9章 イリディグアの滝
第57話 地図を広げて
ウェストフラムから二人旅になった。隣を向けば最愛の弟がいて、巡る深緑の景色を楽しそうに眺めている。背が伸びても大人びても彼は無邪気、ほぼ同じ高さで視線が合うと目配せして二人で笑い合う。幼き日々の温もりが少し戻ってきたような気がした。
勇んだ羽音がして目を向けると、近くの梢から雛が下手くそに飛び立った。尻切れトンボのような姿で親を追いかけている。トニヤがそれを指さして笑う。自然体なその姿に、ああ、こんな風に旅を楽しめばいいのかと気付かされた。
木々は深いが林道は平坦でよく手入れされていた。生え燻っている小草はほとんどない。高い常緑樹に阻まれて育たないというのもあるだろうが、根なども丁寧に取り除かれているので定期的に国が見ているのだろう。王妃がここもまだウェストフラムだといっていたので、しばらく歩きよい道が続く。
王妃によればイリディグアの滝までは四日ほどかかる。ある程度の食料は購入したが、足りない分は採って補うしかない。狩りをする道具がないので道中きのこを摘んでいるが、季節でないのか木の実は一つもなかった。
「これは食べられるよね」
トニヤがきのこを千切り、袋に入れる。二人ともあまり詳しくはないが、森の生活である程度の可食なものは知っている。危険なものには手を出さず、知識にある安全なものだけを摘み取る。
「そんなに食べるのか」
きのこは袋いっぱい。呆れたように問いかけると育ち盛りのトニヤはこれでも足りないよと笑った。
ウェストフラムで再会した二人は近場の宿屋に一日滞在して、話すべきことを時間も忘れ話し合った。セラの森での最後の夜に何があったのか。体に出来たモノの正体、自身の出自を知ってこれからどこに向かおうとしているのか。
トニヤはにわかには信じ難いような話を手を組んで考えながら静かに聞いてくれた。噛み砕かず、具に述べたつもりだったがトニヤはそれでも理解しているようだった。そんな様子を見ているともう自分が知っている小さなトニヤはいないのだな、とそんなことを思った。
トニヤはセラの話を聞き終えると組んだ指の上に顎を置き、こういった。
「で、セラはそれを知ってどうしたいの」
セラは思わず、虚を突かれ言葉が継げなかった。
ヴーアに会って自分の正体を知ってそれで自分はどうしたい。ヴーアと共に暮らしたいのか、仲間を求めているのか。
「分からない」
セラにはそうとしかいえなかった。
答えを導けない自分を少し情けなくも思ったし、弟に見せるべき姿で無いとも思った。けれども、迷っているのは事実だった。本当に分からないのだ。
するとトニヤは質問を止めてこういった。
「ボクがセラを連れ戻しに来たんだということだけは理解してね」
冷え切った心を温める温かい言葉だった。
トニヤは旅を続けるセラについて来てくれるといった。気の済むまで一緒にいるよ、と笑って。自分の我儘に巻き込むことはためらわれたが、それでもトニヤは何もいわず共にゆく道を選んでくれた。
セラは歩きながら手持ちの地図を広げる。ムルティカに寄港した際に購入した地図だが、それを見るとイリディグアの滝はドムドーラ大陸の最北部にある。ウェストフラムからはほとんど真北で、道なりだから迷うことはない。目的はその先、滝の裏にある道を通って北限に達すると湖がある。そこから極地へと渡ればいよいよブーアの元へたどり着く。
「セラはさあ」
「何?」
溜めるような口ぶりに横を見るとトニヤが手に平たいきのこを持っていた。命の森でもよく採れた汁物にすれば美味いきのこだ。
「一人で生きてきたって時々思っているでしょう」
唐突な問いかけに心を刺されたようで息を飲んだが、この場で偽っていても仕方が無いと脱力して吐息した。
「時々ね」
そう相槌を打つと地図を丁寧に畳んだ。
「悪いと思ってるよ。でも辛かった」
今までその言葉さえ吐けなかったのだ。格段な進歩だろう。トニヤはそれに「うん」と返事するとでもね、と継いだ。
「一生一人きりの人なんていないんだよ」
そうだな、と思う。重みのある言葉だった。どんなに孤独と感じてもどこかで思ってくれている人がいて、こんな場所まで追いかけてくれる人がいる。ありふれた言葉のような気もするけれど、今のセラにはそれが一番有難かった。
「ごめん」
「いいよ」
トニヤは何でもないことのようにいった。
「ねえ、ところで精霊ってこの場所にもいるの」
トニヤは気がそぞろに森の奥を見つめている。果てしなく続いて来た林道のそのまだ先を見つめているのだ。セラは手を広げて視線を巡らせた。
「いるよ、たくさん。だってここは精霊の国だろ」
たくさんの精霊が森の木々に見え隠れして、こちらの様子をうかがっている。この地の精霊は特に容姿が美しく、悪意は全く感じないが、殊、人が珍しいのかこちらと少し距離を置いている。
「皆、不思議がっているんだよ。人があまり来ない土地だろう」
「ふうん、そういうの。よく分からないよ」
トニヤはそういって地図貸してと手を伸ばした。セラは地図を渡すと横顔を見て微笑む。
分からないけれど傍にいてくれる、理解してくれる。励ましてくれる。幼き頃からずっと変わらない、小さな手を繋いだあの日から。
それがトニヤなんだなと思うとつい懐かしい気持ちになったのだ。
ようやく林道の果てに滝が見えた。最後のエンビが暮れ始めた空を飛んで見送ってくれた。彼もまた幸せの地へと帰ってゆく。
さらなる先へゆけ、そう鳴いているような気がした。二人は拳を打ちあわせると歩を進めた。
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