三幕その二:作家遊葉の特異点
新宿中央公園、通称〝水の広場〟。
そこが万年筆のメッセージが指し示す〝約束の場所〟だという確信があった。根拠は無い。だが記憶の中の霧が立ち込めている場所に佇む何者かがここだと俺に示すのだ。
公園入口に奇如月さんと鶴見先輩を待たせ、単身で敷地内に入った。
敷地内にはまばらに人の姿があった。俺を呼んだ者はその中に居るのだろうか。子連れの主婦も散見されたが、それということはあるまい。俺に子持ち人妻の知り合いは居ないからだ。だからと言って、俺の知り合いらしき姿はその中には見つからない。
────────ああ、アイツだ。
銀髪を夏風に揺らす小さな背。ナンパ待ちにしてはスポットが不適に過ぎる。背丈は俺よりも明らかに低く、同年代から二つ三つは下にも見える幼さを残した面影。平時なら声掛けどころか視線を送るにも遠慮しそうな浮世離れした美麗な風体。衣装は至って平凡な白のノースリーブワンピース。身体の線は細く、紫外線を諸ともしない真白な素肌。
「よお」
俺は躊躇無く声を掛けた。彼女こそ、との確信あっての勇猛。これで違っていたら恥ずかしいにもほどがあろうに。
銀髪の彼女は振り返る。万人受けのしそうなツリ目がちな美少女顔がこちらに現れた。俺を見るなり一瞬だけ目を見開いたかと思うと、すぐに仏頂面にシフトした。
「あー、その、約束の場所ってのはここで良いのか」
そう言えば伝わるだろう。何せ約束の場所と言ってきたのはお前なんだろう?
「アンタ、どこに行ってたのよ」
正解だったらしい。コイツは俺を知っている。そしておそらく、記憶を失う前の俺もコイツを知っている。肌感覚で理解する。
「実家に帰ってた」
「あっそ」
俺の返答にイマイチ興味を示さない彼女。聞いてきたのはお前だろうが。
「特異点、つったか」
「……そうね。あるんでしょうね?」
「どうだろうな。俺はその言葉が何を指し示しているのか正しく理解してないからな」
「それじゃ困るのよっ!」
「まあ待て。これを指してんじゃないかって予想はある」
言い、ポケットから万年筆を取り出した。祖父から受け継いだ方でなく、いつの間にやら手にしていた二本目の方である。奇如月さんは言っていた。俺の知らぬ敵とやらはこの何の変哲もない──ようにも見える──万年筆を狙っているのだとか。目の前の知り合いが奇如月さんの指す敵でないとは断じられないが、そうだとしたら既に俺は襲撃されているはずだ。つまり俺が未だ平穏無事で居るこの事実が、目前の彼女が敵性存在でない証左だと思って良い。
「何よ、分かってるんじゃない」
「分かってると言うと語弊があるけどな。何せ俺は記憶を失ってるんだ。新宿で何が起きたのかも覚えちゃいないし、この万年筆が如何なる代物であるかも知らない、本当に申し訳無いが、お前が俺とどんな関係なのかも知らない」
「でしょうね。アタシを見て驚きもしないんだもの」
「俺はお前と再会すると驚くはずだったのか? さぞ劇的な別れをしたんだろうな」
「そうね。時間移動技術が無い時代の人間からすれば、あの別れ方はさぞ劇的だったことでしょうよ」
ほう、時間移動。タイムトラベルだかタイムリープだかは知らんが、SFと来たか。それがお前の妄言の類ではないと思いたいね。そうじゃなくちゃここまで来た意味が無い。
「じゃあ何だ、お前は未来人ってか」
「ええ、この時代から数えて一二〇年後の未来から来た。アタシの時代を正す為に」
「するってーと何だね、過去改変とやらが目的だと。バタフライエフェクトってやつか。一つアドバイスをするなら、先祖なんかは殺すんじゃないぞ。あとギャンブルも止めとくこった」
「アンタ莫迦じゃないの?」
失礼な、俺なりに様々な文献を読んで得た知見を授けてやったってのによ。
彼女の罵倒と猛暑に対して溜息を零していると、新宿駅の方角から破壊音とも取れる轟音が鳴り響いた。それに反応して音がした方角に振り向く。そうして何よりも目を引いたのは、異常な色をした空だった。まるで水を含まないむらさきいろの絵具を余すところなく塗りたくったような、雲一つ無い、人工的な紫色の快晴があった。
不思議と俺は驚いてはいなかった。いやもちろん、突然の大きな音に驚きはした。が、如何にも非日常めいたその効果音と、元からそうであったかのように平然とある異常な風景の存在理由に不安と怯えが顕在化するほどではなかったという意味だ。そうだな、どちらかと言えば俺はワクワクしている。「始まるんだな」とでも胸中で呟くように。
「本題に入るわよ、時間が無いの」
「未来人だろ? 時間なんざいくらでもあるだろ、散歩するように渡り歩けるんだし」
銀髪の少女は愚か者を見る目で俺を睨んだ。
「観測対象としての時間単位と、単一時間に基礎時刻原点を置いた場合の経過時間単位は別物に決まってるでしょ? そんなコトも分からないワケ?」
「それは記憶を失う前の俺が理解してた話か? 俺なんかの頭で理解できてるとは思えないくらいに意味不明な単語が頻出してたが」
「さあね」と切り捨て、
「筆を折りなさい、遊葉先生」
彼女は言った。
その言葉の意味を正しく理解するには、まずは二者択一の選択肢から正しい方を選び取らなければならない。言葉通り文字通りに、手に握られている万年筆をへし折れという意味か。はたまた執筆という行為を金輪際するなという意味か。
どっちでもいいよ。
「断る。どちらにせよ、俺にとってはかけがえのない物だ」
「何故?」
「何故だと? それは俺が作家遊葉だからだ」
「答えになってない」
「かもな。でも俺の気持ちは揺らがない。この万年筆は大事なものな気がしてならないし、執筆という行為は俺の人生で欠かせないものだ」
「……アタシなりの、温情のつもりだったのに」
「ンだと?」
「アタシは戦争が嫌い。どうして同じ種族同士で殺し合わなくちゃならないの。全くもって理解できない。どちらも知性ある誇り高きホモサピエンスでしょう。なのにやってることは古代の獣と同じ、ただのナワバリ争いに過ぎない」演説するように天を仰ぎながら語る。「ハッキリ言って愚かよ、人類は。遊葉先生もそう思うでしょ?」
そこで俺に振るのか。
「同感だ。戦争反対」
「でしょ? でも始まったものは仕方無いわ、それを無かったことにはできない」
「できないのか? 過去を改変して戦争の発端を阻止すれば良いじゃないか」
「アンタもしかして真正の莫迦? そんなことしても未来は変わらない。分岐した別のタイムラインが生まれるだけよ。戦争が起きなかったという、新たな未来がね」
別のタイムライン……パラレルワールド的な話ね。良かった、そういう設定のSF小説や映画、アニメを読書ならびに視聴していなければ話に付いていけないところだった。
「つまり、未来で起きた事象は何をしても覆せない、と」
「そうよ」冷酷なまでにあっさりと断肯する彼女。
「戦争はどちらかが勝つまで終わらない。どちらかが勝つってのは、相手方がもう戦えないってくらいに疲弊しきったって状態よね。戦場に送る兵士が居ないとか、兵士を動かす食糧が無いとか、兵士は居ても兵器が尽きて戦うだけ無駄とか。でもね、今は拮抗してるのよ。片方は科学と魔法少女の協力で、もう片方は異世界の怪物を従えてね。そのまま戦争が続くとどうなると思う?」
銀髪女のトンデモ未来戦争論にツッコミは入れない、野暮ってもんだろ今更さ。
「そりゃ、互いに消耗が続くだろうな」
「そうなのよ。それって一番無駄だと思わない? だったら両陣営の為にも、勝敗を決定付けるゲームチェンジャーが現れるべきなのよ。それで多くの犠牲が払われようとも、放っておけばそれ以上の犠牲が出るんだもの。政治家は戦場を知らないものね、当然だわ」
「お前の思想は何となく理解したよ。だがどうしても分からんコトがある。何故万年筆なんだ。核兵器を譲れと各国首脳に脅しをかける方が余程筋が通ってるくらいだぞ」
「核って核爆弾のこと言ってる? そんな前時代のへなちょこ兵器で戦争を終わらせられるはずが無いでしょ。人類文明の進歩を舐めてるわけ?」
舐めてねえし、ンなこと現代人が知るワケねえだろうが。今はまだ核兵器と言や、人道倫理に反するレベルの最強にして最凶殺戮兵器の代名詞だぞ。少なくとも、この時代、この国じゃな。
「ある科学者が第三次世界大戦を終息させる殺戮兵器【TYPE―NEXT】を設計したの。言うなれば科学の領域の最先端かつ最高峰、ファンタジーさえも凌駕する力を持つそれは、完成すれば人類の半数が絶えると言われてる。でも────完成には至らなかった」
「何故だ。それさえあれば戦争だって終わるんだろ」
「その科学者が敵国に捕えられたからよ」
「何で敵国とやらは科学者を捕らえたのに開発させないんだ」
「すると思う? 憎き敵国の為に兵器を造ったら、愛する故郷が火の海と化すのよ?」
「……戦争を知らない身で言うのは、もしかしたらお前の気分を害するかもしれないんだが。そんなに甘いモンなのか? 拷問でも何でもして造らせるのが戦争だろ?」
「されたわよ、それはもう悲惨なまでに。それでも……その科学者は頷かなかった。他に設計方法を知る者は居ないわ。だから軍は方針を変えたの。その科学者が【TYPE―NEXT】の後に考案し、実際に開発した兵器を手中に収める。それは【TYPE―NEXT】に対抗できる唯一の手段。人類を超越した知能、魔法少女の力、そして平和を願うパパの最後の良心が生んだ最高最善の兵器。……でもそれは、アタシの生きてきたタイムラインでは開発されなかった」
「……まさか」
「そうよ」
俺は思わず万年筆を握る力が強まった。
「アタシ達────真世界軍はその万年筆を、【作家遊葉の特異点】と称してる」
最初に思い浮かんだ感想は「厨二病かよ」だった。
だがすぐに茶化している場合では無いと思い気を引き締め直す。
「確かにそれは最高最善の兵器よ。でもそれはあくまで【TYPE―NEXT】なる最悪の兵器に対抗出来るからという、相対的評価に過ぎないの。その万年筆で何ができると思う?」
「誰かからのメッセージを自動で書いてくれる、とかか」
「そんなおまけみたいな機能だけで兵器と呼んでたらアタシたちが莫迦みたいじゃない」
俺の頭はパンクしている。だから莫迦も天才も見分けが付かなくなってるよ。
「最たる機能は、上位次元への干渉と情報の書き換え」
「上位次元だ? 未来では四次元も五次元も観測してるってのかよ」
「ええ、そうよ」彼女はそれが当たり前であるかのように肯定した。
「するってーと何だ? 三次元でさえ自由に書き換えられたらとんでもないのに、一つ二つ上の次元まで自由自在だと? ンなもんあったら世界は思い通りじゃねえかよ」
「そう、だから
多分、よく考えなくちゃならない局面なのだろう。それにしては一般現代人たる俺の知識があまりにも常識的範疇に留まっているのが考えものだが、だとしても、この万年筆を彼女に渡すか否かによって一二〇年後の世界の命運が左右されるのだ。
どうでも良くないか?
考えてもみろ、その頃には俺はとっくに死んでる。俺が死んだ後の世界がどうなろうが知ったことではないではないか。
だって俺には、無関係の未来なのだから。
だったら、さほどこの万年筆に絶対的必要性を感じていない俺が持ち続けるよりも、潔く譲ってしまった方が余程有意義ではないか。真世界軍とかいう未来の軍隊は今こうして現代に侵攻して来ている。鳴り止まぬ新宿駅方向からの轟音破壊音がそれだ。俺が頑固に遊葉の名を冠するトンデモ兵器を持ち続けるせいで現代にまで危険が及ぶくらいなら、さっさと受け渡して目の前の危険を遠ざけた方が、現代に於いてはよっぽど英雄的判断ではないだろうか。
簡単な話だったんだ。
俺は万年筆を握る右手を、彼女に向けてゆっくりと差し出した。
「────ざけんなっ!」
その瞬間。
推定五〇キロ前後の硬い衝撃が後頭部に突き刺さった。感触から察するに、靴裏が二つほどぶつかってきたらしい。それに押され、俺は地面に手を付く間も無く前方に吹っ飛んだ。
「アンタねえっ! 自分が何をしようとしてるか分かってんのっ!? いいえ分かってないでしょうねっ! アンタの一手で未来どころか、過去から現代、ひいては他のタイムラインが真世界軍に脅かされるところだったのよっ!」
ここ十数分、聞き慣れた声でしこたま叱られた。
上体を起こして視認する。
「……同じ顔だ」
銀髪ツリ目の美少女が二人居た。新たに現れた方の彼女は俺が属する高校の指定制服を着ており、両脇には入口で待たせていたはずの奇如月さんと鶴見先輩を従えている。
ははっ、もう何が何だか。
「すまない遊葉クン、まさか再会するなりドロップキックをかますとは……さしもの私も予想していなかったから止められなかったよ。が、しかし、キミと彼女の話を聞く限り、予想できていても止めなかっただろうがね」
鶴見先輩の補足が入る。やはり、さっきの後頭部への衝撃は銀髪少女Bのドロップキックで間違いないようだった。
「アンタ、別のタイムラインのアタシね? ったくどうしようもない奴ね。人が呼びつけた相手を待ち合わせ相手だと騙すなんて、親の顔が見たいわ」
別のタイムラインの本人なら親も同じだろ。
「……面倒なコトになったわね」
元から居た、白ワンピースの銀髪少女Aが忌々しそうに吐き捨てる。
「遊葉、アンタどこまで知っててどこから記憶を失ってんの?」
先生の次は呼び捨てですか。何でだろうな、妙にしっくり来るからそれで良いが。
「未来で戦争が起きてて、そいつらが今この時代に攻め込んできてるってのは理解してるつもりだよ」
「あれだけ説明してやったのにそれもやり直しとはね……まあ良いわ、態勢を整えるわよっ! 来なさいっ!」
制服の銀髪少女が手を差し伸べる。俺は迷わずその手を取った。
今言っても後付けっぽく聞こえるかもしれないが、一人目の方は初めから胡散臭く感じてたんだ。どうしても俺がアイツと交友を持つとは思えなかったからな。それよか今俺の手を握って瓦礫と化した新宿の街を走ってる、いきなりドロップキックをかますような暴虐女の方がよっぽど想像に易い。どうせ強引なやり口で俺に接触し、俺が拒否権を発動する前に不可視の手錠を掛けたんだろう。
あぁはいはい、何となく分かってきたよ。戦争同厭会なる謎部活を設立したのもお前だろ。如何にもって感じがするしな。映画撮影だってお前の独断に違いない。とすればお前は監督か何かか。だって撮影された映像には映ってなかったしな。まったくわがままな奴だなお前は。記憶を失う前の俺が可哀想だ。
「お前、名前は」
「山覚ツヅキ、二度と忘れんなっ!」
もちろん、こんなに得体の知れぬ熱意と強すぎるアイデンティティを持った奴を忘れる訳が無い。
山覚ツヅキ。
如何にもライトノベルのメインヒロインみたいな女じゃないか。
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