二幕その六:AI主導型対人殺戮用途二足歩行生命兵器・奇如月末路

「奇如月さん、その衣装は……?」



 週末。俺は奇如月さんと二人で、港区埠頭を訪れていた。俺が任されていた脚本も書きあがり、山覚さんによるチェックも一〇回を超えるボツを乗り越え無事クリア。いよいよ、撮影開始と相成ったのである。



「山覚ツヅキに命じられました。ヒロインはコスプレをするものだ、と」



 奇如月さんの衣装は、レオタードをベースにしたヘンテコなタイツスーツ。脚の付け根までしか布地が無く、生足が露わになっている。そのタイツスーツの上から羽織らされた、これまた珍妙なデザインの──パリコレで出されれば納得しそうな──ジャケット。


 設定上、これは奇如月さん演じる少女の私服であり勝負服なのだが……攻めすぎだろ。


 ヒロインはコスプレをする、という山覚さんの意見は大きくズレているとも言えるし、あながち外れてはいないとも言える。ライトノベルや漫画の世界では、戦うヒロインは総じて愛らしい衣装を着ているのだから。



「アマチュア映画だから別に良いけど……際ど過ぎないか?」


「女性体である末路が脚を晒せば男性の関心を引けるため、より多くの人に映画を視聴してもらえると、山覚ツヅキは発言していました。末路もそれに異議はありません」


「奇如月さんが良いなら良いか……」


「遊葉さんも、この衣装を着た末路に関心を持っていますでしょうか」



 上目遣いが卑怯だ。思わず視線を逸らした。


 それにしても、学校に居る時よりも言葉数が多い気がする。相変わらずロボティックな無表情は崩さないまでも、普通の女子高生である奇如月さんは案外にこの映画撮影に胸を躍らせているのだろうか。躍らせるほどの胸が無いではないか、なんて事実であっても野暮と評して相違ない口を挟む奴が居たら俺の前に来い。殴る。



「まあ、似合ってるんじゃないか」



 集合時間は早朝の五時。昨晩一二時頃に連絡が着た。もっと早く伝えてほしかったものだ。



「遅いな、二人とも。連絡も着てないし……」


「山覚ツヅキは所用で本日の撮影には参加できないと。鶴見さんかくからは未だ連絡がありません。末路の演算によれば、未だ睡眠中であると導き出されています」



 と、カバーの一つも被せられていない素っ裸のスマートフォンをこちらに見せてきた。



「マジかよ……」頭を抱える。


「末路は、嬉しく思います」こいつはまた予想外の一言である。


「どうして」


「遊葉さんは常に山覚ツヅキと共に居ます。末路はそれを望みません。故に、山覚ツヅキの居ない現状を、末路は好機と捉えます」


「まあ、渋々な。映画の監督はアイツで、脚本・カメラは俺だ。打ち合わせだとか意見のすり合わせで自ずと一緒に過ごす時間も増える」



 奇如月さんの言う「好機」がどういう意味を含んでいるのか、妙な悪寒がしたから触れなかった。俺の想像通りだとすれば厄介だ。精神年齢に開きのある色恋は危なっかしい。過去──時間線上未来でもある──の教訓である。



「どうせ今日撮るシーンは奇如月さんだけのとこばっかだしな。サクサク撮っていくか」


「末路にNGはありません、三六〇度好きな角度からお撮りください」


「それも決められてんだよ、アイツにな」



 香盤表を確認しながら撮影を始める。朝日煌めく東京湾を眺める後ろ姿、マフィアが潜む倉庫を訪れるシーン、マフィアに捕まり縄で縛られ苦しむ姿────おい、そんなシーン書いた記憶無いぞ。


 撮影進行はスムーズだった。毎シーンこだわりぬく五月蠅い監督も居らず、台本に書かれている台詞の倍以上の口数でアドリブを挟む助演女優も居なかったからだ。



「日中ラストのシーンだ、さっさと撮って帰ろうぜ」


「はい」



 ラストはロシアンマフィアから全力疾走で逃亡するシーン。追われると言っても、走る奇如月さんを撮影するだけだ。監督曰く、「汗を額に浮かべて前髪をでこに張り付かせながら全力で走る美少女には趣があるのよ!」だそうで、それについては分からないでも無い。何せ俺が書いたシーンなのだから。それにしても奇如月さんはここまでのシーンで汗をまったくかいていない。生粋の女優だな。霧吹きでも用意しておくんだったぜ。



「三、二、一────キュー」



 ビデオカメラのRECボタンを押下。ピントを合わせる操作にはとっくに慣れた。







「見つけたぞッ!」「追えッ!」「もう逃がさんぞッ!」







 タイミングを見計らったように、黒いスーツにサングラスといった三者一様の格好をした男達が姿を現した。


 まさかこれ、山覚さんの手回しだろうか。所用と言うのはエキストラを捕まえる為だったとか。本物だと信じてしまいそうな迫力のあるマフィア役をよくも探し出したものだ。おそらくだが、彼らの雇用で残りの部費は使い果たされているのだろう。



「逃げましょう、遊葉さん」


「俺の名前を呼ぶなよ、映画の中では遊葉なんて人物は居ないんだぞ」


「……カットでお願いします」



 走る奇如月さんを追い掛けながら俺も走る。前方はビデオカメラのモニターのみで確認しているから走り難い。二〇一二年の旧型カメラでは手振れ補正も拙い。画面酔い注意のシーンになりそうで、既に視聴者への罪悪感が生まれてきた。……そんなに居ないか、この映画の視聴者なんて。



「回り込めッ!」「はいッ!」「はいッ!」



 ちゃんとしてる、ちゃんとし過ぎだろう。そんなに張り切ってもらわなくて結構なのだが。


 埠頭のコンテナで形成された迷路を右手にカメラを構えたまま走り続ける。高校生の身体とはいえそろそろ体力の限界が近付いている。対して奇如月さんはと言うと、呼吸の一つも乱しちゃいない。細身に見えて案外アスリート体質らしい。



「追い詰めたぞッ!」「もう逃げられねえぞッ!」「覚悟しやがれ【END】ッ!」



 前方に黒服一人、後方にも黒服が二人。映像としては十分か。



「カット! オッケーです、一旦止めます」


「何がカットだッ!」「舐めてんのかッ!」「【END】を捕らえろッ!」



 カットの声も無視し、黒服達が襲い掛かってきた。やる気に満ち溢れ過ぎだ。売れない新人役者かコイツら。



「下がっていてください、遊葉さん」



 奇如月さんの小さな身体が俺を隠した。


 黒服達の拳が奇如月さんに襲い掛かる。それを必要最低限の動きだけで躱す。何だよこれ、アクションシーンの撮影予定は無かったはずだが。



「クソッ……」「流石【END】……」「ヤるぞッ!」



 黒服達が懐からピストル型のモデルガンを取り出し、奇如月さんの方へと構えた。モデルガンとはいえ、人に向けて撃つのは危険だって親から習わなかったのだろうか。育ちが知れるな。



「伏せて」無感情無機質はそのままに、やけに耳まで通る声音だった。



 左手で頭を押さえてその場にしゃがみ込む。右手には未だREC状態が維持されたままのビデオカメラがある。折角のアクションシーンだ、どうせなら撮っておこう。


 直後、乾いた破裂音が三つ鳴った。モデルガンの発砲音にしては音量が大き過ぎる。例えるならまるで────本物の拳銃のようだった。



「お、おい、奇如月さん……?」



 俺の前に立つ奇如月さんを見上げる。



「問題ありません」身体の三ヶ所から流血させながら。


「撃たれてるってッ!?」


「損傷しましたが、生存機能に支障は来していません」


「ンな訳あるかよッ! だって奇如月さん、だってそれ────」



 医学知識の無い俺にだってそれくらい分かる。






 左胸には、心臓があるんだぞ。






「────胸……」



 奇如月さんが撃たれたのは右腕、左胸、脇腹の三ヶ所だった。どこか一ヶ所だけでも撃たれたら重傷なはずなのに、俺の前に立つ彼女の被弾箇所は三つだ。表情を変えずに話しているのも非常識だし、そもそも膝を付かずに立てているその光景自体が非現実的に過ぎる。



「捕まってください、遊葉さん」


「はア!?」


「逃げます」


「どこにッ!?」前方には拳銃を構える三人の男、後方には退路を塞ぐコンテナが。



 本物の拳銃を持ってこちらへ悪意を向ける存在を前に脚が震え、俺は立ち上がれなくなっていた。だから地面に座り込んだまま、奇如月さんの真白の生脚にしがみついた。



「逃がす訳ねえだろッ!」「今度はコアを狙えッ!」「破壊は認められてねえぞッ!」



 幸いにも、黒服達はやんややんやと仲間割れの要領で怒鳴り合っていた。



「脚部兵装・展開────末路、跳びます」



 奇如月さんの綺麗な脚が開き、中からメカニカルなシルバーパーツが姿を現した。段々と熱を帯びてゆき、やがてあまりの高温に紅く変色した。その部分を避けるように、俺は回す腕を腰回りへと登らせる。


 奇如月さんの足が地面を蹴った。足元のコンクリートが抉れ、次の瞬間には────。







「噫、SFだ」







 ────目下に、ミニチュアセットのような芝浦埠頭があった。


 微妙に角度を付けながら益々と俺達は上昇してゆき、やがて北西方向に見える東京タワーを見下ろす高さにまで昇った頃、上昇は止まった。この地球、この宇宙では全ての物体が等しく古典力学に従って動く。多大な運動エネルギーを失えば、次は膨れ上がった位置エネルギーが主張を始める。


 推定四〇〇メートルの高さから、俺達は落下を始めた。



「おいおいおいおい奇如月さんッ!?」


「安全です」


「そんなワケあるかいなッ!?」



 異議申し立ては東京上空の風が吹き飛ばした。


 為すすべなく。重力が引き起こす自由落下に身を任せる。


 地上三五〇メートル、二〇〇メートル、七〇メートル。落下速度は増してゆく。



「大丈夫なんだよな? もう間も無く地面だぞッ!」


「右脚部ジェット噴射機構の故障を確認。先ほどの銃撃が原因だと末路は推測します」


「どうするんだよッ!?」



 三〇メートル、一五メートル。地上で死神が笑っていやがる。



「遊葉さん、絶対に手を離さないでください」


「はいッ!」



 奇如月さんの腰へ回す腕に力を込める。細く柔らかい腰部である。そんな彼女がどうして……いや、今はただ信じよう。奇如月さんにあるだろう奥の手と、俺の運を。



「腕部兵装・展開────末路、砲撃します」



 奇如月さんの右腕が開き、またしても、脚と同じようなメカニカルなパーツが現れた。それは小型化された大砲のような形状をしていた。砲口の部位に急速に光と熱が集まる。バチバチと音を立てるその光粒は電気の塊か。拳一つ大のサイズにまで電気の塊が集まると、彼女はそれを真下の地面に撃ち出した。



「うおッ!?」



 腕部電磁砲撃の反動によって、自由落下のベクトルと逆方向に力が加わる。その衝撃の大きさは、地面に生まれたクレーターの存在が証拠となろう。


 多少の落下衝撃は身に受けたものの、俺の五体は満足のまま着陸に成功した。強いて言える被害があるとすれば、全身が痺れ、耳が少々遠くなったくらいだ。










「末路の全てを、遊葉さんにお話しします」



 夜間シーンの撮影は断念した。一連の騒動によって奇如月さんの衣装がボロ切れになったからである。今は彼女の綺麗な脚も良識ある見慣れた制服姿に隠されている。


 一時は追っ手を撒いたが、またいつ見つかるか分からない。命懸けの鬼ごっこに民間人を巻き込む訳にはいかず、念押しに俺達は人気の少ない東京湾海岸線を北に向かって歩いていた。


「末路は人間ではありません」


「だろうな……。人間は飛ばないし、電磁砲を手から発射する人間はライトノベルのヒロインくらいのものだ」


「末路はAI主導型対人殺戮用途二足歩行生命兵器【TYPE―END】、来る世界大戦に向けて製造された戦用アンドロイドです」


「ほ────」息は洩れど言葉は出ん。



 未来人に魔法少女と来て、今度はアンドロイド────要はヒト型ロボットか。今更驚きやしない。世界の可能性は無限大だ。絶句してしまったのは驚愕からではなく、ある種の呆れによってだ。


 ……だからって、もう出てくんじゃねえぞ、特異点よ。



「末路は同系機の中で最後に製造された機体であり、【TYPE―END完成型】と名付けられました」


「末妹って事か」是非ともお姉さま方にお会いしたいもんだ。奇如月さんと同じく皆美人でいらっしゃるんだろう。


「末路達は同系機と記憶領域を共有しています。インターネットを介さないオリジナルネットワークによって同期しているからです。同系機は全て、他国軍やテロ組織に売却されました。よって、末路は数多の戦場での経験が現在進行形で記憶領域にダウンロードされています」


「さっきの黒服は、奇如月さんを造った科学者の手先か?」


「そうとは限りません。末路は同系機から共有される記憶から、「殺人は悪」だと教育されました。同系機のほとんどがそう結論付けながらも、主と設定された者の命令には逆らえません。故に同系機は、未だ主が設定されていない末路を科学者の元から逃げるよう促しました。完成型である末路は、北の社会主義国に売約済みでした。科学者はその取引相手からの要望により、末路の回収を企てており、末路は科学者が雇った傭兵に追われ続けています。それだけでなく、各国の諜報機関は末路が脱走したという情報を手に入れ、真っ先に回収すべく末路を追っています。先程の追っ手はおそらく日本の公安警察であると、末路は推測します」



 我が愛すべき日本国までもが殺人アンドロイドを欲している、と。それが自国防衛の為に使われるのであればあながち咎められないが、もし他国と同じ利用方法を想定しているのだとしたら。政治家の皆々様には間違った選択をしてくれぬよう、一国民として祈りを捧げるとしよう。それくらいしか一般人にはできんのでな。



「それは何というか、窮屈な生活だっただろうな」


「末路は否定します。末路はAI主導型対人殺戮用途二足歩行生命兵器、人間と同じ生活を初めから望んでいません。これが末路の日常です」



 奇如月さんは無表情に無感情に無機質に無抑揚に言った。


 だが俺には、そんな彼女の横顔が寂しげに見えた。



「どうにかして諦めてもらう方法は無いのか?」


「あります。同系機やマスターコンピュータ―との通信を遮断し、記憶領域内の全データを削除することです。記憶領域内にある内蔵兵器の起動キーが削除されれば、末路は無兵装の機械人形になります。そうなれば、科学者や軍も末路を欲すことは無くなると、末路は考えます」


「だったら今すぐにでも────」


「────しかし」



 奇如月さんの瞳には三日月が映っていた。その瞳は、俺と同じ人間のそれだった。



「同系機とのコミュニケーションセッション記録を失いたくない、末路はそう考えます」


「どうして」


「遊葉さんは、家族との記憶を捨てられますか」



 奇如月さんが末妹なら同系機達は姉に当たろう。親である科学者は彼女達を商材としか見ていない。ならば彼女にとっては、同系機達が唯一の家族だったのだ。常に危機に追われる生活を続けてでも、姉との思い出を失いたくないのだ。


 その感情はまさしく家族愛。その感情を抱える奇如月さんは、普通の女子高生でなくては何だと言うのか。俺にはどうしても、彼女を冷酷な殺戮兵器とは見られなかった。



「俺に力になれることがあったら何でも頼ってくれよ」



 俺の言葉の意味が分からなかったのか、奇如月さんはこてんと首を傾げた。



「俺と奇如月さんはクラスメイトで、同じ部活動の仲間じゃないか。それに俺は勝手に友人だと思ってる。友人なら頼り頼られるものだろう」


「友人は頼り頼られるもの……学習しました。半永久的に忘れません」


「どうせなら永久だと言ってくれよ」


「…………」



 彼女の前でだけは失言に気を付けよう。もし彼女が〝イジリ〟などという概念を学習してしまえば、俺はいつまでも一つの失言を取り沙汰され続けかねない。



「友人の遊葉さんに一つ頼み事をしたいと、末路は考えます」


「早速か。良いよ、何でも言ってくれ」


「山覚ツヅキと極力接触せず、これまでの山覚ツヅキの発言を全て忘れてください」


「……何だって?」



 まるで友人間に根回しをして嫌いな奴を孤立させようとする、幼稚な悪人のような発言だ。人間らしくあってほしいとは願ってもいたが、好まない方向性のアプローチだぞ。



「世界平和のためです」


「どういう意味だ。むしろ逆で────」



 言いかけて、留まった。果たして奇如月さんは、山覚ツヅキが真正の未来人だと知っているのだろうか。もし俺の言葉からそれを知ってしまえば、山覚ツヅキの言う「時間移動の五原則」に抵触してしまう。


 どう言葉にすれば良いかと言い淀んでいると、奇如月さんの方から言葉を継いできた。



「山覚ツヅキは二一三二年から時間移動をしてこの時代へやって来た未来人です。それは遊葉さんもご存じかと思います」


「……何で知ってるんだ?」


「山覚ツヅキの毛髪と皮膚片を採取し調べた結果、現代には存在しないウイルスへの抗体が見つかりました。ウイルスの進化工程を演算し、山覚ツヅキが存在していた年代を導き出しました」


「……まさか、俺や鶴見先輩にも同じコトをしてるんじゃないだろうな」


「しました。遊葉さんはもう少し睡眠時間を増やすべきです」



 安堵した。身体は元々この時代にあった物だから、俺が未来人だとはバレていない。



「遊葉さんは、山覚ツヅキがこの時代を訪れた理由を存じているのでしょうか」


「知ってる。というかアイツの言葉通り、第三次世界大戦を阻止するためだよ」



 彼女が未来人だと自力で知り得たのなら、情報の補足をしたって問題も無かろう。



「未来で俺は作家になるんだ。本当に書きたい物は書けず、やがて精神を病むんだと。そんな状態で書いた小説がどこぞの悪輩を勇気付けてしまい、暴動が起きて世界大戦にまで発展するんだとさ。だから山覚さんは俺に、本当に書きたい物を書かせようとしてるんだよ」


「やはり山覚ツヅキとは今すぐ交友を断ってください」


「俺の話を聞いてなかったわけじゃないよな?」


「小さな変化によって、未来に大きな変革を促す事例があります。遊葉さんにとっての山覚ツヅキがそれです。この時代で本来起こり得ない結果を導く外的要因、です」


「待った」



 それ見たことか、三度目だ。しかも前の二つとはまた違う意味を持ち、別々のモノを指している。二つまでなら何とか理解し分けられただろうが、三つともなるともう無理だ。というかそこまで悩まされたくない。混乱する。断じて言おう、俺はSFにもファンタジーにも属さない一般人なのだ。



「話の腰を折って悪いな。申し訳無いんだけど、俺の前では特異点って単語は禁句とさせてくれないか。厄介な事情があるんだ」


「……末路は承知しました」やや不納得の様子である。


「末路の演算によれば、遊葉さんは山覚ツヅキとの交友を経て、とある小説を出版します。舞台は現代の高等学校、主人公は男性、一人の女性に振り回されて部活動を設立し、そこに集まった複数の女性達に好意を抱かれる、といった小説作品です」


「理想の未来だ」


「しかしその小説を含む遊葉さんの著作はすべて酷評の嵐に襲われます。やがて遊葉さんは精神を病み、晩年にとある小説作品をインターネット上で発表します。その小説作品が北欧のある地域で好んで読まれ、その小説作品を神聖化する集団が暴動を起こします」


「まさか」



 端的に、奇如月さんが結論を述べた。



















「末は、〝もう一つの第三次世界大戦〟に発展します」



















 ────山覚ツヅキの未来よりも、より悲惨な未来が待っています。


 奇如月さんはそう付け加えた。「……ははっ」頭の中は一瞬にして暗み、笑みは乾き、目元は濡れていた。


 書きたい物を諦めれば精神を病み、第三次世界大戦の火種を生む。書きたい物を書いても消費者から受け入れられず精神を病み、もう一つの第三次世界大戦の火種を生む。


 往くも帰るも地獄とは。



「しかし、山覚ツヅキの居た未来で起きている第三次世界大戦は、最悪の事態に陥る前に終息します。未来のとある科学者が、末路達の発展型を開発するのです。その兵器を以てして第三次世界大戦を終息させるでしょう。末路の演算によれば、正式な終戦は二一三四年。山覚ツヅキが居た年の二年後です」



 山覚さんは言っていた。彼女の父親が〝第三次世界大戦を終息させる兵器〟を造ったのだと。奇如月さんの言うとある研究者とは山覚さんの父親で、山覚さんの父親が開発した兵器というのが、奇如月さん達の発展型なのだ。



「遊葉さん、友人として末路は懇願します。山覚ツヅキではなく、末路と、末路の家族を信じてください」







 ────世界平和の為に。







 奇如月さんはそう付け足した。


 作家遊葉は脱力した。どうあっても自作が世界大戦の発端となるのだ。それを聞いて足腰と精神を強く保てる者が居るだろうか、いや居ない。


 山覚ツヅキから教わった「時間移動の五原則」を思い出した。未来の情報を過去人に与えてはならないというルールは、あながち未来の為だけでなく、逃れられぬ未来を知ってしまう過去人を絶望から守る意味もあるのではないだろうか。何故なら俺は、自死を現実的かつ身近なものに感じ始めているのだから。





 だというのに、俺は創作への意欲を高めていた。


 創作意欲とは往々にして、感情が大きく揺れ動いた時に湧きあがるのだ。


 それが例えネガティブ方向への揺らぎだとしても。


 その意欲が、世界平和に反するとしても。



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