第35話 精霊学

 セラの学びは文献を読むことから始まった。幸い師の住居には長年かけて集めた膨大な数の書がある。


 本好きのセラだが、世の中にこれほど精霊に関する書物が出版されているとは知らなかった。これまで自身が読んだ精霊学に関する本は森の絵本数冊と船舶にあった紀行が二冊、本格的なものに及んではスタックリドリーの『精霊学』一冊だけだった。森の司書である父がこれらのものを目にしなかったとは考えにくい。おそらく息子のセラを思っての選り好みだったのだろう。


 とにかくその知らない知識を叩き込むだけで膨大な時間を費やした。

 だが、脳髄を刺激する楽しい作業でもあった。自身の悲劇の身の上などほとんど忘れ純粋な学問として楽しんだ。


 一冊一冊丁寧に読み終えるたびに、部屋の片隅の本棚へと片付けて、一年も経つとすっきり部屋が綺麗になった。本の下から現れた赤い絨毯がシミだらけで汚れていたので勝手に業者に発注して青い物に張り替えたし、立てつけの悪かったドアは職人を呼んで修理させた。


 セラはすっかりと綺麗になった部屋でロッキングチェアに座ると先日リドリーが持ち帰った論文の写しを読んだ。南半球の古参の学者がしたためた論文だったが、経脈についての見識が書かれていた。



――この世の理、万物の流れの中に存在する精霊の元。その流れを総じて経脈というが、経脈は精霊のみならず人の中にも流れていて、いずれこの世の生き物は死すると自然に返り、そこに溜まった命の残骸の集合の中から精霊が生まれる。精霊は自らのエネルギーを注いで自然を育て、その自然を食することにより動物の中にも経脈が流れる。動物は死ぬと死骸となってまた精霊の一部となる。動植物と精霊は常に流転して、この世界はその交互通行を繰り返しながら続いていく……



 師は昨日、この文献を間違っていると激しく怒鳴りつけたあと屑かごに捨てた。それをセラが今朝拾ったのだ。


 ただ、読んでみるとやっぱり怒鳴りつけただけあって師の考える経脈と本質がまるで違う。セラにどっちが正論かは正直判断できない。ただ、やっぱり師を師事している以上これは信ずるべきではないだろうな、と思いながらこれも一つ意見、と呟いて屑かごに捨てた。


 セラは読む物が無くなってしまったので、本屋へ行くことにした。


 中通りに出て石畳のなだらかな坂道の途中に目的の本屋があるが、本屋に寄らずにずっと上がっていくと天文台があり、そこに年少の子供たちが通う学校が併設されている。師はそこで週四日、精霊学を教えている。


 幼い子供たちが精霊学を学ぶということに初め驚いた。学問として学ぶにはかなり難しい分野で、教える側も手腕を問われるからだ。


 どんな教え方をしているかと興味があり見学したこともあるのだが、実に懇切丁寧に柔らかく精霊についての基礎を教えていた。精霊について学ぶ子供たちの笑顔は幸せに満ち、やはりここは精霊の住まう町ステラなのだ、と意識させられた。


 セラは本屋に入るとまず正面に据えられた目線より高い本棚を上部から眺めまわした。新刊は大抵ここに並ぶ。先日来た時にはなかった本が数冊並んでいた。『ヨードルの嘆き』、『浮雲の城』、『トスカの論理』、それらを手に取るとすべて購入した。椅子に座り本ばかり読んでいる年老いた店主は釣銭を渡し微かに笑う。


「あんた一日何冊読む気だい」

「お互い様ですよ」


 セラは笑い返すと本屋を後にした。


 本は正直高い。二日食えるほどの値段だ。一冊一冊職人が手をかけ模写しているため、とてつもない人件費がかかるのだ。セラがそれをどうやって賄っているのか。

 セラは占いをしている。


 この町の占い師は星盤と呼ばれる透明なガラス盤を用いて、反射した星の輝度を測り占うのが一般的だ。星の力が強い場所ならではの方法だと思う。星の力が強いのはこの場所が経脈の真上にあるからだというのは何となく過ごすうちに理解した。


 正確にいうとこの地の上空を訪れた時だけ星自身の瞬きが増すという訳でなく、この町の空には経脈の力が吹きあげていてそれを通して見ることにより、輝度が増して見える。と、師がいつだか語っていた。


 ただ、セラは星盤なんてものは持っていない。星盤は占星術を教える学校で一通り学んだあと、初めて所有を許可されるもので、その理由は占星術について学んだ者でないと迂闊に人々の人生に危険を及ぼす可能性があるからだそうだ。占いごときに人生が左右されるなんて、ともセラは思うがそれくらいこの町の占いに対する信頼度は高い。


 進路、恋愛、家具の配置、人生相談、読み方を間違えなければかなりの確率で当たる。人生の大事な局面ともなるとそれに頼り切り、決断するものも少なくない。


 人々が占いをするのは決まって夜。星が見えないと話にならないからだ。したがってこの町の夜は非常に活気づく。




 セラは三冊の本を抱えたまま、占い師の多く集う精霊区へと足を踏み入れた。

 自然が多く残る精霊区はひと際経脈の力が強く、占いが良く当たる。経脈が強いということに関してはほとんどの人々知らないだろうが、とにかく当たるというのは事実なので、それが人伝に広まり、毎晩競うように多くの占い師が出店している。


 セラはいつもの木陰に寝転び、途中昼休憩を挟みながら夜まで時間をつぶす。木陰を好むのはたぶん森の子だからだと思う。背後に木を抱えるとどうにも安心する自分がいる。


 本を読んでいると人懐こい彼らが耳をくすぐった。


「セラ、占いやらないの」

「夜やるよ」

「今やりたい」

「後でな」

「ねえ、やろうよ」


 セラを取り囲んでいた星の人たちがわらわらとセラの周りに群れた。


 読書どころではなくなったのでセラはパンッと本を閉じると立ち上がった。占いをこの時間やれば非常に目立つ。セラのからくりに気付く人もいるかもしれない。


 だが、自分のもの稼ぎを手伝ってくれている星の人の機嫌を損ねる訳にもいかなかった。だから、セラはにっこりと笑った。


「よっし、じゃあオレを占ってくれ」


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