第63話 北へ

 朝起きるとトニヤは普通だった。薄布を丁寧に畳み、焚き火に枯れ枝を継ぎ足して朝食のきのこを焼いていた。目が合うとおはよう、といって「さすがにきのこ飽きたよね」と笑った。


 セラは焚き火を囲んで正面に腰かけて話すべきことを考えていた。本当はもっと自由の精神であれば良いのだけれど、いつも理屈を追い過ぎる。たくさん難しいことを考えて、こう口にした。


「ごめん」


 他に言葉が見つからなかった。トニヤはちょっと考えた様子だったが、にこっと笑むとううん、と首を振った。


「ごめんね、セラも困ってるんだよね。たくさん考えてるんだよね」

「そうじゃない、大好きだって教えてくれて嬉しいんだ」


 気取るのはもうよそう。大切な人の前では素直でいたいと思った。


「うん」


 トニヤは嬉しそうに返事をして、炙り焼きしたきのこの串を手渡してくれた。二人で黙って食みながらこれからの旅のことを考えていた。


「帰るって選択肢もあるけれど」


 そう口にするとトニヤは大きな瞳をくりりとさせてこちらを見た。


「セラは何が気になっているの」


 その言葉に種々の思いが駆け巡った。旅をしてこれまで出会った人々の笑顔が浮かんだ。


「皆が心豊かに暮らせるってどういうことなんだろう。場所があればいいのかな。大事なのは人、それとも環境だろうか」

「うーん、よく分かんないけど」


「ごめん、口にしながら少しずつ考えているんだ」

「そうだよね。分からないことは口にした方がいいんだって母さんもよくいってる」


 そうして二人、ときどき独りでお喋りしている母のことを思い出して笑った。

 和やかな時間は過ぎて、セラは焚き火を消すと立ち上がった。


「ごめん、トニヤ。やっぱり極地まで行きたい」

「うん、いいよ」


 そう返事すると荷物をまとめて腰の汚れを払った。


「世界を知りたい、それだけなんだ」


 遥か空を見つめる。世界は知るにはあまりに大きすぎる。それでも知らねば己の人生さえも受け入れられないような気がしていた。

 トニヤは頷いてくれた、気の済むまで一緒にいるよといって。




 白い滝しぶきを被りながら中央の滝の裏側へ入る。イリディグアの滝の中で一番長い風光明美な滝だ。薄鈍色の一枚岩を彫り込んだ、人がやっと二人通れるくらいの隧道は落水の跳ね返りで水浸しだった。ピシャピシャと水音を鳴らしながら、削られた道を小さな光の差す前方へと歩いて行く。粗い岩肌には冷気が張りつめていた。白く消えゆく吐息が間もなく訪れる極地の気配を知らせていた。


 言葉もなく二人歩いて、隧道を抜けるとようやく光を見る。その圧巻の大空に思わず息を飲んだ。


 薄暗い明け空に極彩色のオーロラが何重にもかかり、赤と蒼と緑のグラデーションを作りながらカーテンのように棚引いている。同じ大地に在りながら、見知らぬ異世界へ招かれたと錯覚を覚えるほどの幻想的世界が広がっていた。


「すごいね」


 二人で空を仰いでしばらく見つめていた。


「光が散乱してるんだ」

「うん」


 口にしながら自身でも知識は経験に及ばないと悟った。見たことあるとないとではその価値が全く違うのだ。それほどの威圧だった。

 とうとう極地にたどり着こうとしているのだ。二人言葉もなく指先を繋ぎ、ぐっと力を込めて決意した。


「行こう」


 目前には広大な枯れ枝の森がどこまでも広がっていて、切り開かれた道が細く、遠くの湖畔まで続いていた。

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