一 の 九
「母さんもそう思う。ぬいは繕うことだけに集中していて。後はみんなが、上手くやってくれる。何も心配することないよ」
「その針は、父上様もずっと使ってきた針よ。父上様が、きっとぬいに力を貸してくれる。だから大丈夫。ぬいなら出来る。ぬいはお裁縫が大の得意だもの。絶対に出来るわ。自分を信じて」
「はい、母上様」
自分を信じるとは、何と健やかな言葉だろうと、万知也は思った。月並みだけど、正しい言葉。まばゆい言葉。ぬいは良い子だな。本心から頷いて。自分だったらその言葉を、到底受け入れられない。
──俺の信じていた俺は
獅子郎が汚れないようにと、更紗の髪を結わえる。
「サーラ、鯉の命は、全て兄さんの所為にするんだよ。だからお前は、何ひとつ気にしなくて良い。良いことは全てお前の手柄だ。悪いことは、全て兄さんの
更紗は頷いた。
「判った、そうする。兄さんの所為にする」
「素直なサーラはいっそう可愛いな」
獅子郎の頬がだらしなくなる。シシローは
「じゃあ、抜くよ」
更紗は竜のぬいぐるみに息を吹きかけた。たちまちぬいぐるみは堂々とした竜の姿となる。宙に浮かぶと、髭に覆われた
たくさんの魚が跳ね上がって青く発光する。錦鯉ではない。
「ブルーギル?」
「外来種め!」
皆は水の抜けた堀の底へと下りた。あちこち青く光る魚が、苦しそうに身悶えている。
「鯉はいないみたいだな」
「こいつらが全部食べたか」
「やっぱり外来種を安易に持ち込むことは危険だな」
コンクリートの底には、落ち葉の他に空き缶やペットボトル、お菓子の容器やビニール袋があった。
「ごみが多いな」
「酷いわね、神社のお堀に」
一年のうちに何回かは、堀の清掃が行われているはずだった。それなのにこうもごみが多いとは、捨てていく者が大勢いると云うことだろう。
「誰だ、DVDなんて捨てた奴は」
獅子郎が円盤を摘んで、顔を顰める。
「違法なやつかな、」
「こっちは花瓶があるぞ」
「凶器に使ったやつだったりしてな」
うっすらとした泥が、コンクリートの底全体に広がっていた。
「何処だ、ほころびは」
「何だこれは、毛布か、」
「膝掛けじゃないのか、」
「何でこんなものまで落ちてるんだ」
「死体を包んで運ぶ為に使ったんだろう」
「さっきから発言が不穏だぞ、まちや」
木綿斗がじっとりと塗れた膝掛けを持ち上げると、その下に、裂け目はあった。僅かな隙間から、異界の光がのぞいている。不規則に渦を巻く極彩色の異様な光だった。思わず見入り、忘我してしまう……妙なる光。何か甘やかに陶酔する調べが、音も無いのに脳裏に流れてくる。
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