第34話 スタックリドリーの研究
スタックリドリーは精霊の見えない普通の人間だった。あれほどに優れた精霊学の厚い本を著した人物なのであるいは、という期待があったが確認するとそうじゃないとあっさり否定をされた。
なら、どうしてあのように緻密な本を記すことが出来たのか。その答えは彼の人生にあった。彼は若い時から世界各地を巡る旅をして、大地に結びつく精霊の研究を重ね、見える人々の体験を具に聞いて回り、その知識を一冊の本に束ねた。
もう、十年以上前の話だという。
世界を流れるように旅した彼がステラに身を置くようになったのはステラが精霊の加護を信じる町だからだ。旅の途中で逗留して感動のあまり町を離れられなくなったのだという。
セラはそれを聞いて不思議に思った。世界各地に精霊の加護を信じる町など数多で、しかも実際に加護を受けている都市も微かに存在する。どうして彼がひと際この町に運命的なものを感じたのだろう。
それは人々の精霊への接し方が寄るところが大きいとスタックリドリーは語った。彼の家へと来る途中セラは家々の前に置かれた小さな枡を見かけ不思議に思っていた。枡の中には色とりどりの淡い砂糖菓子が山盛り。実はそれは精霊のためのものだという。
町に住む精霊が人目を盗んで砂糖菓子を一つ二つと摘まんでいく。知らない間に砂糖菓子は減り、それを見た人々は精霊が自分の家へとやってきたのだと喜ぶ。この町の人々には精霊が見えない。でも、その存在を信じ大切にしている。
世界には精霊を祀る国が多いが、そういうのは彼の理想から程遠いという。精霊はどこか親近感があり、時にいたずらを好み、また時には人々をそっと助ける。古くから精霊が人々の生活に密接に関わってきた文化がこの町では残っている。だから、好きなんだと話した。
もうひとつ町に住むことを決めた理由があって、それは占いだという。
逗留中、彼はこの町で占いをした。この町の占いが当たるというのは兼ねてからの評判で、元々それにささやかな興味を持って町にやってきたらしい。彼を最初に占ったのは老齢の占い師だった。占い師は星盤というこの町独特の占い道具をじっくり眺めた後でいった。
「精霊について学びたければ、この町で暮らすといい」
学者である身分を明かしていなかったのでそれはそれは驚いたという。興味を持ったスタックリドリーは日ごとに人を変えては翌日の出来事を占って周り、次の日そのどれもが当たる。占いが当たるという町の噂は本当だった。
セラはその話を聞いても精霊との関連性を掴めなかったが、スタックリドリーにいわせるとそれは案外重要なことらしい。
精霊のあふれる地、すなわち『経脈』では不思議と占いが当たったり幸運に恵まれたり、往々にしてそういうことがある。この町には間違いなく経脈が流れていると確信する出来ごとだったそうだ。
幼いころからいつか精霊のいる町で暮らしたいと夢見ていた永遠の少年は瞳を煌めかせ、ステラに住むことを決意した。以後、この町で精霊のことを学びながら精霊学の本を執筆し続けているという。
彼の身上を聞き終えた後、セラはすこし考えてから心を決めて、上着を脱いで胸にのたうつ文様を見せた。
彼は一瞬驚いたような顔を見せ、「これはすごい」と呟いた。
「精霊に飲まれたときに出来たものです」
スタックリドリーは科学者の目で真剣に語り始めた。
「精霊が人を飲む。一部で聞いたことがある。だが、助かった人間がいるというのは信じがたいな」
そういって「触っていいかい」と尋ねるとそっと文様に触れた。
「遺恨という言葉は聞いたことがあるかい」
「先生の本で知りました」
「なるほど。それでボクを訪ねたのかな」
セラは静かに頷く。
「遺恨というのは精霊に深くかかわった時に出来る、というのが一般的だ。精霊を殺したり、その精神を阻害するようなことをしたりすれば出来るそうだが」
そういって近くにあった本を手に取り捲った。
「これは北のトルーという谷間の少数民族の村で見た物だ」
本に細かく描写された極太のシミのような文様はセラの胸の文様と少し似ていた。
「この民族はこれが人々に出来るより半年前、谷を覆っていた原生林を焼き払った」
「精霊が住んでいたのですね」
「この文様が出来た後、暫くしてこの民族は皆死に絶えた。年寄り、女、子供、すべて例外なく。人は時に知らずして精霊の逆鱗に触れることがある。見えないのは仕方ないけれど、昔からそこにあるものにはそれなりに意味があるのだよ」
セラは頷く。
「精霊の宿った木を焼き払いました」
するとスタックリドリーが目を丸くした。
「オレには精霊が見えます。直接話し、関わることが出来ます」
そうしてセラは自身の力、旅をするきっかけとなった出来事、身に起きた事の顛末を順を追って語った。
「不思議な白い光……」
話を聞き終えたスタックリドリーは考え込むように口元に手を当てた。
「人知の及ばない現象はボクにも分からない。光る遺恨など聞いたことがないな」
そういってまじまじと胸の文様を見つめた。
「遺恨と言うものは普通禍々しい。黒くまるで呪いのようにどんよりと広がっていく。だがいわれて見るとキミの物はよく見るとすっきりしている。もしかすると違う種類のものではないだろうか」
「違う種類のもの」
「これはボクの仮説だがキミは精霊に飲まれた時、何らかの契約をしたとは考えられないだろうか。エルダーの木というのは実に執念深い木だ。キミがいずれ死んで大地に埋まった時に契約した体から芽が伸びてエルダーの木が再び生えるのかもしれない。エルダーの木の目撃例も多くは無いけれど、古い文献にはある。少し調べてみよう」
そうして、スタックリドリーは二年に渡る長い調査を始めた。調査を始めた時、彼自身もまさかこれほどに長い時間を賭すことになるとは想像していなかっただろう。
ただ、彼は懇切丁寧に調べてくれた。時にはセラに熱心に問うたり、様々な文献を読み漁り知識をより深めたり。学者というのはそういう人種なのかもしれないが彼はその典型である気がした。
その間セラは彼に師事し、彼の知る限りの精霊についての知識を学ぼうと勉めた。
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