第56話 虹の加護

 セラは身支度を終え、周囲のものに礼を述べると城を出た。短い滞在だったが、一生分の学びを得た気がする。理解ある者に出会えたおかげだ。


 顔を上げて夕焼け空を見た。この頃、俯いてばかりだったから久しぶりの眺望のような気がする。燃え立つような空に優美な虹が駆けていた。昼見るものより、その輝きは遥かに力強い。


 この虹が見えている限りこの国は安泰だ。それは美しく賢い精霊イーリスの力。国を支え、王を支える。ここが彼女にとっての在るべき場所なのだろう。

大地に生きるすべての生命は在るべきところを求めて彷徨う。今まさにこの国を旅立とうとしている自らのように。


 歩いて虹の下をくぐり抜けるとようやくこの国と結びついた糸が切れるような気がした。名残惜しく後ろを振り返ると町にはたくさん精霊がいて、帰っていく子らを静かに見送っていた。おやすみ、さようなら、また明日遊ぼうね。そんな声が聞こえてくるような気がした。


 これから人々は家という大きな縁の中で人生の温かな時間を過ごす。温かい食卓を囲み、家族で会話して、一日の労をねぎらう。皆が普通の幸せでいい。人生の喜びはそういう時間の中にこそ隠されているのだと思えた。


 美しき国ウェストフラムよ、さようなら。ここは幸せの国だった。

 虹に背を向けて再び歩き出す。自身は最後の人生の解を求めてまた旅に出る。


 すべてが晴れやかとはならないだろうが、きっとこれからの旅路は違った意味のものになる。そして、虹の加護というものが本当にあるならば、こんな自身でも助けてくれるに違いない。


 伸びた影を踏んだとき、それが突如セラの背に真っ直ぐ飛び込んできた。反動で体が大きく揺れる。力強い感触だった。


「セラ!」


 聞きなれたあどけない声。肩を抱きしめた手から命の熱が伝わる。知っている。この声を知っている。驚きのあまり胸が止まりそうだった。信じられず、目を見開く。背中越しにもう一度名を呼ばれた。


「セラ、会いたかった」


 指先でそっと愛しい腕に触れて振り返った。


「トニヤ!」


 セラは信じられず驚いて声を上げた。夕陽に映えるオレンジの髪の毛の少年が、森にいるはずの弟が、今まさに目の前にいる。

 背が大きく伸びて、日に焼けて、少し大人びた気がした。


「会いに来たんだ」


 トニヤの声が胸の奥に浸透していく。一番寂しかった心の大事な根幹を抱きしめるような温もりある言葉だった。トニヤはセラの両の手を握ると目をもう一度しっかり見てこういった。


「セラに会いに来たんだ」


 何度も繰り返されてきた弟の決意がセラの心へ深く刻まれていく。


「一緒に帰ろう」


 トニヤは夕陽を浴びながら微笑んでいた。セラはその感触を確かめるように柔らかく手を握り返した。ああ、これが虹の用意していた奇跡かもしれないな、柄に無くそう思った。

 セラは虹の下で存在を確かめるように最愛の弟とひしと抱き合った。

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