一幕その九:「学園ラブコメ」の始め方

 中野区弥生町。新宿から東京メトロ丸ノ内線で片道一〇分程度。


 高校生にして一人暮らしをしている我が家はそこにある。家賃含む生活諸費は幸いにして、地元に居るはずの母から送金されてくる。男子高校生にとって理想の生活拠点だと断言できよう。


 間取りはワンルーム、居間がそのまま寝室であり、自室となっている。壁に沿うように巨大な本棚が置かれている。その中身は全てライトノベル。「ハイファンタジー」や「ロ―ファンタジー」もあるが、大多数は「学園ラブコメ」とジャンル付けられる作品ばかり。この先も本は増えゆく。予めそのつもりだったのだろうか、蔵書でピッタリとスペースが埋まる本棚ではなく、まだ四分の一程度の余白を残している。高校生の俺よ、そのスペースはたったの一年で埋まるぞ。


 この書籍たちが作家遊葉の原点にして、一度目の青春の全てである。


 数多ある本の中から一冊を選び手に取った。俺が初めて読んだライトノベルがこれだった。片田舎の県立高校に入学した平凡な男子高校生の主人公が女王様気質のヒロインと出会い、振り回されるように青春の日々を駆け抜ける。第一巻では、主人公とヒロイン、その他のサブヒロインが所属する部活動が設立される。一見何をする部活なのか分からない名称がメインヒロインによって名付けられ、しかしその真意は崇高かつ純なる思惑であり、やがて主人公は大なり小なり数多くの事件に巻き込まれ、成長してゆくのだ。


 俺かよ。


 落ち着こう。冷蔵庫の中で冷やされている麦茶────は、いつ作られた物か分からないから飲むのは止めた。水道水をグラスに注ぎ、一息で飲み干した。


 再度本棚に向かう。一冊目と同シリーズの最終巻を手に取った。正反対かのように思えた主人公とヒロインは、卒業式の日に結婚を約束する。


 思わず、ピュアホワイトのドレスに身を包む山覚ツヅキを想像してしまった。ヴェールの向こう側で、彼女はツリ目を潤ませながらこちらを見つめていた。


 違う。そうはならない。何せ山覚ツヅキは未来人だ。いずれ未来へ帰る日が来る、そうに決まっている。水を飲んだ。


 ふと、自らの身の上を思い出した。未来人であった。


 違う、だからと言って俺と山覚ツヅキの間に三年間の時を経て愛が生まれるとは限らない。生まれないとも限らないのだが、それは極めて確率の低い────そう、ファンタジーでしかない。その確率は限りなく〇に近い。断じて有り得ない。というか根本、タイプではない。水を飲んだ。


 更に、鶴見さんかくなる空飛ぶ女子高生を思い出した。


 違う、現代現世に魔法少女というローファンタジーの代名詞が奇跡的に存在していたからと言って、その他のあらゆるファンタジーが現実となる証明にはならない。


 水を飲んだ。


 有り得ない事なんていくらでも起き得る。未知の怪物が新宿を破壊する二一世紀だ。初対面の少女の胸を揉み、一〇年前の過去にだって跳べる二〇二二年だったではないか。


 だったら起こるだろう、現実でも、「学園ラブコメ」くらい。


 が、それは必ずしも俺を主人公とした物語とは限らない。俺は少々変わった過去(未来と言うべきか?)を持っただけの、作者a.k.a神の脳内にだけ存在するボツキャラなのかもしれない。


 作家遊葉はプロであろう、もっと現実的に物事を考えるべきだ。日常から逸脱しタイムリープした俺の今の行動指針は、あくまで〝リアリティー〟の追求。つまるところは青春の取材ではないか。青春の必須要項は一に交友、二に交友、三四に続いて一〇〇まで交友が全てである。それは丸々、俺が取りこぼしたモノだった。それらは、選択を間違えさえしなければ今度こそ手に入る。代わりに間違った選択をしてしまえば、モノクロの青春のリピートとなってしまう。


 正しい選択とはすなわち、クラスの大勢に属し平々凡々で中の上の青春を送ること。


 間違った選択とはすなわち、山覚ツヅキと共に戦争同厭会などという〝謎部活〟を設立すること。


 今一度、本棚を眺めた。


 かつて、商業で戦う作家なりに平成後期のライトノベルの時流を研究した。覇権はやはり「学園ラブコメ」であった。まだ〝転生〟や〝追放〟等といった令和初期に爆発的に広まったジャンルの数々は息を潜めていた頃だ。


「学園ラブコメ」ブームの始点は如何な作品だったであろうか。きっとそれも、数多ある「学園ラブコメ」も、高い確率で同じ形で物語は始まる。


 思い出されたのは、鶴見先輩の言葉だった。






『自分の好きな自分で居られるか。それを第一に考えることだよ』







 初めから、作家遊葉は知っていた。


「学園ラブコメ」は往々にして、〝謎部活〟の設立から物語が始まるのだと。


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