二 の 六

「ああ、今日も疲れたな」


 木綿斗は手ぬぐいを元の位置に戻し、大きく息を吐いた。無意識に出た一言のようだった。


「……悪いな」


「何がだ?」


「俺たちの為に働いてくれて」


 目を瞬かせて木綿斗は万知也を見る。たった二歳違いなのに、急に兄が大人になったように万知也には思えた。幼い頃は兄との年の差なんて一度も気にしたことはなかった。自分が彼より一歳早く一族の仕事を始めたのも、自分は兄とは違い平凡ではないのだから当然のことだと思っていた。あの時、木綿斗が不満がることはなかったが、内心どう感じていたのかは判らない。


 父が死んで、兄は家計を助ける為にアルバイトを始めた。槙乃はそんなことしなくて大丈夫だと主張したが、木綿斗はすぐさまアルバイト先を決めて通いだした。それから高校を全日制から通信制へと切り替えた。すべたの段取りを、淡々と木綿斗はこなした。全てが当たり前だと云うように。


 兄の人格は、自分より大きい。万知也は今、心底この兄を凄いと思う。


「莫迦だな」


 木綿斗は目を細めて、笑った。悔しいくらい、父上様に似ていた。


 金曜日の学校も、やはり気怠けだるい。万知也は何に遠慮することなく大きな欠伸をした。


「田畑が休みなんて珍しいよな」


「あいつがいないと何だか静かだな」


 呼んでもいないのに万知也の机に集まってきた連中が笑う。他の生徒たちは貴重な昼休みだと云うのに自分の席で突っ伏して眠っている姿が多い。皆も気怠いのだろうと、万知也は思った。土日しか休めないなんて、生物として無理がある。


「そういやここ数日、あいつ顔色が悪かったもんな」


「そうだったか? いつもどおり元気に給食をお代わりしていただろ」


「むしろその所為だったりしてな」


 平和な会話を聞き流し、万知也は窓の外を眺めながら今から十九年前の今日が何曜日であったかを計算した。それから二十三年前、二十九年前と遡る。


「万知也も土曜日、一緒に来ないか、」


 俄かに話を振られ、皆の方を向く。「どこへ、」


「遊びに」


「行かない。土曜は用事がある」


「なんだよ、だなあ」


 相手は肩をすくめる。


「何でなんだよ」


「万知也の予約券、あんまり手に入らないからさ」


 何だよそれはと、万知也は苦笑いする。そんなつもりはないのだが、付き合いが悪いと思われているのだろうか。


「用事って、何の用事、」


「法事」


 万知也は答えて、またも大欠伸をした。


 土曜日は父親の一周忌だった。家にお寺様を呼んでお経を上げてもらい、その後に料亭で会食をした。

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