二幕その五:魔法少女・鶴見さんかく

「部費でカメラにパソコンだぁ? 莫迦言うな、何の活動実績も上げてない部にそんな額の部費が降りるワケ無えだろうが」



 青木の伝える真実は、あまりにも残酷かつ自明であった。何故思い至らなかったのかと己を問い質したいくらいだ。


 放課後、俺たちは雀の涙ほどの部費を握りしめ、新宿西口エリアのヨドバシカメラへ買い出しに来た。サラリーマンの姿が多く見えるのは、定時で退社し寄り道をするくらいの時間にかち合ってしまったせいか。



「カメラって高いんですね」


「うちの部費じゃ、買えるのはせいぜい型落ちの安物くらいだろうねぇ」



 俺の質問めいた独り言に答えたのは、彼女の大好きなパープルカラーを一切含まない地味な女子制服に身を包んだ鶴見先輩だった。



「最新式のを買って来いって言われたんですよ……」


「ふふっ、部長様の言葉は絶対ってか? ほんっとに可愛いねぇ、ツヅキちゃんは」


「あぁ……部長じゃないっすよ、アイツ。書面上は俺なんです。自分は策を巡らす参謀タイプだから、とか何とか。あれだけ仕切っておいてどの口がって話ですよ、まったく」


 ぶつくさ言いながらもなけなしの部費でも買えそうなビデオカメラを探す。最新型はどれも予算オーバー、たった一度の映画撮影なんぞの為に出せる金額ではない。


 カメラはスマートフォンじゃ駄目なのか、とは既に俺が上申した提言である。が、山覚さんはそれを受け入れなかった。脚本は俺に丸投げしたくせに、妙なところでこだわりの強い女だ。



「これとかどうですかね。予算の範囲内ですし、値段の割に性能も良さそうですよ」



 何回り前の世代の物かは判じかねる見本機を手に取り振り返る。















「あれ、鶴見先輩?」















 一瞬のうちに見失った。


 つい数瞬前までは背後に鶴見先輩の気配を感じていたのに、いつの間にか彼女は姿をくらましてしまった。


 気付けば、周囲に点在していたはずの他の客も忽然と姿を消しているではないか。それだけではない。あちらこちらの商品・備品問わず電気機器が、全てこと切れている。店内照明もチカチカと点いては消え、点いては消え。


 妙だ。


 店内のどこを捜しても、鶴見先輩どころか店員の一人も見当たらない。


 急いで店の外に出た。







「噫、ロ―ファンタジーだ」







 見覚えのある光景だった。頭上に、雲一つ無い紫色の空が広がっていた。


 二〇二二年、タイムリープ前、山覚ツヅキと出会った日。あの日の空と同じだった。



「鶴見先輩ッ!」



 静謐なる新宿西口エリアを走った。あの時と同じように泥づくりの獣が現れるなら、その実態を知る鶴見先輩と合流すべきだ。新宿は魔法少女鶴見さんかくの割り当て地域だと言っていた。動いていないはずが無い。


 風が吹いた。生ぬるく、いよいよ気体が粘性まで持つ時代か、などと意味不明な妄想をしたくなるくらいに肌に纏わりつく気持ちの悪い風が。同時に、「ヒョオ」遠く新宿駅の方角で獣の咆哮が聞こえた。


 まずい。奴に見つかる前に鶴見先輩と合流しなければ。俺は咆哮の聞こえた方角には近寄らず大回りをし、西新宿へと捜索に向かった。



「クソッ、どこにも居やしない……」



 鶴見先輩どころか、俺以外の人間が一人も居ない。ある意味ツイているとも言えよう。未来での一件のように犠牲者を出さずに済むのだ。が元々の世界なのか、あるいは異世界へと迷い込んでしまったのか。疑問が浮かぶも、解答を導き出したとて、それは何の解決にもならない。ただ頼みの綱である鶴見先輩を捜すしかなかった。


 継続的に地響きと破壊音が聞こえてくる。それのおかげで、怪物の位置はおおよそ特定し続けられている。それに近寄らぬように遮蔽を駆使して身を隠しながら探索を続ける。怪物は知能が高くないらしい。目的が破壊活動ならその限りではないが、未来での出来事を鑑みるに、おそらく怪物の目的は捕食にあるはずだ。ならばあのような轟音を発していては、人が居ようが逃げてしまう。獣は所詮獣でしかないのだという証左でもあった。


 作家遊葉は油断した。怪物に知能は無い、音を聞いていれば居場所は分かる。それに近付かなければ自身の安全も約束される。その思い込みが命の危機を招いた。


「ヒョオ」と、近くから怪物の咆哮が聞こえた。



「嘘だろッ!?」



 驚く間に隣のビルが破壊され、怪物が建物を突き破り眼前へと姿を現した。


 しかし新宿駅の方角からも、未だ破壊音は鳴り続けているではないか。


 そう、怪物はこの紫色の世界に複数頭存在したのだ。



「ヒョオ」



 続けて背後に三頭目が出現。幸いにしてまだ距離はあるも、退路までもを塞がれた。垓下にて楚国の歌を聴いた項羽の気持ちが分かった気がするぜ。横道は多かれど、鉄筋コンクリートなど積み木を崩すが如く容易に破壊するような奴らだ。目前で狭い一直線の道に逃げ込むのは、むしろ危険を容認する行動である。



「逃げられねエ……」俺はぎりりと歯を鳴らした。



 背後の怪物はじりじりと距離を詰めてくる。目前のも同じである。一歩、二歩、三歩と俺を挟み込むようにして互いにタイミングを計っている。脆弱なる捕食対象を相手にしても油断をしない、それどころか仲間と連携を取って追い詰めすらする。怪物は知能が低いだなんて高を括った己を悔いた。


「ヒョオ」と片方が鳴くと、二頭が同時に跳んだ。紫色の陽光が怪物の鋭い爪を光らせる。


 ──万事休すか。







「待たせたね、少年!」







 陽光から俺を隠すようにして、パープルロリータ魔法少女のお出ましだ。



「鶴見先輩ッ!?」



 紫のドレスを着た鶴見先輩が空を駆け、すんでの所で俺を抱いた。わーお、山覚さんのとは比べ物にならないボリュームの……皆まで言うまい。勢いを殺さずにそのまま離脱し、一旦の安全を勝ち取ってみせた。



「待たせてすまない、いきなりだったものでね。着替えに手間取ってしまった」


「そんなことより、新宿が瓦礫の山になっちまいますよッ!」


「どうどうステイステイ、落ち着きたまえ新馬ちゃん。ここは新宿であって新宿ではない。現世と似て非なる空間だ。ここでどれだけの建造物が壊れようが人が食われようが、現世には何の影響も無く、誰もそれを知ることは無い。私達はここを〝鏡界〟と呼んでいる」


「……じゃあ、ここで死んだら」


「おっと、心を病むなよ? 気は強く保ってくれなくちゃ、奴らの思うつぼさ」



 鶴見先輩の右手が俺の頭を撫でる。少しだけ、心が落ち着きを取り戻した。



「三頭か……ま、何とかなるか。遊葉クンはここで待っていてね、魔法少女さんかくちゃんがサクッと退治してくっからさ!」



 鶴見先輩は飛び立った。ドレスのレースが風に靡き、光の軌跡を生む。まるで明け方の空を切り裂く流れ星のような高貴さであった。


 戦闘にそう時間は掛からなかった。鶴見先輩の拳が怪物の横腹を突き刺し、返しの鋭爪を宙に舞い躱す。彼女の掌から光弾が発射され、二頭の怪物は為す術なく地に伏せた。気配を察したのか、あるいは仲間の断末魔を聞いたか、新宿駅方向に居た最後の一頭がやって来た。仲間の亡骸を見、「ヒョオ」と雄叫びを上げると、体表の色が泥のような黒から哺乳類の血液の如き鮮赤へと染まった。狂暴化し、格段に速度を増している。爪の攻撃が襲い掛かるもひらりと躱す鶴見先輩だが、巻き込まれ砕けた瓦礫を見るに膂力まで上がっているらしい。


 それでも、魔法少女は涼しい表情を浮かべていた。



「あっ、遊葉クン。ちょっと危ないから、近くの建物にでも掴まっててね」


「何する気ですかッ!」


「必殺技」



 鶴見先輩が、赤泥の獣の正面に降り立った。怪物は後ろ足で地面を摺り、突進準備の構えを取っている。対する鶴見先輩は、左手を自分の右目にかざし、裸の左目は閉じた。


「ヒョオ」合図となった。


 怪物が鶴見先輩へ一直線に突っ込む。鶴見先輩は避けようとしない。魔法少女の戦闘力が如何ほどかはもう分かった。だがあの巨体と速度だ、直撃すればひとたまりも無い。何せあのドレスは、ドン・キホーテかネット通販のどちらかで手に入れたであろう、魔法パワーなんて編みこまれていないただの布なのだから。
















「まじかる、────レーザー」
















 開放された鶴見先輩の右目から、紫光の熱線が放たれた。途轍もない熱量と衝撃波が、三〇メートルは離れているであろう俺の元まで伝わる。うっかり吹き飛ばされそうになり、慌てて近くにあった室外機に抱き着いた。


 一瞬にして、怪物は焼失した。泥づくりの肉体は跡形もなく消え、焼き付いた跡だけが地面に遺っている。その跡の形から察するに、怪物は咄嗟の逃走を試みていたらしい。



「さ、帰ろうか」



 魔法少女鶴見さんかく、その身に一つたりとも傷の類は見当たらなかった。高三にして少女を名乗るその太々しさは、ことから付いた肩書なのではないか、そんなくだらない言葉遊びが脳内を巡っていた。







 鶴見先輩に身を任せ、俺のよく知った元の新宿へと帰還した。帰還方法は単純で、手を握らされ目を瞑ったかと思えば次の瞬間には人いきれのしつこい喧噪の中に居た。紫色の空の下に迷い込む前よりもサラリーマンの数が増えており、空はネイビーブルーに染まっていた。


 鶴見先輩が地下鉄に繋がる駅構内の公衆トイレで着替えているうちに、俺はヨドバシカメラまで走り目を付けていたビデオカメラを購入。紫色の世界と魔法少女という存在の説明ついでに、共に夕食を摂るべく近場のイタリアンレストランに入った。事情が事情なだけに、鶴見先輩の奢りだそうだ。印税収入を貯め込んでいた貯金用口座を丸ごと未来に置いてきた俺にとっては何よりもありがたい心遣いだった。



「その身で体験してしまった以上、話さないワケにはいかないね」



 鶴見先輩は言いながら、マルゲリータピザに大量のタバスコを掛けている。血の池地獄の水面と見紛うようなそれは、もうどこがトマトソースの赤でどこがタバスコの赤なのか分かりやしない。料理が得意と言っていた言葉への信用が途端に失墜した。



「キミが迷い込んだのは〝鏡界〟、私達が普段居る現世の裏側……とは少し違うな。言わばねじれの位置にある世界だ。そこに迷い込んだ者は自力で帰還できず、ほとんどがあの怪物に食われて誰にも知られることなく御臨終さ」


「意味は分かりませんが、そういうものだと納得しておきます」


「利口だね。そしてキミを襲ったあの怪物……私達は【Ark―E(vil)アークイー】と呼称しているよ。第五の次元より襲来する、我ら知的生命の敵だ。第五の次元とは、感情が座標方向となる次元でね。我々人類が観測する三次元に住まう知的生命の感情がネガティブな方向に偏った時、奴らは産まれ、活発化するんだ。過去で言うと……東日本大震災昨春のアレとかね。そういう、多くの人々がネガティブな感情を持つ時に大量顕現を果たす。幸い、最近はそういう大事件も無いし落ち着いてたんだけどねぇ……ちょっと厄介な事案が発生したみたいで」


 第五の次元が感情を表す物とは初耳である。到底SF小説を書く日は来ぬだろうと思っていたから、その手の話について深堀した経験など無い。


 だからわざわざ理解に挑まない。先に宣言した通り、難しい話の意味を理解するのは諦めだと受け入れ、理解できる部分だけ丁寧に聞いておく。



「厄介な事案?」


「第四の次元のひずみさ。正しい時間の流れを邪魔する異物。川の中の岩のような物だね。これを私達は、と呼んでいる」


「ちょっと待ってください、今何と?」


「へっ?」


「特異点って言いました?」


「うん、言ったけど……それが何か?」



 最悪だ。山覚さんとの会話でもその単語は現れた。あちらの言う特異点とは、未来の俺が書く小説を指している。で、今度は何だ、第四の次元の歪だ? 双方とも、ただでさえ一般人の俺には理解に遠い内容なのに、これでは更に混乱させられるではないか。



「本当に申し訳ないんですけど、俺の前ではその呼び方を控えていただけませんか。第四の次元の歪、でしたよね。できればそのまま呼称してもらえればありがたいです」



「良いけど」鶴見先輩は不納得不機嫌の表情を浮かべたが、すぐに陰鬱な面影を消した。



「……話を戻そう。さっき、怪物が三頭同時に現れただろう? あれは相当珍しいんだ。普通は現れても一頭ずつ、二頭同時顕現を果たせば「あらあらお盛んねぇ」くらいのモンだったんだけど」



 ふと、未来での出来事を思い出した。新宿に現れた怪物────【Ark―E(vil)】は三頭だった。しかしねじれの位置にある、現世とは異なる世界にしては余りにも人間が多過ぎたし、何より人間に従っていたではないか。異常、そう呼ぶに相応しい事態だったのだと今になって思えた。



「第四の次元と言うと……時間、ですか?」



「イグザクトリー」手でピストルを形作り、俺へ向ける。止めろ。



「強引に突き破ってきた人が居て、そこに歪が出来ちゃったんだ。その一つ外側の次元に居る【Ark―E(vil)】からすりゃラッキーだよね。何たって、そこを通ってスルッと狩場に出られるんだもの」



 第四の次元、時間次元を強引に突き破ってきた人。それを聞いて、額に汗が浮いた。


 だが俺の心配はどうやら杞憂だったらしい。



「ツヅキちゃんだよ」



「……ほう」動揺を隠すべく、ボンゴレパスタ製の渦巻を一口食した。



「初めは冗談か、あるいは年代特有のそういう妄想設定だと思っていたんだけどねぇ。まさか本当だったとは。それに伴って未来で起こる第三次世界大戦ってのも事実だって思い知らされちゃったし……キミ、実は知ってたんでしょ? 私達の間に隠し事なんて無しだぞ! 寂しくなっちゃうじゃないか!」


「そんなに深い仲ではありませんよね、俺達」


「さんかくちゃん普通に凹んだぁ……」



 未来人の実在を明かせば、何らかの因果が巡って俺が意識だけ過去にやって来た未来人だとバレてしまう恐れもある。バレたからと言って困るものでもないが、鶴見先輩相手に至っては話が別だ。面倒くさい尋問紛いの質問攻めに遭いそうで、それがシンプルに嫌だったのだ。



「その、第四の次元の歪って直せないんですか。魔法少女が戦ってくれるとはいえ、あんな事態が頻発してたんじゃ危険過ぎる」


「直せる。しかしそれをするには────キミが寂しい思いをしてしまうんだなぁ」


「何ですかそれ」


「うん、まあ結論から言えばね。ツヅキちゃんを未来へ帰すんだよ。生まれた歪、分かりやすく例えるなら〝線〟なんだけど、そこを同じ遺伝子構造を持った者が逆に辿れば歪は修復されるんだ。あっ、一卵性の双子でもダメだよ。余程のコトが無い限り、ツヅキちゃん本人にそこを辿ってもらわなくちゃ歪は修正されないんだ」



 山覚さんを未来へ帰す。それが叶うのはきっと、第三次世界大戦の事前阻止が達成されてからであろう。そう思えば、山覚さんほどでは無いが俺も多少は急く気持ちが湧いてきた。



「だったら急がなくちゃなりませんね。第三次世界大戦を阻止して、アイツを未来に帰す、それで現代世界の平和は保たれる、そういう認識で良いんですよね?」


「そ。……つまり、だ。世界の平和は、キミの映画脚本に掛かってるってワケ!」


「それはどうなんですかね」



 映画撮影はお遊びだ。ただ反戦意識の高い山覚さんの、自己満足的啓蒙活動の一旦に過ぎない。山覚さんの言う第三次世界大戦を回避する方法、それは俺の「学園ラブコメ」執筆にある。それで俺の晩年は心の病に蝕まれずに済み、第三次世界大戦の火種は事前に消火されるに至る。



「でも、割と楽しみではありますよ」


「ほう、その心は?」


「なんか、青春っぽいじゃないですか」


「ふふっ、同感だ」



 青春への取材、それも「学園ラブコメ」を書く為の必要不可欠なタスクだ。


 俺はフォークをボンゴレに突き刺し、舌先に運びじっくりと味わった。仄かに白ワインの薫りが漂う。この身体でなければ、一杯くらい煽りたかったところだ。



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