一幕その一:赤羽という男は、

 編集者に人の心など無い。


「ボツです」

「嫌です」

「ダメです、リアリティーが無い」

「はい、すみません」


 いつも通り、俺がテーブルに垂らした涙を、俺の担当編集者である赤羽が二枚重ねのティッシュペーパーで拭き取った。手慣れたもので、俺との打ち合わせの際には必ずボックスティッシュが机上に置かれる。……いや、いつでも置かれてるか、ティッシュなんて。


 ルーチンワークのように、俺がバッグの中に手を突っ込むと、その時には既に赤羽はティッシュを二枚、箱から抜き取っている。俺が心血を注ぎ寝る間も惜しんで捻り出した大傑作「学園ラブコメ」小説の企画書を差し出すと、赤羽は五分ほどで目を通しきり「ボツです」と言う。同時に、赤羽は手元のティッシュペーパーを四つ折りにしている。二分ほど俺が無声で泣くのを退屈そうに眺め、それから俺が垂らした机上の涙粒を拭き取るのだ。泣きたかねえよ、俺だって。



「遊葉先生、今日が何の為の打ち合わせか、分かってないとは言わせませんよ」


「そりゃ俺だって分かってますよ。『転生王家』の売れ行きも相変わらず快調、新宿駅構内には劇場版の宣伝広告だって出ているくらいですから。でも、だからって、俺は「ハイファンタジー」の奴隷じゃあ無いんですよ」


「あ。そうそれ、奴隷ですよ」



 俺の、紫煙に汚れた肺諸共捻り出したような言葉を、赤羽は名は体を表すように軽すぎる態度で言い塞ぐ。


「以前奴隷の獣人の女の子を出したじゃないですか。四巻とかそこらで。その子を再登場させるってのは如何でしょう。王位継承の儀で、あろうことか獣人奴隷が次期女王候補に、とかね」


「赤羽さん。分かってますよ、今更止められないんだ。テレビアニメシリーズは三期まで放映、昨日から劇場アニメも上映開始、そんでそれが終われば四期の制作発表、しかも分割四クールと来た。聞きましたよ、コミカライズの方も順調だって。だけどね赤羽さん、俺はいつまでこれに縛られ続けるんです。いつだって終わらせられるんですよ、そのように書いてきましたからね。だっちゅうのにもう少しだけ、あと一エピソードと。気が付けば外伝シリーズまで書かされそっちまでアニメ化でしたか。もううんざりなんですよ、「ハイファンタジー」は」



 言葉も涙も止まらんとも。



「いやね、ヨーロッパの児童文学のような、重厚なハイファンタジーならまだ良いですよ。日本は腐ってるよ、やれ主人公が転生だチートだハーレムだ。ざまぁって何ですか、そんなモンが一ジャンルとして成立してるだなんておかしな話でしょうが。ハッキリ言ってね、ツマラないんですよ。書いてもツマラない、読んでもツマラない。こうも売れて売れて売れ続けるのが不思議でなりません」


「でも売れてるんです、求められてるんです。ねえ遊葉先生、それの何が嫌なんです」


「俺は「学園ラブコメ」が書きたいんだッ!」


「はいはい、次作はね」



 赤羽は俺を小児だとでも思っているのだろうか。にんじんが嫌いだからって、好物のカレーに浸ったモンまで嫌うのはおかしいと、にんじんの味なんてしないではないかと、そういった、子の心を理解できず、聞き流すだけの親の目線のようであるのだ赤羽のそれは。


 それが何よりも気に食わないのだ、俺は。



「俺はこれに人生を懸けるような気概で書いちゃいなかった。もう十年近く経ちましょう、新人賞の最優秀賞に選ばれた時だ。確かに当時の俺は、次に来るのはこれだとそう思いましたよ。ええ、打算です」


「流石遊葉先生、慧眼。先見の明がおありだ」


「二十代も折り返したイイ大人がわがままを言うなと、そう言いたいのでしょう。そりゃそうだ。マトモに大学で学び、晴れて大手出版社に新卒で入社して編集部に配属、初立ち上げ作がメガヒットなんつー赤羽さんにゃ敵いません」


「それ書いてるの遊葉先生じゃないですか」


「でもね赤羽さん、」無視だ無視。


「俺だって一端の作家ですよ。ワガママ小僧で結構、俺は職業人というよりは芸術家で、職人のつもりだ」


「あ。職人、そうそう職人ですよ」



 まただ。また俺の話などボケ老人の戯言かの如く流そうとする。そういう姿勢が好かないのだ。



「職人ギルドの跡継ぎ問題も未解決じゃないですか。そっちを主題にするのも悪くないでしょう。これまでは戦闘職ばかりが活躍してましたからね、そろそろ生産職に花を持たせるのも面白いですよ」



 思う。著者である俺よりも、余程コイツの方が『転生王家』を愛している。



「だったらもう赤羽さんが書きますか、それが良い」自棄だ、もちろん。


「おっ、そんな事もあろうかと……実はいくつかプロットを作ってきましてね」



 この問答もまた、いつも通りなのである。


 が、一度たりとも赤羽のプロットを使った例は無い。俺が赤羽に作品愛で劣っていようとも、作家としてのプライドがそれを許さない。



「……書きますよ、最高のモノをね」

「流石遊葉先生、じゃあ早速──」



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