二 の 十三

「ぬいはどうしてほしい?」


「云わないでほしい」


 万知也は縫以をしっかと見つめ返して、受け合った。


「判った、約束する。だから教えてくれ。誰にやられたんだ?」


「……とうりくん」


 意外な名前に、万知也は言葉を失った。縫以は嘘なんかつかない。けれどもあの大人しい燈利が、まさかこんなことをするとは信じられなかった。


「前のイルカもそうか、」


 縫以は弱々しく頷いた。縫以自身への暴力をたずねると、かぶりを振って否定した。


「どうしてあいつがこんなことをするんだ」


 判らない、と、縫以は掠れ声で答える。「いつも、いきなりだから」


 哀しげに表情が歪む。これ以上は追及は出来なかった。


「判った。教えてくれてありがおう」


 テーブルの裁縫箱の陰には、更紗の羊のぬいぐるみが控えめに坐っていた。


「伝令、来たんだな」


「お仕事だね」


 万知也は熊の片腕をテーブルにそうっと戻した。縫以は再び修復に取りかかる。万知也は立ち上がった。


「飯炊いてくる」


 湧いてくる怒りを込めて、万知也は米を洗った。燈利が犯人だとは、想像もしていなかった。縫以が何か彼の気に障ることでもしたのだろうか。兄の贔屓目かもしれないが、その可能性はおそらく無い。


 だったら一体何故だと云う。自分よりも年下の小学生を、どうして虐めるんだ。躰に直接に手を出すことはないようだが、あんな風に縫以の大切なものを壊すのならば、同じことだ。くわえて、卑劣だ。そんな奴には見えないのに……昨日の燈利の台詞せりふが蘇る。心の奥底のことなんか、判らないですよ。


 あれは自分自身を云ったのだろうか。万知也は舌打ちと共に炊飯器のボタンを押した。


 夜になって伯父一家と祖母が家に集まってきた。


「おにぎりにしようと思ったけど、少し硬いわね、このご飯」


 槙乃が杓文字で炊飯器のご飯を混ぜて頸を傾げる。心当たりのある万知也は正直に謝った。


「ごめん、水の分量を間違えたかもしれない」


 平気平気と、槙乃は朗らかに笑う。「炒めちゃうから、大丈夫」 


 出来上がった料理は、次々と皆の胃袋へと運ばれた。旺史郎は自ら唐揚げを調理しながら食べて、立ったまま食べるのはやめて下さいと、妻の淑子に叱られた。


 万知也は更紗の隣りに坐る縫以を気にかけて見ていた。食慾はそこそこあるようだし、笑顔も覗かせている。熊のぬいぐるみのことを引きずってはいないようだと、胸を撫で下ろした。


「少し前から綻びかけていたみたい。すぐに気が付かなかったのは、僕の不覚だ」


 更紗が悔しそうに眉根を寄せる。それでも淡白な表情だった。


「サーラに非は無い。ずっと体調がすぐれないんだ」


 兄の獅子郎が庇う。


「そうなのか、サーラ、」


 大丈夫なのかと、木綿斗が訊ねる。更紗は果物しかくちにしようとしない。今日も頬は陶器のように白い。


「大丈夫。体調が良い日の方が、むしろ珍しいから」


「サーラは他人の倍……いや、他人の百倍も繊細に出来ているからな。仕方無いさ」


 筑前煮を食べながら、獅子郎は可愛い弟を慰める。更紗は自分の手のひらを見つめて吐息した。


「うん……。上手く感度を調節できないのはもどかしいな」


 淑子が台所から大皿を運んでくる。


「チャーハン出来ましたよ」


「食べる食べる」


 皆は一斉に箸と取り皿を持ち上げた。 


 仮眠ののちに皆は出発した。虎に乗った更紗の先導で、川沿いの通りに着いた。この通りでは毎朝、地元の農家を中心に市が開かれる。

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