一幕その七:平成そら飛ぶ魔法少女

 俺と奇如月さんが部屋に戻ると、皆が帰り支度をしていた。


 幹事を務める男子から茶化された。「案外やるじゃん」との言葉に、改めて己の行動の浅はかさを実感した。嫌な気はしなかったけどな。


 また女子からも「山覚さんに続いて奇如月さんまでとは」などと軽口を叩かれた。今しがた奇如月さんと抜け出した行動に対しての評価としては妥当だが、山覚ツヅキとの抱き合わせ商法は断固として拒絶したい。単なる未来人同士の他には分からぬ会話でしかないし、部室棟まで連行されたのは逃避行などではなく、十前たるれっきとした拉致加害者と被害者の関係でしかないのだから。


 二次会をするのだと男子は言う。男子は総じて乗り気であり、女子の半数以上もとっくにそのつもりでいたらしい。


 ふと奇如月さんへ視線をやると、ただ静かに、二次会参加者の輪の外円に立っていた。正直意外だと思った。しかし同時に、彼女らしいとも。俺なんかが奇如月末路の何を知っているのかは主観的にも疑わしいが、彼女に対しての第一印象は「案外協調性のある奴」だ。不思議な子ではあるが、そもそも平然と教室での連絡先交換合戦に参戦していた。そして誰を不快にさせるでもなくカラオケボックスの一室に居た。歌わないくせに誰からも反感を買わないのは、彼女に光学迷彩機能が付いているか、あるいは彼女の高すぎたタンバリン拍刻技術が大層クラスメイト達の信望を受けたかのいずれかであろう。俺に付き添いベンチに座ったのも、去れば俺に良からぬ感情を抱かせると察しての行動と予想され、ああ見えて彼女は、気遣いのできる普通の子なのかもしれない。山覚ツヅキとは違ってな。


 二次会か、どうしたもんかね。最後に奇如月さんから多少の癒しを授かってはいれど、正直なところ精神は摩耗しきっている。精神的疲労のせいで僅かながら涙が零れそうなほどだ。更に数時間のハイテンションコミュニケーションに耐えきれるほど、頑強な精神は宿していないのが俺、遊葉という人間なのだ。


 だと言うのに、俺は「帰るわ」の一言に詰まっていた。折角得られた二度目の青春である。一年目の春から「ノリの悪い奴」と思われるのは如何なものか。強いて言えば勿体無かろう。


 不自然な涙を抑えるべく、俺は夕焼け空を見上げた。




 あと少しで陽が落ち切ろうという夕空に、




 飛行機ではない、ましてや子を巣に待たせる親烏でもない。


 



「ごめん、俺パス!」



 作家遊葉の心は跳ねた。


 空飛ぶ人間、逃してなるものか。未来新宿での出来事を体験したせいか、あるいはおかげか、危機感に対して相当に鈍感になっていた。


 冷静に考えれば分かる。人が空を飛ぶ訳が無い。もし本当にヒトガタが空を飛んだなら、それは何らかの危険を携えているに決まっている。


 だってそんなの────。



「噫、ロ―ファンタジーだ」



 ニヤケ混じりに呟いていた。


 空飛ぶ人影は北東へ飛んだ。おおよそ歌舞伎町の方向である。俺は新宿大ガードの十字交差横断歩道を信号が青になるや我先にと渡り、JRが走る線路高架の下道を潜り、サラリーマンとホストとサブカル女で埋め尽くされた喫煙所を右に見ながら走り抜けた。


〝歌舞伎町〟と記された車用道路標識を目印に左折すると、正面には新宿東宝ビルの上でゴジラが待ち構えている。今度は力強く、新宿の守護者として。


 一〇年後の未来で粉々になるとも知らず暇そうな間抜け面を浮かべるゴジラの頭上に、再度、人影を目撃した。歌舞伎町の更に奥へ往くそれを追い人の群れの隙間を走る。徐々に道が狭くなりやがて人気も途絶えていき、走りやすくなった。


 俺のかつての人生で一度たりとも足を運んだ経験の無いラブホテル街、そこに人影は降り立った。



「あんたッ!」



 俺は呼び止めた。全力疾走に呼吸は乱れているも、肉体的疲労感はまずまずと言ったところか。流石の一五の清き健やかな肉体である。


 その人影は女であった。紫色の髪が肩甲骨のあたりで途切れている。普段着とはとてもじゃないが言い難いその服装は、萌え系魔法少女アニメなんかで着られていそうな、紫と黒の色が使われた膝丈のロリータドレス。更には頭上の三角帽子。仮に空を飛ばずとも、平々凡々な小市民ではないと思わされる風貌だった。



「えェ!? 何だよキミ、まさか私見られちゃったのかい!?」



 振り返り、紫ドレスの女は言った。メガネのフレームまで紫色だった。しかしドレスよりも淡い紫である。


 ドレスの正面側、特に胸元が厄介なデザインをしていた。大きく開けており、その豊満なバストが作り出す谷間がこれでもかと見せつけられる格好となっていたのだ。ボンドガールかお前は。彼女の濃艶さは上半身だけに留まらなかった。スカートの丈とブラックのロングソックスが絶妙なバランスで形成する────そう、絶対領域である。スカートドレスの裾が仰々しいレースで飾り付けられており、動く度に角度が変わり、その絶対領域が見えたり見えなかったりするのもまた、趣深い。


 総括するならば、である。


 紫女は俺に詰め寄り、満面の笑みを浮かべ胸倉を掴んできた。



「キミは何も見ていない、良いね?」



 浮かぶ笑顔にどことなく見覚えがあった。かつて執筆の参考にすべく読んだ、悪魔関連の資料集とかそんな所である。



「誰にも話しませんよ。どうせ信じてくれないでしょう、魔女が空を飛んでいたなんて」



 俺は山覚ツヅキとは違う。自分の発言が異常か平常かくらいは判断が付く。そして異常だと判断したならば口にしない。変人だとは思われたくないからだ。



「待ちなよ少年、今何て言った?」


「だから、言ったところで誰も信じてくれないって」


「じゃーなーくーて! 魔女って言ったよね?」



 紫と黒のドレスに三角帽子。魔女かコスプレイヤーの二択である。そんで少なくともコスプレイヤーは空を飛ばない。消去法で導き出された答えである。



「そこは間違えちゃならんなぁ。良いかい少年? 私は魔女じゃなくて魔法少女!」


「少女って歳ですか」



 見た目は一八から二〇前半くらいか。俺基準、少女と名乗って良いのはせいぜい一六までと決まっている。理由だと? 何となくに決まってんだろ。



「何を生意気なぁ! あのねぇ、こう見えて私はピッチピチの女子高生だからね!? ほら見ろ! この学生証を刮目せんかいっ!」



 腰のファンシーでファンタジックなデザインのミニポーチから大人びた深紫無地の二つ折り財布が取り出され、更にその中から学生証が取り出された。その光景が何とも、ファンタジーとリアルが綯い交ぜになっているようで可笑しく思えた。


 が、提示された学生証を見、俺は思わず背筋が伸びた。


 鶴見つるみさんかく。これまた珍妙な名前ではあるがこの際どうでも良い。


 大切なのはである。



「……うちの学校じゃあないですか」


「えっ、マジで? 君何年生?」


「一年です」


「わお、二つ下の新入りニュービーってか! 若いねぇ初心だねぇ、愛らしいねぇ!」



 わしゃわしゃと頭を撫でられる。彷彿とさせるのは奇しくも、九州の実家に住む祖母の面影であった。大人の男として女性への対応は弁えているつもりだから口にはしない。



「よ~しよしよしよしぃ!」



 些かやり過ぎであろう。



「しつこいですよ」



 軽く彼女の手を払った。



「おっと失礼、君とて年端もいかぬ幼子ではなかったね」



 幼子どころかお前より年上だ、とはあまりにも説得力の持たぬ言葉ゆえ口にはしない。今しがた高校一年だって自己紹介したばかりだからな。



「────ところで」



 閑話休題、その四文字が彼女の表情から窺い知れた。



「キミ、どうやらネガティブな感情を抱いていると見える」


「そりゃ見ず知らずの女性から突然頭を撫でられたら、何らかの犯罪に巻き込まれるんじゃないかって考えますよ」美人局とかな。


「いいや違う。私と出会ったからではない、もっと前からその感情は抱えていた。というか私は美人局なんかじゃないからね! いや待てよ、それは遠回しに私の見てくれを褒めてくれたんだと、そう思って良いのかな?」



 やり難い人だ、それも過去指折りの。一を言えば二、三の六を返されるのがうざったい。これほどコミュニケーションに意義を見出せない相手など、他に挙げるとすれば赤羽くらいのものだ。



「そうですねまっこと美人でいらっしゃる。じゃ、これで」



 そんな相手には逃げの一手に限る。これ以上この怪奇!紫女を相手にしていては頭の一つや二つ痛めるだけでは済むまい。ただでさえ後ろの席の変人女に困り果てているのだ、これ以上悩みの種を増やさないでほしいね。



「ちょちょちょちょーい! 待ちたまえ少年っ! そのままでは危ないから!」


「あのですね、確かに俺は後悔してますよ。空飛ぶ人影が見えたからって追いかけてしまったのは浅慮でしたとも。その先に居たのが大層見目美しゅうあられるご婦人だから良かったものの、例えばたかもしれませんからね。案外現実はイカれてる。だから、そうなる前にさっさと退散、そして────鶴見先輩でしたっけ。貴女のことは一切忘れてこの先平穏な青春を送りますよ」


「えーっと……いや、うーん、流石に偶然か……いやでもピンポイント過ぎるかぁ……う~~~んどうしたもんか、されど、いやはてさて、しかしながらさりとて……」


「ああもうッ! 煩わしいな貴女はッ!」



 言うなら言え、俺に何を伝えたいんだこの女は。半分の怒りと四分の一の諦念、そして残る四分の一の好奇心によって、作家遊葉は自称魔法少女との根競べに負けてしまった。



「キミ、を見たことがあるんだね?」



 鶴見先輩の表情は硬かった。声音もまた、低く真剣であった。



「もし仮に、あると言ったら何だってんですか」


「だったらキミ、私以外の魔法少女にも会っているだろう。だって生きてんだもん。そのくせして私が魔法少女だって言ったら、苦虫を噛み潰したような顔で「少女って歳ですか」ってぇ! キミさては相当のサディスティックボーイだね!? あぁあ、仏の顔も三度までって言葉があるけど、魔法少女さんかくちゃんはそう甘くはないぞ!」


「魔法少女……ってのが何者か知りませんが、総じて鶴見先輩のような珍妙────もとい個性的な服装をしてるものですか。例えば……軍人のような格好だったりとか」


「軍人だぁ~?」


「あははっ」と、鶴見先輩は俺を莫迦にして笑った。


「冗談が上手いねキミは! 魔法少女だよ? 名前の通りファンシーで、科学とは逆側の極致のような存在だよ? それが軍人だなんて! 答えは否だよ。魔法少女は皆、私のように華々しいゴージャスなドレス姿をしているものさ。あっ、平装は別だよ? 日常よりこんな格好をして許されるのはどこぞの王族だけってものさ!」



 未来で見た山覚ツヅキは魔法少女ではない、と。全くもって無意味な確信を得られた。



「で、だ。キミ────あぁもうキミキミキミキミ言うのは心地が悪いなぁ! キミ、名前は何て言うのさ」


「……名乗らなくちゃ駄目ですかね」


「構わないよ。その場合、学校でキミを探して教師から名前を聞くだけさ」



 転校しろ、今すぐ。


 一つ溜息を吐いてから、渋々と名乗った。「遊葉です」とだけ。



「遊葉、ふむ遊葉クンだね。しかと覚えた、一生忘れないよ。さて遊葉クン、キミは泥のような獣の怪物を見たことがある。しかし魔法少女と出会ったのは私が初めてだ、それで間違いは無いね?」



 今更嘘を吐こうがはぐらかそうが無意味だと、そう脳内大会議によって多数決〇対全という投票によって結論付けられた。



「はい」


「どこで?」


「新宿です。突然現れ、街を破壊して人々を殺していました」


「ダウト」親指と人差し指で拳銃の形を作り俺に向ける彼女。


「人を指で指さないでください」ポーズが絶妙に癪に障る。


「おっと失礼」



 俺に叩かれた指ピストルをさすりながら引っ込める鶴見先輩。



「しかし新宿で現れたなんてね、ハハッ。そんなはずが無い。何せ新宿は私の割り当て地域だよ。そして事実、新宿は至って平穏そのものではないか」



 そりゃそうだ。何故ならそれは未来の出来事なのだから。


 だが、俺はそこにまで言及はしない。わざわざ「俺は未来から来ました、それは未来で起こった出来事です」なんて言えるほど気をちがえちゃいないからだ。いくら魔法少女なるファンタジーの登場人物が相手だろうと、いやファンタジーだからこそ、タイムリープなんてSFは信じちゃくれないだろうよ。



「という、夢を見たんです」


「えぇ!? 本当に夢!?」


「はい、そうですよ。人間の集合無意識だとかそういうのが作用して、偶然にもそんなファンタジーを夢想してしまったのかもしれません。何分、想像力は人より豊かなもんで」


「あっはぁ、流石男子高校生だ」



 失礼な勘違いをされていると見た。



「うん、しかしそれなら都合が良いや。夢だろうと何だろうと、知っているのとそうでないのとでは大きく異なるからね。話を戻そう。遊葉クンは今、ネガティブな感情を抱いている、それも間違い無いね?」


「でしょうね、そこまで言うのなら、そうであった方が都合が良さそうだ」



 それは俺にとってではなく、あくまで鶴見先輩にとっての都合だが。



「賢いね。場所を変えよう、ゆっくりと話が出来る場所にね」



 そう言い、鶴見先輩はすぐ傍にある、宿を見上げた。


 男遊葉の心は跳ねた。



「冗談、マックで良いかな。奢るからさ」


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