一 の 五

 夕飯のさなか、万知也は自分の方をちらちらと見てくる縫以のまなざしに気が付いていた。例のプリンのことを気にしているのだろう。万知也は素知らぬ振りをして、澄まして漬物を食んだ。


「うーん、美味おいしい。若竹さんの作るお寿司、いつも美味しいの」


 母の槙乃が万知也が貰ってきた笹寿司に感激する。介護施設の食堂で働く彼女は、自分で料理を作るのも、他人の料理を食べるのも、大好きだった。目を細め、丹念に寿司を味わう。


 仕事から帰ってきて、一息つくことなく夕飯の支度を始めたけれども、微塵も疲れた様子を見せない。髪をひとつに結わえて、常に笑顔で動き回る母上様は、一体いつ疲れを癒すのだろうと、万知也はしばしば疑問に思う。父のいなくなった今、余計に張りきっているように感ぜられる。なるべく負担をかけないようにと、三人の息子たちは心がけているのだが。


「これ、おばあちゃんが好きだからって、よく作られるのよね」 


 笹寿司は、奥土おくつちの郷土料理のひとつだった。農作業をしていても食べやすいようにと、笹の葉が用いられている。独特の清涼な香りが寿司にうつるのも美味しい。


「おばあちゃんって、寝たきりの、」


 万知也と二歳違いの兄である木綿斗ゆうとたずねる。通信制の高校に通う彼は、平日はアルバイトをしている。


「そう。そのおばあちゃんから作り方を教わったんだって、若竹さん云っていたわ。お嫁に来てから何でもおばあちゃんが教えてくれて、有り難かったって。若竹さんはまだ小さい時に、ご自分のお母さんを亡くされたから」


「へえ……、そうだったんだ」


 木綿斗は味噌汁に口をつけ、眉をひそめる。


「母上様、この味噌汁の豆腐、酸っぱくないか、」


「えっ、本当?」


 万知也も食べてみるが、なるほど変に酸っぱい。


「消費期限が切れていたのかな、」


「そうかもしれないね。ごめんごめん、細かい文字が見づらくって」


 実年齢より十歳は若く見られる槙乃だが、老眼が目下の悩みだった。


「……母上様、」


 それまで無言だった縫以が口を開いた。「お魚が生きてる」


「え?」


 皆は縫以の持っている汁椀に注目した。味噌汁の中で、実にやんちゃに魚が鰭を動かしている。その全身は、冗談なほど鮮やかな青色だった。


「綺麗な色ね」


 槙乃が素朴な感想を述べ、木綿斗がくびを捻る。「ブルーギルかな」


「外来種を野に放すのは、断固として禁ずるべきだ。大事な在来種が殲滅させられる可能性がある」


 外来生物の危険性を説きながら、万知也はブルーギルとは果たして本当にこんなにも青かっただろうかと疑った。


 木綿斗が頷く。


「ああ、そのとおりだな。兇暴な外来種の侵略を赦してはならない」


 皆は顔を見合わせた。魚は椀から飛び出さんばかりの精力だった。味噌汁の飛沫に縫以の胸がおおいに濡れて、万知也の海老フライにわかめが貼りついた。


 鈴の音がして、縫以の頭に鼠のぬいぐるみが飛び乗った。いの一番ならぬ子の一番である。鼠は縫以の頭の上で、自らくびを振って腹の内に納められた鈴を鳴らす。


何処どこぞにが生じたか」


 木綿斗がのんびりと云う。


「大変、ご飯を炊かなくちゃ」


 槙乃が慌てて立ち上がる。


 縫以が気遣わしげな表情で万知也を見てくる──どうしてお前が俺を心配するんだ。俺がお前を心配するのならば、ともかく。万知也は忌々しく海老フライを齧った。

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