二幕・前 戦争同厭会
二幕その一:遊葉の特異点
新宿の最終良心的緑化地帯、新宿中央公園は、東京都庁の理性を監視するかのように向かい正面に悠々と構える。
作家デビュー後の俺が幾度となく世話になった公園だ。執筆が思うように進まない時、脱稿した徹夜明け、ブレークスルーのきっかけと癒しは必ずこの公園の茂みの中で、じっと黙って俺を待ってくれていた。
ベンチに座り山覚ツヅキを待つ。緑の中まで入ってしまうと見つけ難いだろうから、入口付近、正式名称〝水の広場〟と呼ばれる滝噴水があるコンクリート広場で待った。
山覚ツヅキが銀髪に朝日を反射させながら姿を現した。きょろきょろと辺りを見回し、都度スマートフォンを見、また辺りを見回す。二度ほどそれを繰り返す。「あっ」と、漸く俺を視認した。
「アンタ、朝が得意だったのね」
意外にも、と枕詞が付いていそうな口ぶりだった。
「夜型が行き過ぎた結果の早朝型だ」
昨晩の俺も、気に入りのライトノベルに夢中になっているうちに朝を迎えた。
「分かるようで分からないわね」
言いながら、俺の隣に山覚ツヅキが腰を下ろす。
「それで? 何の用なの」
「作戦会議だ」
「は?」
「校則六条一節、部活動の発足・継続には部員数四名を満たすこと。つまりあと二人、それが戦争同厭会が集めなくちゃならない人数だ」
一言一句違わずに──とはいかないが、生徒手帳にはそのような意味の文章が霞ヶ関にて綴られたかのような硬さで記されていた。
「……つまり?」
「手分けをしよう。俺が一人、山覚さんが一人。それで規定の四人が揃う」
「なるほど、回りくどい人」
「文学的奥ゆかしさだと言ってくれ」
大切にとっておいた缶コーヒーのプルタブを引いた。好みは微糖。程好い甘さが徹夜明けの身に染み渡り殊更に脳を覚醒させる。
「だが、これはあくまで条件の提示だ」
「何が言いたいの」
「山覚さんは昨日言ったよな。自分の連絡先をくれてやったのだから、代わりに戦争同厭会に入れと」
「ええ、そうよ。アタシの連絡先は貴重よ、何せアンタ以外のクラスメイトは持っていないんだもの」
「俺は作家だ。一般人の山覚さんより余程、連絡先に価値がある」
「自意識過剰にもほどがあるわ」
「お互い様だろ。……つまりだ、互いの連絡先は同価値とは言わずとも貴重な物だ。だからそれらが交換された時点で取引は成立している。だが、更に俺が戦争同厭会に入部までするとなれば、相応の対価を支払ってもらう必要があると俺は考える」
「……第三次世界大戦を阻止する為なら……無念ッ!」
突然に俺の右手首が掴み上げられ、その行方は山覚ツヅキの左胸にあてがわれた。それに留まらず、今度は彼女の逆の手が俺の右手を覆い被せたかと思いきや「もみゅん」と胸を揉まされた。
「のわぁアッ!?」すっ飛ぶように後ずさり、右手を我が自由意志に取り戻した。
……どうしてこの銀髪女は事あるごとに自らの胸を揉ませるのだ。タイムリープ前のあの時と同じ──あっちの方が少し大きかったような気もする──感触がまだ右掌に生温い温度と共に残っている。
「もうアタシ、お嫁にいけない……っ」
安心しろ、こんなの互いにノーカンだ。俺の好みは歳上美人だからな。
さて。もちろん俺の提示する対価というのは彼女の純潔でも将来でも胸の感触を味わうことでも無い。
欲は欲でも、知的好奇心の方を満たしたいのだ。
「山覚さんが居たのは一二〇年後だっけか? その未来で何が起きていて、何故第三次世界大戦を阻止する為にこの時代へ来るに至ったのか。それを聞かせてくれないか」
「出来ないわ。時間移動の五原則に抵触するもの」
「何だそれ」
「パパが言ってた時間移動に伴う不可侵のルール。『三つ、過去人に未来の知識を与えてはならない』ほんの少しの情報から連なり、未来が大きく変わってしまうかもしれないの」
「何言ってんだお前、未来変えに来たんだろ」
それどころか「未来人です」なんて自己紹介も、山覚ツヅキ本人の言ではないか。
「それはそうだけど! でもそれはあくまでアタシ個人の行動によって達成せねばならないのであって、関係の無い過去改変は許されないの!」
「じゃあ質問を変えよう。俺に接触することが第三次世界大戦を阻止するに至るのか? だってそうだろ。じゃなきゃ、俺とだけ連絡先を交換するなんて不自然だ。それに戦争同厭会の設立にあたって俺だけを勧誘したのもそうだ。俺がクラス一番のお人好しにでも見えたか?」
「そっ、それは……」言い淀む山覚ツヅキ。未来の大戦を止めに来たと言うには、些か不用心かつ稚拙が過ぎる。ナードの少年だってもうちったぁ上手くやるさ。
とはいえ、山覚ツヅキから情報を聞き出したいのは俺のエゴである。好奇心である。ならば手助けの一つでもしてやらねば嘘であろう。作家遊葉は宏量であった。
「こう考えたらどうだ? 俺は一〇年後の未来からタイムリープしてきた未来人だ、中身だけだがな。そんな俺に未来の情報を与えても、それは二〇一二年現在の過去人に情報を与えたことにはならないだろう。何たって、俺という存在が現在に居るはずの無い異物なんだからな」
「なるほど、そういう考え方もあるわね」
そんな屁理屈で納得するのもどうかと思うがね。
「……良いわ、話してあげる。二一三二年で何が起きているのか、そしてその原因は何なのかをね」
第三次世界大戦は突然発生した大戦ではなかった。
某国の民による反政府運動が頻発し、それは大多数の国民の賛同を得るに至った。ともすれば天下の御上であろうとも、数の暴力には敵わない。国民の反政府運動はやがて行き過ぎた暴動へと昇華し、国家陥落を迎えた。二一二〇年の出来事である。
それを端とし、彼らの思想は緩やかに世界へと広まっていった。更に発達した情報化社会の功罪、その後者に当たる大事件だ。「エゴこそ人間の本質であり、真なる生き方である」それが未来世界の人類は余程心を打たれたらしい。
発端となった国が独立したのは二一二二年。その国家意志に賛同する者たちを煽情し、世界は暴動の一大ブームが巻き起こってしまった。知恵人はこれを「義務倫理教育の敗北」と評した。
「それが世界中で加速して、戦争になったと?」
「そんな感じね。エゴと本能によって立ち上がったのが某国を首魁に置く真世界派、理性と共和を信じて対抗しているのが連合国軍よ」
「山覚さんは────連合国軍側、で良いんだよな?」
「当たり前でしょ! パパが命を賭してでも守ろうとした連合国軍を裏切るだなんて、世界がひっくり返っても有り得ないわ」
「……すまない、配慮に欠けた」
父の居ない家庭の寂しさなら俺にも覚えがある。幸いにも俺は父を好まなかったからまだ良かったものの、年頃の女の子が「パパ」と呼称しているのだ、さぞ好ましい親子関係が二者間にあったのだろう。それはどうも、羨ましくもある。
「なあ、それを阻止する為のタイムリープ先がどうしてここなんだ? 俺に接触してるのも不可解だ」
「ストップ。タイムリープじゃなくて、
厄介設定厨の如き言葉狩りである。面倒くさい、とは思わないでもなかった。
「それはね、遊葉先生。第三次世界大戦の火種は、未来のアンタだからよ」
「……はあ?」
まさかこんな所で自らの終末を知らされるとは思いもよらなかった。
どうやら俺は「ハイファンタジー」の奴隷のまま、ライトノベル界で物を書き続けるらしい。五〇を目前にして大衆文学の道に進むも、やはり「ハイファンタジー」の縛鎖からは逃れられなかった。大衆文学での著作は重厚な世界観がスレた若年層に受け、また海外文学の「ハイファンタジー」のような空気感を彷彿とさせ、熱心な海外文学ファンからの評価も得る。
作家遊葉の心は重かった。どれだけ売れようと、どれだけ求められようと、己の書きたいジャンルは最後まで一貫していたのだ。趣味で書く道もあったろうにとも思うが、それができぬ因縁でもあったのか、あるいはそれで満足できぬほどにゴドウィンオースチンの大槍にも匹敵するプライドが聳え立っていたのか。
書きたい物は書けず、書きたくない物は益々と崇められゆくその現実的ギャップに、作家遊葉の精神は病んだ。晩年は粛々と掌編だけを書くようになったのも、精神面の持久力が衰えたからではないだろうか。期待に応えるのに疲れ果てたのだ、未来の俺は。
生前最期に記した掌編『特異点』は国内で評論と世間話の恰好の的となり、それは多くの言語に翻訳され世界にまで響き渡った。響き渡ってしまった、と言うべきか。暗くもどこか希望のある、しかしその土台には絶望と諦観が。読書フリークは評した。「これまで人間の本質だと思われていた物は、今この時を以て遊葉が正体を暴いた。理性とは所詮ただの鉄くずだったのだろう」と。その掌編を書いた本人が聞いても訳の分からぬ評論だと思えた。ならば本編もきっと、それ以上に理解に苦しむ出来だったであろう。来る未来が途端に、恐ろしい怪物のような姿を得た。または泥づくりの獣の如く。
「それが、某国で最初に起きた反政府運動の火種だと」
「そう。故に、その小説はこう呼ばれている」
────遊葉の特異点。
「俺が……第三次世界大戦を……」
気付けば俺は、冷たい涙を零していた。
「遊葉先生が気に病む必要は無いわ。アンタに罪は無いもの」
山覚さんはポケットから、愛らしい花柄のハンカチを取り出し貸してくれた。
「悪いのは全て真世界派よ。アイツらさえ居なければ、戦争なんて始めなければ、パパはあんな物を完成させずに済んだ。自ら命を断たずに済んだんだから」
「親父さんは何を造ったんだ……?」
「端的に言えば殺戮兵器よ。第三次世界大戦を終息させるほどのね」
「だったらそれを使って戦争を終わらせれば良いじゃないか。わざわざ過去に戻って未来を変えるだなんて、不確定要素が多すぎる」
「アンタ……正気? 人を殺し尽くして戦争を終わらせる、それが正しい選択だとでも? パパはそれじゃ駄目だと気付いたから、抱えこんだ罪悪感に耐えきれなくて命を断ったのよ。アタシはパパの娘として、そんな兵器の使用を肯定なんてできない。存在すらも無かったことにしてやりたいくらいだわ」
「それもそうか、すまなかった。少々デリカシーに欠ける、反理性的な発言だった」
「ええ、気を付けるのね」
一二〇年も未来の話だ。どこか現実味に欠け、まるで創作の中の世界のように感じてしまった。だが忘れてはならないのは、山覚ツヅキにとっては紛れもない現実であり、彼女にとっては一二〇年後の未来こそ、愛すべき〝現実〟なのだ。そこが戦火に焼かれ荒廃した灰色の地球だとしても、そこで彼女は生きてきた。
「つまり、何だ。俺が晩年病まぬよう、山覚さんが生涯連れ添ってくれると思って良いのかね」
もちろん冗談のつもりで、本気でないと伝わるよう肩をすくめハンカチを返しながら。
「アンタ莫迦? それじゃアタシが生涯のほとんどをこの時代で過ごす羽目になるじゃない。アタシの目的はズバリ、アンタに
何ともまあウィットに富んだ話だこと。第三次世界大戦が起きている未来から、一人の少女がやってきた。彼女の目的は第三次世界大戦を未然に防ぐことで、その具体策がまさか「俺に好きなラノベを書かせる」だとは。こんなふざけた設定があるものか。赤羽にそんな幼稚な企画書を提出してもみろ、瞬時に「ボツです」が飛んでくる。
だが、これが現実。山覚さんに見えぬ角度で股裏をつねってみたが、痛覚神経は朝から元気に稼働していた。朝勤ご苦労、給料は出せんがな。
「現実は小説より奇なり」とは、いやはや……。
未だ山覚さんがまっかっかの嘘を吐いているという可能性が残ってこそすれ、肯定も否定もできる根拠が無い。だから今のところは、俺自身がタイムリープしたというSF的確定的事実を土台に、六対四程度の比率で信用を勝らせようではないか。
「そりゃ願ってもない話だ。俺は「学園ラブコメ」が書きたい。是非とも、共に戦争同厭会を盛り上げていこうじゃないか。戦争反対、よろしく」
俺は右手を差し出した。
「よろしく!」と満面の笑みで握手に応えたのは、銀の髪に二四度の角度から射す朝日を反射させる、一〇〇年に一度の美少女であった。
二〇一二年、四月三日。午前七時二四分。
戦争同厭会、ここに発足す。
あるいはこれが、新たな特異点となりて。
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