第18話 副船長の話
翌日の昼、副船長がオミールの自宅に本を持ってきた。あれほど酔っていても覚えていてくれたのかとセラは感心した。
セラは副船長を部屋に招き、冷たい茶を出した。副船長は美味しそうに茶を啜り、「ああ、頭が痛い」といって帽子を机に置いた後、「本を読めばわかることだが」といい置いて穏やかに語り始めた。
「精霊というものは万物の蓄積から生まれる。自然の命だったり人々の命や恨みだったり、その根源は多種多様で、その結果この世には色んな種類の精霊がいるそうだ。一般に善意から生まれた精霊の性格は穏やかで大人しい。
だが、悪意から生まれた精霊は人に害を及ぼすこともある。オレは以前、荒れる海で一度だけ海の精霊に会ったことがある。船を飲み込むほどの激しい高波を起こし、結果ベテランの船員が二人死んだ。おそらくあの精霊は海で死んだ人間の魂から生まれた邪精に違いない。以後、海に出る時はいつでも怖くなる。波影に精霊の姿が見えやしないかとドキリとするんだ」
「昨日、遺恨と仰いましたけれど」
「そうだったな。遺恨。まあ、恨みつらみのことだな。スタックリドリーという学者によると悪しき精霊の中には関わった人間に遺恨を残すものがいる。そうしたことが出来るのはとても力を持った精霊らしい。精霊の遺恨は非常に強力で、受けた人間を死ぬまで苦しめるという。キミの胸の傷は見たところ本で紹介されていた文様と少し似ている。全く一緒とはいわないけれど、近いのではないだろうか」
副船長はそういって日焼けた極太の指で本をぱらぱらとめくった。出てきたのは丁寧な手書きの挿し絵で、それはセラの胸にある物と少し似ていた。
「遺恨を受けた人間は死ぬのですか。長く生きられないのですか」
「さあ、どのように苦しいかは書かれていなかった気がするが」
副船長はさわさわと口ひげを撫でる。
「この文様が出来てからも苦しいことは特に有りませんでした。自身でも全く変化に気付いていなかった位です。もしこれが遺恨ならその呪いを解く方法はあるのですか」
「遺恨を解く。さて。わたしは大して精霊に詳しくないから分からんけれども著者なら知識はあるかもしれんな」
「著者?」
「スタックリドリーだよ。この本はステラという占い師の町で直接本人から買ったものなんだ」
セラは目を見開いた。
「少し変わり者だが穏やかな優男で、けれど精霊についてはさすがに詳しかった。聞けばきっと知識を授けてくれるだろう」
「ステラという町はどこにあるんですか」
「ノーザンピークの山沿いにある。もし行きたいなら運賃を払えば連れて行くことも出来るが」
「運賃」
さあっと高揚していた気持ちが冷めた。今この場に手持ちの金など一銭もない。
困惑していると「あるよ」と声がして、振り向くとオミールが立っていた。
「この子がふた月働いて貯めた金がある。それで乗せてやってくれないか」
「オミールさん」
オミールは箪笥を開けると小袋を取り出した。それをセラに手渡す。重たい金の感触がした。十分すぎる量である気がした。
「お行き。わたしは精霊の事情何て知りやしないけど、それは命を蝕むものなんだろう。だったら何とかしないと」
そういって肩を叩かれた。さっきまでの話はしっかり聞かれていたらしい。
「よし、決まりだ。キミをノーザンピークまで乗せよう」
「でも」
オミールを見た。自分がいなくなれば寂しくなるというようなおこがましいことは思っていないが、それでもあの広い店を切り盛りするのは大変だろう。拾ってもらった恩もまだ返せていない。気にしてうかがうと副船長は快活に笑った。
「この人はそういう人なんだよ。困っている子供を見つけては店で働かせて自立のための手伝いをする。彼女の元を離れ立派にやっている人間はたくさんいるんだ」
するとオミールははにかんで腕を組んだ。
「あんたと暮らせて楽しかったよ。戻ってきたら旅の話を聞かせておくれ」
頼もしい笑顔に、やり場のない照れくささが込み上げる。無事帰って来るのを待ってるよ、そう彼女は笑っているのだ。
そうしてセラは一週間後、ティエリア海を巡る船舶に乗り込み、北の大陸ノーザンピークを目指すこととなった。
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