第62話 もしもの未来
「何故王は死ぬのだ」
セラは問いかけた。寿命を与えられなかった精霊王がこの世を去ろうとしている。何故そのようなことが起こるのか理解しかねたのだ。
「孤独という死病に冒されたからだ」
孤独、という寂しさが言葉が胸を突く。遥か北の地に生き続ける彼の苦境を思った。
「一人生き続けることに疲弊したのだよ、その怠惰を神に見透かされたのだ。死を追い求める一時的感情に負け、拍動を止めたわたしは、もう永遠の王ではない」
精霊王の身が枯れ葉のように老いてバラバラに砕けた。息が止まりそうなほどの消失感に声も上げられなかった。
やがて足元に映し出されていた虚像が吹き去り、気が付くと精霊王が滝壺で精立っていた。滝の轟音が聞こえている。彼は元のままだった。
「今は生きながらえているが、もうじきその時は訪れる。枯れた命は二度と戻らぬ」
セラは手を振り払った。
「何故その責務を負わせようとする。愛されていなかったオレに子という立場を押しつける」
感情のままに話すなど好まれたことではないが、それほどに憤りを感じていた。
「お前がわたしの息子だからだ」
深く釘を刺すような言葉に何もいえなくなった。
「オレは……」
「伝えるべきは伝えた。北の地で待っている」
精霊王はそういい残すと霧散していく。まるでかき集められた光が弾けるような神々しい散り際に声を叩きつけた。
「待て。オレの話は終わってはいない、まだ」
「セラ!」
「っ放せ」
「セラ!」
大きな声に呼び止められて体を後ろから何者かにがっしり抱きこまれたが、それでもと力いっぱい幻影を追いかける。
「ふざけるな! オレは」
感情のまま叫んだ声が滝壺に消える。力いっぱい追いかけようとするのに体が後ろに引きとめられる。
「セラッ!」
ひと際その大きな声に正気を取り戻した。
気が付くと滝壺に半身を突っ込んで全身はずぶ濡れになり、正面の滝に向かって叫んでいるだけだった。先程の幻想は跡かたもない。
トニヤが体を抱きとめてセラの背で呼吸を荒げている。
「どうしたのセラ、誰かと話してた?」
トニヤは冷静に話してくれているのに、涙声で縋りつくように感じられた。凍えるような水が心を浸していく。そうか。寂しいのはオレの方か、と視線を落として唇を噛んだ。
轟く滝の音が悲しみの感情を打つ。北の地で精霊王は待っているといった。行く義理などないのに、どうしようもなくその言葉が心内から消えなかった。
まだ夜も明けないが、焚き火をして服を乾かしながら宵闇でトニヤと二人で話し合った。
自身が精霊王の息子であるという紛うことなき真実、継がなければ精霊の力が大地から消失するという現実を。トニヤは肌を擦りながら懸命に聞いてくれていたと思う。
一連の流れを聞き終えたトニヤは屈託のない声色でこういった。
「ごめんね、さっきのちょっと怖かったんだ」
「え?」
「セラ、誰と話してるんだろうって。怒ってるの、まるで知らない人のような気がしたんだ」
言葉もなかった。猛る自身はまるで冷静さの欠片もなかった。感情を剥き出して何に怒りを抱いていたのか。
「アイツはオレに跡を継げといったんだ。そういう理不尽ないだろう」
「跡を継ぐってどうなるのかな。戴冠式でもするってこと」
ああ、と笑む。トニヤの素直な疑問はこちらをも安心させるのだなとやり場のなかった心が落ち着いた気がした。
「良く分からないけれど、北の地で王として暮らせってことかな」
精霊王の話には理解し得ない部分もあって、身に迫る話としてとらえるには抽象的過ぎた。
「ボクさ、思うんだけどさ。選択しない未来があっても良いんじゃないかな」
「えっ」
思ってもみない提案だった。
「セラが精霊王の跡を継がないと星が滅ぶって本当かな。ボクは精霊がいない未来があっても良いんじゃないかと思ってるんだ」
精霊がいない世界、思っても見ない発想だった。
「精霊がいなくなるんだぞ」
「そうだよ。それでいいんだ」
いい、……のだろうか。自身でもさすがに良く分からなかった。
「これね、いうべきか迷ったんだけど。命の森はね、もう木がたくさん枯れてるんだ。セラが大好きだった泉の水は濁ってる。アボットさんは精霊が去ったからだっていってたけれど」
即座に枯れゆく森の景色が脳裏を掠めた。
「でも、みんな諦めたりはしないんだ。ダナの新芽を植えて森を再生しようとしている。時間をかけてまた良い森が育つよ。精霊の力無しでも森は育っていくんだ」
セラは言葉を失った。トニヤが口にしているのは希望的観測であって、真実ではない。現実に森は枯れているのだ。人々は努力すれば森は蘇ると信じている。でも、努力でどうにもならないことはある。
「精霊の力無しで森はまた活力を取り戻すというのか」
「大事なのって信じることじゃない」
「……分からない」
そういって視線を下げる。泣きたい気持ちだった。
「ボクが信じてるのに、セラがそんな泣きごといってると……」
「分からないっていってるだろ」
鬱陶しげにトニヤの続く言葉を遮った。自分の犯してしまった大きすぎる罪につぶされそうだった。
トニヤは少し考えた様子だったが、吐息すると手を広げて微笑んだ。
「大丈夫、森でなくても暮らしていけるよ」
「そんな安直なことじゃないだろう。森だけじゃない、世界に関わるすべての」
精霊が、と事実を羅列しようとしたら、トニヤに遮られた。
「セラはセラ自身のことを考えれば良いんじゃないかな」
「そういうことじゃないだろう。精霊がいなくなるんだぞ」
「それはセラに見えているからだよ。当たり前だから消失感があるんだ」
「トニヤにはないのか」
「ない」
「あのさ、この世における精霊の恩恵ってのはもっと大事なもので……」
当たり前の理論を口にしようとした時、苛立ちの籠った大きな声で遮られた。
「いい加減にしてよ!」
被っていた布団を打ちつけるように剥いでトニヤは怒りを露わにした。
「セラにいて欲しいんだよ! 大好きだってどうして分からないの」
これまで抱え込んでいた鬱憤が爆発したように鼓膜を貫く。トニヤの瞳が焚き火で琥珀色に輝いている。こんな彼の強さは見たことがなかった。
「王様になってどうするつもり? 一人極地で生きていくの。母さんは、ボクは?」
「トニヤ……」
「ボク、セラがどうしたいのか全然分からないよ。自分でも分かってないんでしょう」
「仕方ないだろう、だってオレは」
「だって、だってってそればっか。いい訳やめてよ!」
自身が冷静であろうとすればするほど、冷たい人間になっていくような気がしていた。トニヤは感情を向けてくれてのだ。ならば自身も共に生きることに積極的であらねばならないのに。
「オレは」
それ以上言葉に出来ず、黙りこんだ。
「もういい、ボク寝る」
トニヤはそう乱暴にいい捨てると薄布を被り寝入ってしまった。
セラは宵闇で焚き火を見つめながらずっと、世界のことを考えていた。
精霊のいなくなった星の行く末はどうなるのか。
星は歩みを止めるのか、森のように死んでしまうのか。精霊が減っているとは本当だろうか。見渡しても周囲に姿はないが、様子伺いに隠れているだけじゃないだろうか。
――精霊のいない未来があっても良いんじゃないかと思ってるんだ。
トニヤの言葉が脳裏に蘇った。本当にそうだろうか、世界はそうなんだろうか。そんな風に思えてしまうのはきっとトニヤに精霊が見えないからであって……
そこまで考えて思考を薙ぎ払う。
オレはここまで探しに来てくれた弟に何を要求してるんだ。大好きだっていってくれただろう。その愛が分からないのか。
見上げた夜空にもう月はない。星が姿を消して、すべての命が間もなく静かに目覚め始める。
迷いはあるが、夜明けとともに北へ。このまま帰ってもいいんじゃないだろうかと少しは考えている。だが、戸惑いを抱えたまま故郷へは帰れまい。
探求というのはしぶといもので、じっくり考え抜けば大抵の答えは見つかる。だがもし探しても見つからない答えはどう見つければいいのだ。吐息すると静かに瞳を閉じた。
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