第51話 狩猟祭の記憶

 セラは謁見を終えると城の近くの宿屋へ泊った。案内された二階の一室の清潔なベッドに無造作に横たわる。


 漂泊する視線を彷徨わせて目に入ったのは大きな柱だ。剥き出しの小洒落た素木の梁もある。ぼんやりとそれらを眺めて力強さに安堵すると脱力するように目を閉じた。


 来た時は本を買いたいだとか、町並みを見て回ろうとか色々と企んでいたけれど今はもう何もする気にもなれなかった。


(自分と同じ人たちがいる)


 そう思うだけで鉛を飲んだように気持ちが重たくなった。


 小さな頃から自分は誰なんだろうとずっと疑問に思ってきた。家族や森の人に見えないものが自身だけには見ることが出来た。精霊が見えることが嫌で心を閉ざしそうになったこともあった。部屋に籠り、本で紛らわして、真実から自身を遠ざけて。


 それでも精霊はセラに寄り添い理解した。人との諍いで心を傷めたときにこそ、優しくぬぐうように。心の傷口に細指で触れて、ささくれた感情を魔法のようになめすのだ。「可哀想なセラ、落ち込まないで」と。


 いつしか、家族以外の人間よりも彼らと過ごしている方が当たり前になっていった。

 最早、彼らなしにセラの人生は語れない。自身の生は精霊と共にあるといっても過言でないだろう。


 ふと、ならば自身を産んだ母の生はどうだったのだろうと考える。やっぱり自身と同じであったのかと。

 彼女が人間か精霊であるか、それすらももう知ることは出来ないのだ。


 精霊であるならば、とても儚く大きな存在だったに違いない。人間であるならば心清らかな人であったに違いない。そうした願望ばかりが頭を渦巻く。


 母は自身を愛していたのか、育ててくれた両親以上に愛してくれていたのか。望まれた子だったのか。もしそうならば育ててほしかった。教えてほしかった。寄り添って欲しかった。混迷するときにこそ導いて欲しかった。


 自分は人でない。その事実が心を締めつける。人でないものの一生はどうなるのだろう。セラは答えのない疑問を抱き、ベッドで体を丸めるとすっと眠りに落ちた。




 眠っている間に懐かしい記憶を思い出していた。

 最初で最後の狩猟祭の記憶だ。


 森では十三歳を迎えると狩猟祭に参加して、その儀式を終えると森の狩猟者として認められる。使うのは弓矢一つ。


 狩猟祭の始まりと共に多くの獲物が森へと放たれた。獲物が森へと散っていく。セラは多くの子供たちと共に獲物を追い、森の奥へと分け入った。

 森の中で耳を澄まし、逃げ惑う命を探す。探さなければ森の一員になれない。そんな焦りばかりが増してゆく。


 林道を外れようやく獲物を見つけた。人々が使わなくなった古い泉で猪が水を飲んでいる。茂みで息を殺して猪を睨みつける。弓をスッと引き搾り狙いを定めて力いっぱい引く。矢を放そうとした時、美しい男の精霊が遮った。


「殺してはいけない!」


 矢は精霊の体を抜けて猪の命を貫いた。


 セラは大人になれた。こんなに喜ばしいことはないと周囲は湧き立っている。でも、心に残るのは背徳感だった。セラは命ある猪を殺した。


 多くの子供たちが笑顔で獲物を掲げる中、セラは一人猪の死を悲しんだ。あからさまに泣いたり、抱きしめたりなど出来なかったが心は深く沈んでいた。


 獲った獲物はその晩の食卓に並ぶのが習わし。獲物の命を頂戴しながら狩猟者としての門出を祝う。だが、セラは猪を食べることはせず、森の片隅に猪の墓を作った。その様子を見ていた長老が嘆き悲しむセラに近づいてそっと告げた。


「何も悲しむ必要はない、お前は森の子ではないのだから仕方無い。大きくなれば母の墓標とともに森を出てゆきなさい」


 それが狩猟祭の最後の記憶だ。

 あの日から、長老が、森が、人間が、自身が嫌いになった。




 目覚めると朝で、夕食も摂らずに深く眠っていたことに気付く。

 ドアの外には盆に乗ったささやかな朝食があった。宿の人が持ってきてくれたのだろう。有難い心遣いだ。


 盆を運び込むと小さな机で朝食を摂った。柔らかいパンを噛みしめながら、母シーナの焼いたパンを思い出す。母の焼いたパンは不格好だが噛めば噛むほどうま味が増して口になじんだとても好きな味だった。トニヤなど一気に五つは食べたと思い出して笑えた。


 でも、自身がもう口にすることは無いと思う。


 自分は森に戻れない、戻っても共に暮らせない。また、望んでいる人もいない。帰る意味を見出せず、それは母やトニヤとの別離を意味していた。


 簡素に食事を終え、主人に礼をいうと気晴らしに町へ出かけた。沈む心を誰かに励まして欲しかった。


 映る町並みを見ても今はまだ辛い。すべてが今は辛いのだ。だが心の傷はいずれ癒えていく。穏やかな音楽を聴きながら、美しい季節の花を愛でながら、人々の笑顔を眺めながら。そう期待するほどにこの国は優しかった。


 思えばこれまでいろんな国を経由した。命の森は閉鎖的で、ムルティカの町は信仰心が強く、ステラの町は活気があった。一転この国のすれ違う人は皆温かく寄り添い合う。すべての国民にほとんど貧富の差が無いようにも思える。


 それは王が国民を平等に扱うからだろう。力は無いだろうがとてもいい国だ。争いを好まず、差別あることを好まず、虐げることを好まず。そしてこの国ならば、きっと異邦人のセラをも受け入れてくる。


 自身の正体を知るという作業は残っているのかもしれない。でも、もう疲れた。立ち上がれなくなるほどに極限まで歩いてきたのだ。探究の時間はようやく過ぎたのだ。


 セラの旅はここで終わりを告げた。


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