4章 海路
第19話 船舶の上で
世界には六つの大陸がある。命の森があるのは南端のドムドーラ、その遥か北方に東西に広がる大陸がノーザンピーク、そしてそれを繋ぐ世界有数の海洋がティエリア海。ティエリア海には長大な海流が東西を横切るように三本流れ、湾岸の短い海流も含めると全部で十二本。大型の回遊魚はそれらに乗って世界を巡っている。豊かな漁獲の恩恵にあずかる漁師も多く、恵みの海と称されるゆえんだ。
セラはそのティエリア海の南東を進む船舶にいる。
乗ってからすでにひと月が過ぎようとしていた。起伏のないまっ平らな水平面と空の境界に幾度となく現れる小島、始めは見えるたびに新しい大陸が見えてきたのではないかと心を躍らせたけれどもこの頃はそんな景色に飽きてしまい見るのも止めた。
時折、大小の渡り鳥が甲板に留まり餌を探していく。動物好きの陽気な船の男たちは酒の摘みの木の実を甲板に巻いて鳥たちへと分け与えた。彼らは木の実を懸命に拾い、満足するとまた空へと飛び立っていった。
昨日は曇り、今日は晴れ、でも明日は雷雨だってあり得る。海の天候は変わりやすいということをこの航海で学んだ。そして天候の良い日は今日のように人が甲板にたくさんいる。ボードゲームに興じたり、にぎやかに音楽を奏で皆で踊ったり、昼間から安物のワインを飲んだり。けれど、そのどれにも混ざる気に慣れず、日中のセラは甲板の一番高いところに腰かけて本ばかり読んでいる。
「そんな本が面白いかい」
セラは顔をあげて隣に立った人物を見上げた。船長が手すりにもたれ、セラをじっと見ていた。
「面白くはないけど読みやすい」
セラは視線を落として再び文字を追う。今読んでいるのは『サリスの旅情』という本だ。サリスという女性が故郷を捨て世界に出て、各地を巡り先々で魅惑的な男たちと行きずりの不倫をする。非常に濃密な情愛を描いた、艶めかしい筆致の……まあ要するに官能本だ。
森にいた時は官能本など読んだことがなかったので、どんなものだろうと思って興味本位で読み始めたが思いのほか詰まらなかった。サリスは根なし草のように恋の空気に浮かれ、すぐに惚れて、すぐに飽きる。そして新しい土地で魅惑的な男を見つけてはまた心酔する。
疼かないかと問われればそれはまた別の問題だが、物語としては破綻しているところが多々あったし、支離滅裂なセリフを口にするヒロインなのでそれを読んでいると世の中の女性は皆こうなのか、と呆れ返ったりもした。ただ、評価すべき点もあってそれは旅の本だけあってこの世界のことがふんだんに書かれているということだ。
「オレもサリスのように旅をしたい」
「不倫に出かけるのか」
「違いますよ」
思わず笑いがこぼれた。
森にいた頃、書庫で読んだ本の中にも世界のことを書いた本は多々あった。もしかしたら森の子供たちに世界のことを知ってほしいという博識な父の願望だったのかもしれない。セラ自身は冒険心にあふれたタイプではないので読んで外にあこがれを持つことはなかったけれど、丹念に読むことで世界への造形は深めた。
セラは読み終わりぱたりと本を閉じた。
「あまり好きな本じゃなかったな」
「そうかい」
呆れるような船長の笑い声に笑みながら立ち上がると船室へと向かった。
船室に備え付けられた本棚にサリスの旅情を返す。本棚にあるのは、ほとんどが本好きの副船長の私物だ。世界を回り各地で手に入れてきた物だと聞いた。副船長は全部読んでしまったため、今手に取る人はほとんどいないらしい。
「ああ、セラ。もう読み終わったのか。あまり面白くなかっただろう」
副船長が用事で船室に戻って来て声をかけた。いきなり面白くないと来たので笑ってしまう。それなら読み始める前に教えてほしかった。
「人生の反面教師にはなりました」
副船長が違いないと頷く。
「文章も問題だ。何というか、ストーリーに起伏がないよな。のっぺりとストーリーが続いている印象だ」
そんな読み方はしなかったけれど、それはおそらく人生経験の差かもしれない。もしくは感性の違いだ。まあ、本好きな副船長がそういっているのならばそれも一つの意見だろう。
「全部取っておいてるから面白いんだろうって勘違いしちゃうんですよ」
「人生の思い出だからつまらなくても捨てられないんだ」
それはあるだろうなとセラは思う。
「『大地を生きる』は読んだか? あれは中々良かった。筆者の筆力と意気込みを感じたな。気が向くと読むといい」
副船長はそういうと用事を済ませて甲板へと戻って行った。セラは大地を生きるを探すと再び甲板へと戻った。
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