一 の 六

「こんばんは」


 玄関から声がして、伯父一家が家に上がってくる。伯父の旺史郎おうしろうと伯母の淑子としこ獅子郎ししろう更紗さらさの兄弟だ。


「さらちゃん、ネズミさんありがとう」


 縫以が更紗にぬいぐるみを返した。鼠は巫女の力を継ぐ彼が、伝令の為にここへ送ったのだった。


「うん」


 更紗は頷いて鼠のぬいぐるみを受け取る。高校生の更紗もまた縫以と同じく、色素の薄い髪を肩まで伸ばしていた。


「ぬい、お揃いになってきたね」


「うん、お揃いだね」


 縫以は嬉しそうに自分の髪を引っ張る。


「久し振りのお勤めだな」


「一年振り……ですね」


 旺史郎がい、従兄弟たちの中で唯一成人している獅子郎が呟く。皆は黙った。一年前のことをおもい出したのだった。淑子が槙乃の腕にそっと触れる。槙乃は大きく笑った。


「さあ、いつものようにめいっぱい食べて、寝ましょう。お仕事の前には、まず英気を養わないと」


 淑子と隣りの家から駆けつけた祖母の絹江とで冷蔵庫内の食材をありったけ使って夕飯の追加分を作ると、仕事に出かける組は満腹をさらに満たす為に、食べた。


 それからそのまま食卓に突っ伏して、あるいは居間の床に寝転んで、仮眠を取った。我々はこれから、人知の及ばぬ怪物ばけものと戦わなければならない。その力を自らの内側から引き出す為の、大事な下ごしらえだった。


 縫以と更紗が肩を寄せ合ってカーペットの上でねむるのを眺めて、万知也は立ち上がった。槙乃は自分の部屋で寝ているようだ。食堂兼台所からは、淑子と絹江が洗い物をする音がする。それに混じって聞こえてくるのは、旺史郎のすがすがしい鼾だった。


 万知也は玄関から外へ出た。中庭を挟んで、隣りの祖父母宅の明かりが見える。今は足を悪くして杖をついて歩く祖父も、六十四歳までは仕事をしていた。最も昔は綻びることはさして頻繁ではなく、それも小さなものばかりであったらしい。ここ数年ほどだ、ほころびの生ずることが多くなったのは。


 それでもあの巨大なほころびから今日までの約一年は、新しいほころびの生ずることは無かった。再び仕事をする日が来ようとは……万知也は奥歯を噛みしめる。


 父上様を失ったように、また誰かを失ったらどうしようか。自分はまたその時に、木偶の坊のように突っ立っているのだろうか。今日、今宵、自分は動けるのだろうか。働けるのだろうか。この、無能な自分が。


「どうした、神童。寝ておかなくて平気か、」


 背後からかけられた声に、少し驚いた。振り向くと、木綿斗がズボンのポケットに手を入れて立っている。父上様が喋ったのかと思った。もともと声は似ていたけれども、喋り方までこうもそっくりだったとは。否、それとも、この一年で急に近付いたのかもしれなかった。


「そっちこそ、寝なくて良いのか、」


「どうも食べ過ぎたようだ」


 腹がいっぱいで上手く眠れんと、木綿斗は笑った。泰然とかまえているが、この兄も内心では緊張しているのかもしれなかった。


 兄弟は並んで空を見上げた。べつだん月は大きくも美しくもなく、星もまばらだった。何の変哲も無いと、乱暴に云いたくなるほど無個性な夜だった。

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