二 の 十五

「兄さん!」


 更紗の怒鳴り声は珍しい。


「何だい、サーラ!」


「蠅になって!」


 一同は呆気に取られて更紗を見た。しかし何故だか獅子郎は嬉しそうである。


「酷いな、サーラ! だが冷酷なお前も素敵だ!」


「どう云うことだ、サーラ!」


 旺史郎が意味合いを問う。


「蛙は蠅に反応するかなと思って!」


 更紗の顔つきは真剣である。


「せめて蜻蛉とんぼにしてやったらどうだ!」


 さすがに蠅では気の毒だと、木綿斗も思ったらしい。


「蜻蛉でも良い! とにかく虫になってよ、兄さん!」


「蠅でも蜻蛉でも、お前が望むのなら!」


 喜び勇んで獅子郎が承知する。頼もしいことだなと、万知也は思った。


 更紗は木菟みみずくのぬいぐるみに息を吹きかけた。人間よりも大きく変化したその背中に、獅子郎を乗せる。


「少しの間だけ我慢してね、兄さん」


 と、自分の魂針たまはりを貸す。獅子郎は耳から手を離し、二本の魂針を持って舞い上がった。両手で翅のように魂針を振り回しながら、蛙の近くを飛ぶ。だが蛙はてんで興味の無さそうに、知らぬ顔で鳴き続ける。


「兄さん!」


 更紗が地上から叫ぶ。


「何だいサーラ!」


「もっと蠅っぽくして!」


 木綿斗と万知也は目顔で会話した。


「蠅っぽくって、どう云うのだ?」


「もっとしつこい感じ……かな、」


 曖昧な更紗の要求に応えて、獅子郎は蛙の眼前を八の字を描くように飛んだ。あんなにも間近にいて耳も守れず相当苦しいはずだ。しかし獅子郎も木菟みみずくも、執拗に執拗に蛙の視界を煩わせる。


 とうとう耐えられなくなったのか、蛙が舌を出した。矢のような速度で直線に伸びた。木菟は瞬時に飛び退いたが、舌は驚異的に長い。獅子郎はその舌を自分の魂針で打った。蛙の目玉の色が変わる。獅子郎を排除すべきものだと認識したようだ。


 逃げる獅子郎を、蛙は躍起に捕らえようとする。鳴き声が止み、皆は耳を解放した。


「捕まるなよ、シシロー!」


 必死に逃げ回る獅子郎を、木綿斗が激する。やる気に満ちた新入り木菟が機敏に動いている。獅子郎よりも木菟を応援した方が良いかもしれないと、万知也は思った。


「卵はどうする、」


 まだ蛙の卵は途切れることなく裂け目から流れ出てくる。魂針で切ってもまたぞろ繋がって溢れてくるので、きりが無かった。


「いっそ全てかき出してしまうか。繕い終えればどのみち消えてしまうだろう」


 縫以を肩から下ろして、旺史郎が云った。


「判った、そうしましょう」


 槙乃が率先して卵を摑もうとするのを、木綿斗が止めた。


「母上様はいいから、」


「どうして? 私、蛙の卵なら子どもの頃にバケツいっぱい採っていたから、平気よ」


 いきいきとして槙乃は答え、たのしそうに卵を掴んで手繰たぐり出す。


「さすが母上様だ……」


 木綿斗が感服し、万知也も縫以も頷いた。

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