二幕その一〇:窓の落書き
安全な場所とは、戦争同厭会の部室を指していた。
曰く、鶴見先輩の独断専行で学校敷地半径円状に【Ark―E(vil)】を拒絶する結界を張っているとか。それのおかげで【Ark―E(vil)】は現世だろうが〝鏡界〟を介してだろうがここには攻め込めないのだそうだ。
ツヅキは部屋の隅で体育座りをして顔を突っ伏し、鶴見先輩は窓から外の様子を窺っている。
「大丈夫か、奇如月さん?」
椅子を並べてその上に寝かせた。彼女は右目を撃たれ、内部の機械機構が晒されている。
「……コアに近い部分が破損しています。機体内伝達機能に致命的なエラーを確認。一部の兵装を展開不可能であると、末路は結論付けます」
「死にはしないんだな?」
「機能の完全停止を指すのであれば、末路は死にません」
「良かった……」
兵装がどうとか言うのは、俺にとってはどうだって良い話だ。奇如月さんはクラスメイトで、同じ部活動の仲間なのだ。それ以上の関係ではないのだが、それ未満の関係でも決してないのだ。
「遊葉さん」
「どうした?」
「末路は遊葉さんに謝らなければなりません」
「何を」
「執筆を止めろと、末路は言いました」
「ああ……奇如月さんが正しかったのかもな。俺はどうせ未来で戦争が起こるなら書きたい物を書くべきだって思ってた。でもまさか未来じゃなくて現代にまで侵攻してくるなんて考えてもいなかったんだ。こんなコトになるなら、俺のせいでツヅキや鶴見先輩、それに奇如月さんを危険に晒すなら、俺は────」
「────それは違うわ」ツヅキが部室の隅から、自分の膝に顔を埋めたまま言った。
「何が違うってんだよ。ツヅキも見ただろ、あの新宿の光景を」
「見たわよ。アタシの見慣れた新宿地区の風景だった。でも、少なくとも歴史は変わってるのよ。これでアタシの知る第三次世界大戦には繋がらない。パパが死ぬ未来にも繋がらないのよっ!」
「その結果もっとヤバい戦争に繋がったんだぞッ!」
「じゃあ何? 知らない人間達の代わりにパパに死ねって言うの?」
「……そうは言ってないだろ」
「そういう意味でしょっ!? アンタは良いわよね、誰の心配もせずに好きなコトやって生きてるんだからっ!」
ツヅキの苦労を思いやれないでもないが、二五の俺でもそれには我慢ならなかった。
「全部、お前のせいだろうが」
「……は?」
「二〇一二年の新宿がこうなっちまったのはお前のせいだっつってんだよッ!」
一度溢れ出した怒りは留まるところを知らない。俺の口はさながらストッパーの壊れた蛇口のように、送られた感情をそのまま垂れ流すだけの通過点に成り下がった。
「一〇年後の未来で俺を助けなきゃ良かっただろうがッ! 誰が助けてくれっつったよッ!? どうせ書きたい物も書けない作家人生だ、だったらあのまま死んでた方が良かったんだッ! そうすりゃこの時代にまであんな被害出さずに済んだ、無駄な犠牲も払わずに済んだんだよッ! 一瞬で終わる夢だけ見せられて、どうしてくれんだよチクショウ……ッ!」
「だからっ! そんなの知らないって言ってるじゃないっ!」
「しらばっくれんじゃねエぞッ!」言葉と共に、涙まで垂れ流している。
「正しい歴史を変えようなんざ考えたのがいけなかったんだ。お前の父親が死んだのも仕方の無エことだった、俺が書きたくもないモンで大成功しちまったのも、全部全部どっかで見てる神様が決めた既定路線ってモンだったんだよ」
「ストップだ遊葉クン、言い過ぎだよ」
「そもそもだッ! 一〇年後の魔法少女は何してたんだよッ!? あの時魔法少女が駆け付けてりゃあんな大惨事にはなってねエんだよッ! 新宿が担当? フザけんな、一〇年後のテメエがサボってるうちに何百人もの犠牲を出してんだぞッ!」
「アンタ、サイアクよ。さんかくに当たるなんてどうかしてる。だったらアンタが書きたくもない物を書かなきゃ良かったじゃない。……今分かった、よく分かった。パパを殺したのは真世界軍じゃない、エゴもプライドも貫けない、だけど世界平和のために己を殺せない、アンタの中途半端でしょうもない作家性が殺したのよっ!」
「かもな。でも父親の傍に居たのは俺じゃない、お前だろ。そんなに大切だったなら易々と自死なんてさせてんじゃねエよ。弱く幼いテメエの不甲斐なさを赤の他人のせいにすんな。その頃俺はとっくに死んでんだからよ」
「呆れた。ここまでとは思わなかったわ」
ツヅキは己の怒りをぶつけるように、窓を殴った。拳を中心に仄かに亀裂が入った。そのせいで、窓に書かれた戦争同厭会の文字は酷く歪んだ。
「帰る。もうお前らと一緒には居られない」
椅子の上に横になっている奇如月さんを起こし、背負う形で抱き上げる。
「待ちなよ遊葉クン。奴らが狙っているのはキミと末路ちゃんだ。しかも末路ちゃんは戦えないんだろう。私達と一緒に居た方が安全だよ」
「だとしてもだ。鶴見先輩一人でアイツらに勝てるとも思えない。もう全部終わりだ」
「そんなコトは無いさ! 私達の絆パワーがあればどんな敵にだって────」
「所詮、くだらない啓蒙映画を撮っただけの薄い関係でしょう」
この一言が決め手だった。
鶴見先輩はそれ以上言葉を紡げはしなかった。当然だ、そういう言葉を俺は選んだ。
「アタシも帰る」
ツヅキは言い、俺を追い越して部室の扉を開いた。
「今思えば、
そうか、今朝の早起きは徒労だったか。まったく以てとんだじゃじゃ馬だこと。帰れ帰れ、さっさとここから消えやがれ。この自己中心的疫病神が。
「二度とこの時代に来るんじゃねえぞ」
「当然」
ツヅキの小さな背中を押し退けドア枠を潜った。
背中の奇如月さんが俺の身体に回す腕が、少し強くなった気がした。
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