一 の 十一
「くそっ」
万知也は
しかし鋼の鱗は万知也の針を
旺史郎が八つのうちの一つの目玉を刺す。鯉の全身が不快な金属音をがなり立てる。目玉からは緑色の液体が吹き出した。
「目玉はいけるか、」
「そのようだな」
木綿斗も獅子郎も目玉を狙いに変えた。青色の液体と紫色の液体が、魂針に突かれた二つからそれぞれ吹き出す。
「こいつの血は何色が正解なんだ」
「しかもやたら生温かいしな」
槙乃が振り乱される鯉の髭を、魂針で器用に巻き取る。残った目玉を他の者たちで刺して破壊すると、鯉は倒れた。開いた
「この堀の鯉たちか、」
「どうやらそうらしい」
巨大な鯉の姿がかき消えると同時に、縫以が大声を上げた。
「終わったよ!」
「じゃあ、水を戻すね」
更紗は竜の腹を軽く叩いた。皆は急いで堀から上がった。竜が吸い上げた水を堀に戻す。横向けになって絶命しかけていた錦鯉たちが、悠々と泳ぎだす。竜は水を吐ききると、縮んで元のぬいぐるみの形になった。
「ぬい、痛かったのによく頑張ったね」
槙乃が縫以を抱きしめる。「無事で良かった……」語尾が微かに潤んだ。
「怪我はどうだ、大丈夫か、」
「大丈夫」
縫以はしっかりとした口調で答えた。木綿斗が肩口を調べる。服は裂けたが、幸いにも皮膚はちょっと
「ぬい、弱虫が出ちゃった」
縫以は俯く。ううん、と、槙乃はかぶりを振る。「ぬいは最後まで頑張ったじゃない」
「本当にぬいは偉いよ」
更紗も微笑んだ。
「サーラ、兄さんのことも褒めてくれないか。あの目玉のうち二つを兄さんが壊したんだ」
「うん、兄さんも偉かったね」
ついでのように更紗は獅子郎を褒めた。
「久々のお勤めだったが、皆が無事で良かったな、槙乃さん」
旺史郎の言葉に、槙乃は深く頷く。「ええ、本当に」
「そう云や底のごみをそのままにしてきてしまったな」
木綿斗が橋から堀を見下ろす。外灯に錦鯉の背がちらちらと見えた。
「あんなたくさんのごみの中を泳ぐなんて、可哀想ね」
「かわいそう……、」
縫以も呟く。
「……あの八つ目の鯉は、本当に向こう側の存在だったのかな、」
「どう云うことだい、サーラ?」
愛する弟の髪をほどきながら、獅子郎が
「僕もよく判らないよ、兄さん。それより少しお腹が空いたな」
「俺も空いた」「俺も」
魂針を心臓にしまいながら、皆は口々に同感を示す。
「帰って何か食べましょうか」
「おばあ様と淑子がおにぎりを作って待ってくれているはずだ」
やったあと、一同は歓声を上げる。
「ああ、嬉しい。鮭のおむすびあるかしら」
「俺は明太子が良いな」
「おかかあるかなあ」
「疲れた時は梅干しだな」
「……肉が食いたい」
「
喋りながら橋を下りて、ぞろぞろと帰っていく。視線を感じて、万知也は振り返った。石灯籠の影に、誰かいるようだった。一体いつからいたのだろう。
「どうした、まちや。置いていくぞ」
木綿斗が気付いて声をかけてくる。万知也は軽く走って追いついた。
「誰かいたみたいだ」
「気にするな。どうせ他の人間には、ここで何が起こったのかなんて、判らないんだ」
「そうだな」
万知也はもう一度後ろを振り向いた。もう人影は去っていったようだった。兄の云うとおり気にすることはないだろうと、考えた。左胸のあたりを服の上から触る。
今日の自分は及第だろうか。前を歩く縫以の背中を見つめる。肩で柔らかな髪が揺れている。
俺は特別じゃない。神童なんかじゃない。無力な、無能な奴だ。けれど無能なりに、勤めなければならない。そうでなければ、また、大切なものを傷つけてしまう。愚かな失敗は、もうごめんだ。
明くる日、万知也が日課のランニングで神社を通ると、橋の上に帽子を被った老人が立っている。昨日と全く同じように、堀の水面を食い入るように見つめていた。
「よつめの……、よつめの……、」
老人はそう呟いていた。水の中ではいつもと変わることなく錦鯉たちが貪婪な
万知也は胸で般若心経を唱えながら、再び走りだした。
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