二幕その八:確率と通知

「奇如月さんだけか」



 放課後、部室を訪れると彼女一人が静かに待っていた。俺と奇如月さん、そしてツヅキは同じクラスだが、一緒に部室に向かったりはしない。初日がそうだったから、その習慣が惰性で続いているだけである。そうなると、今更「一緒に行こうぜ」とは提案し難い。


 奇如月さんは小説を読んでいた。大衆小説である。普遍的な姉妹を中心に繰り広げられるミステリとお涙頂戴の合いの子のような作品だ。過去に俺も読んだ。読み終わったら感想を聞いてみよう。ロボット少女のAI的ハートからは一般人の俺とは違った感想がまろびでそうじゃないか?


 奇如月さんの正面の席に座ると、彼女はぱたりと本を閉じた。



「気遣いは要らないよ。皆が揃うまで読んでてくれ」


「既に全文記憶していますので」なら何故読み返していたのだろう。



 奇如月さんは足元に置いていたスクールバッグに小説をしまった。



「〝もう一つの第三次世界大戦〟が起こる確率が上昇しています」



 キュッと心臓が絞められた。


 ツヅキと第三次世界大戦の阻止を喜んだのも束の間、悲劇は着々と近付いてきている。



「ちなみに何パーセントくらいなんだ、それは」


「末路の演算によれば、九八.二三パーセントです」


「おいおい待て待てッ! ンなもんほとんど一〇〇パーセントって意味じゃねえかよッ!」


「はい」奇如月さんは平然と告げる。



 奇如月さんの演算が正しいのなら、ほぼ確実に世界規模の大戦が起こるのだ。その頃、俺は死んでいる。ツヅキが阻止した未来でも、奇如月さんが演算した未来でもそれは共通している。そしてその双方とも、俺の小説が火種となる。


 途端にその事実が身に染みてきた。重く厚い膜のような物が身体に纏わりついているような感覚である。



「多分、俺のせいだ」


「何故、そう思うのですか?」


「俺がずっと書きたかった小説を書けることになったんだ。担当編集────出版社との話も進んでる。何事も無ければ、来年には……」


「それが原因だと、末路は考えます」


「そう、だよな」


「遊葉さん」



 奇如月さんが少々語気を強めた。無抑揚な彼女にしては珍しかった。



「その小説を書くのを止めてください」


「でも……」



 でも、折角掴み取ったチャンスなんだ。元の人生では叶わなかった夢を叶えられる。この機を逃せばまた、旬を逃してしまうかもしれない。もう数年も経てば、空前の「ハイファンタジー」ブームが巻き起こる。流行の回転速度は太陽が昇って沈む速度以上なんだ。



「遊葉さんは、自分のエゴと無数の無辜の民の命、どちらを優先したいと考えますか?」



 夢を叶えて無数の人間を殺すか、夢を諦めてツヅキの父親を殺すか。要はそういう質問なのだ。



「どうせ、第三次世界大戦は起きるじゃないか」


「はい。遊葉さんが何を書こうと、その末に精神を病み第三次世界大戦は起こります。ただし、一方は確実に終息させられる物、他方はその目途が立たない未知の技術が用いられる終末戦争です。従って後者の方が犠牲は増えます」


「だからって前者で犠牲がゼロってワケでもない」


「はい」


「例えば、俺が執筆を止めたとしたら……そうすれば戦争は起こらないのか?」


「いえ、起こります」


「どうして」


「遊葉さんは生涯執筆をしないという約束を、いずれ破ります。共感はできかねますが、末路が知り得ている遊葉さんの情報を演算に組み込んだ場合、そう導き出されます」



 理由なんて一つしか無い。俺が執筆という行為をを愛しているからだ。創作活動の魅力に憑りつかれた俺に、筆を折るなんて不可能なのだ。魂が物を書けと求めるのだ。



「すべては、遊葉さんにかかっています」


「……何で俺なんかに」


「偶然です」



 誰かの思惑や悪意があるでもなく、ただ偶然にも、俺の行動によって未来の世界運命が決まってしまう。悪意によるものである方が余程良かった。怒れる先がある方が、精神衛生上ずっと健全でいられる。


 どうして俺なんかがそんな重い役目を背負わなくちゃならない。俺はただのライトノベル作家だ。今はただの男子高校生だ。自分の意思で過去に飛んだ決死の覚悟を持った未来人でもない、日夜世界を守るために怪物と戦う魔法少女でもない、体内にあらゆる殺戮兵器を仕込まれたアンドロイドでもない。


 ただの、一般人なのだ。



「〝もう一つの第三次世界大戦〟はどんな戦争なんだ。その戦争には、奇如月さんの発展型は投入されないのか」


「投入されますが、無意味です」


「奇如月さんの演算が絶対だって証拠は?」


「……末路は、末路の演算に従って行動しています。末路の演算が絶対でないとしたら、末路は何に従って行動すれば良いのか分かりません。故に、末路は末路の演算が絶対であるという前提の元でしか思考・発言・行動ができません」


「信じられない」



 言って気付いた。今の感情を正しく言語化するとしたら、「信じられない」ではなく「信じたくない」の方が適している。小説なら後から書き直せるが、言語コミュニケーションにその融通は利かない。ひどく、後悔した。



「分かり、ました」彼女にしては、実に血の通った声色だった。


「……ごめん」


「いえ、全ては遊葉さんの自由です。遊葉さんの望む未来がそれだと言うのなら、末路は否定する権利は持ち合わせていません」


「ちが、違う、それは」



 俺が望む未来だと?


 そんなはずがあってたまるか。奇如月さんの同系機から共有された記憶ほどでは無いが、俺も戦争の悲惨さをこの目で見た。望んでそんな未来を選び取るなんて莫迦げたこと、する訳が無い。


 消極的選択なのだ、こればかりは。俺が何を書こうと戦争は起こる。ならばせめて、俺の夢くらいは叶えさせてくれ。一般人の俺は未来なんて知らされなかった、高度AIの演算結果なんておくびも知らない、それで良いじゃないか。


 見て見ぬふりをさせてくれ。


 ふと、未来でツヅキが俺に伝えた言葉を思い出した。







『作家として、エゴを貫くのは美徳よ』







 そうだ。これは美徳なのだ。


 作家遊葉は、作家である。


 書きたい物が受け入れられる市場がある、だから書く。それを否定する正論なんて、現代一般社会には本来存在しないはずの物だ。


 AI主導型対人殺戮用途二足歩行生命兵器は、異物である。



「それでも俺は「学園ラブコメ」が書きたい」



 奇如月さんは何も言わなかった。それはきっと、俺が涙を零していたからだ。


 代わりに、俺の胸ポケットのスマートフォンが着信音を以て返事をした。


 鶴見先輩からのメッセージだ。要件は短文端的、されど俺の心に灰色の雲と紫色の空を生み出した。



『魔法少女稼業が忙しくなりそうだから、少しの間部活に出られなくなりそうだ』



 魔法少女の多忙。


 それが意味するのはすなわち、現世の危機に外ならない。



「遅れてごめんね、ちょっと青木に呼び出されてて────アンタ達、なんか暗くない?」



 室内に立ち込める重苦しい空気を追い出すべく、ツヅキが窓を開いた。



「うわっ、雨降ってるじゃない」



 まだ小ぶりの、弱々しい雨だった。



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