第52話 王女の問いかけ
旅を終えたセラはウェストフラムに身を置くこと決めた。
一週間、まどろみの中にいて宿屋の窓辺から町の景色をぼうっと眺めていたが、ふと昼下がりに町中でボールを追いかける子供たちを見てこの国にしようと決意した。それがどうしたといわれても説明出来る理由ではないが、子供たちの元気に走り回る姿に不思議と自身の晴れやかな未来を想像出来たのだ。
城を訪れてその決断を伝えるとイーリスは反論もせずに頷いてくれた。
「良いのですよ。あなたの人生でしょう。幸せの在りかを決めるのはあなた自身なのですから」
優しさが胸を突く。どうしてこの御仁は愛ある言葉を囁けるのだろう。詰まっていた心が安らぐ心地になった。
「ご助言を頂いておりながら申し訳ありません」
そういって頭を下げようとすると隣の王がううんっと咳払いした。
「セラ、あまり謝らないでくれたまえ」
セラはふっと笑ってそうですね、と相槌を打つ。王妃はそういう己を蔑むことを嫌うのだろう。王はその返事に微笑んだ。
「この国で生活するならば職がいるだろう」
セラはそう問いかけられて考える。
「職業ならば探してみます。読み書きも出来ますし、労働は得意でありませんが働きます」
「もし、あなたさえ良ければ城で働いてみませんか?」
「ここで……」
思ってもみない申し出だった。城でなどと大それた想像はしたことがない。大した能力はないのだと伝えると王妃は笑った。
「読み書き出来るといったでしょう。娘の家庭教師をしてみませんか」
「王女様の?」
「勉強ばかり教えなくていいのですよ。あなたがこの国にやってきたまでの冒険の話をしてあげてはくれませんか」
家庭教師なのに勉強を教えなくてもいい。おまけにこの逃れるような旅路を冒険などと表現されては心がこそばゆくなる。
「他人様に教えるほどの立派な知識は持ち合わせてないのです」
「あなたは利発でしょう」
穏やかな顔で核心をつくようなことをいわれたので笑ってしまう。一刻考えたが。
「利発などでありませんが、ではお言葉に甘えたく思います」
「そう、良かった」
王妃は手のひらを打ちあわせて喜ぶと傍仕えを呼んだ。
「早急にあなたのお部屋を用意させます。心行くまで過ごされるといいわ」
セラは王と王妃に礼を述べると、用意された自室へと案内された。
セラに用意されたのは城の外れの広くもない、狭くもない一室だった。使用人の扱いではないのだろう。講師として招かれた。窓辺から城下が望める清潔な部屋だった。
外は陽が傾きかけている。勉強は今日から始める必要はないだろうとベッドに横たわった。上布団は柔らかい。質の良い羽毛だ。これから来る冬に向けてやや厚めのものが用意されている。
「城に住み込むことになるとは思わなかったな」
一人呟いた。まだ夢の中にいるような心地だ。頭が困惑している。自分自身の恵まれ過ぎた境遇が良い意味でも悪い意味でも信じられなかった。
真白い天井を見上げたが、もうジュナの木は這っていなかった。馬鹿なことを、とふと思う。
(知っているだろう、ここはすでに森じゃないんだ)
ずいぶん変わってしまった景色に吐息した。もう森を出てから二年以上経過しているのだ。十七歳になった自身は森でいえば立派な成人だ。そっと瞳を閉じる。
(森はセラを忘れただろうか)
とりとめのない不安も、感じてきた不幸も今この場においては気にならなかった。これから新しい日々が始まる。新しい日々にはまっさらな心で望まねばならないだろう。抱えてきたすべてを手放す決意した時、おもむろにドアがノックされた。
「はい」
返事をすると扉がゆっくり開かれた。そこには自分と同じ生を背負った緑の瞳の少女が立っていた。少女はひざ丈までの淡い水色のエプロンドレスを綺麗に着こなしている。
「王女様、どうなさいました」
セラは起き上がって王女の元へ歩いた。今はあまり会話したいような気分ではなかったが仕方ない。王女は扉口に立ち止まりドアを掴むと、小さな薄桃の唇をそっと開いた。
「……森はセラを忘れたの?」
かけられた言葉に頭の中が真っ白になった。すべての淡い決意を振り払うような問いかけだった。言葉を失い、呆然とする。
「あの……」
口は動いても声が出ない。どういうことだと思考ばかりが駆け巡る。何も返せず立ちすくんでいると王女は部屋の前から走って立ち去った。
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