぬいに新しい子を貰っておいて良かった」


 更紗はそう云って縫以に微笑みかけた。新入りの木菟は更紗と縫以にたっぷりと撫でられ、ねぎらわれた。


「よし、帰ろう」


 空腹を訴えながら、皆で帰る。


「ぬい、前回よりも繕うのが早くなったんじゃないのか、」


「本当? ゆうとくん、」


「母さんもそう思った。少しずつ上達しているんだね、ぬい」


「そうなのかなあ……」


 褒められても縫以は実感が湧かないのか、両手を握ったり開いたりした。


 誰かの視線を感じて、万知也は振り向いた。蛙のいた電信柱の陰からこちらを見ていたのは、燈利だった。万知也が声をかける間もなく、反対方向へと走り去っていく。


 どうしてこんな時間にこんなところに、彼がいるのだろう。先日の堀の傍にいた人物も、彼だったのかもしれない。きっとそうだと、確信する。


 万知也は燈利を見たことは誰にも云わなかった。次の日の夕方に、その燈利が万知也の家を訪ねてきた。お祖母様からだと、鍋を持ってきた。万知也は受け取り、蓋を開けた。芋の煮物だった。


 そのまま帰ろうとする燈利を、万知也は呼び止めた。


「お前、どうしてぬいの持ってるぬいぐるみをあんな風に痛めつけるんだ?」


 燈利は大きく目を見開いた。万知也は彼の答えを待った。ただ責め立てたいのではなく、理由を知りたかった。けれども燈利は軽く頭を下げると、答えることなく帰っていった。


 夕飯の支度を、万知也も縫以も手伝った。冷蔵庫を覗いていた槙乃が、奥からガムテープでか頑丈に巻かれたプリンを取り出す。


「これ何だろう。プリン? どうしてガムテープが貼ってあるんだろう」


「あっ、」


 万知也と縫以は揃って声を上げた。以前、万知也が慎重に隠したプリンだった。


「だ、だめ、」


 縫以が止めるよりも早く、槙乃はガムテープを剥がしてしまう。蓋を開けた途端に盛大な蛙の鳴き声が吹き出して、三人は耳を塞いだ。床に落ちたプリンの容器は、空っぽだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る