第14話 旅立ち

 長老が死んだのは初秋のことだった。死ぬ直前、長老は床から身を起こし、天に引っ張られるように手を伸ばして、わたしは悪くないわたしは悪くないと繰り返したという。


 彼女に子は無く、森ではすぐに後継者争いが起こった。


 五人ほどが手を上げた中で一番有力だったのはニールという三十歳の青年だ。彼は森を立て直すことを皆に強く主張した。木を植え、森林を管理し再び精霊の住まう森に戻す。始めは尻込みしていた人々も次第に同調して、話し合いの結果、彼を主導者に据えて早速木を植え始めることになった。


 人々は久々に気概にあふれていた。フィボットを皮切りとする木こりの助言で、枯れかけた木々は撤去し、その場所に育ちやすいダナの木の新芽をたくさん植えた。


 森の再生には果てしない時間がかかる。自分たちの代では終わらない大業かもしれない。

 皆、心の中にそれぞれの不安はあったと思うが、それをひた隠しにし、心を一丸にして森の再生に取り組んだ。


 ある日、トニヤは森にたたずむフィボットを見つけた。その顔は浮かない。トニヤはそっと近寄り「どうしたの?」と問いかけた。


「木が育っていない」

「だってこんなに元気じゃない」


 そういうと、フィボットは首を振ってナイフを取り出した。人の背丈ほどに育ったダナの小枝の先端を切り、断面をトニヤに見せた。断面は薄白く枯れていた。


「やはり精霊がいないと無理なのかもしれん」


 諦めの混ざったような声だった。


「みんな本当に居なくなってしまったのかな」


 目頭が熱くなり震える声を隠せなかった。懸命にやってきたことが無下になった瞬間でもあった。


「分からない。何せ我々には精霊の姿が見えないからな」


 トニヤは悲しい気持ちを精一杯堪えるように手をグッと握り締めた。


「セラがいたら、セラがいたら何か分かるのかな」

「ずっと永遠の命なんてない。枯れてしまったら別な場所に移ればいいさ」


 フィボットはトニヤの肩を優しく叩くと、集落へと戻っていった。




 トニヤは大樹の焼け跡でぼんやり考え事をしていた。

 煤けた土は大樹が激しく燃えた証、あの時立ち上る火は家からでも見ることが出来た。


 生臭いにおいは一週間以上消えず、人々の心に苦い記憶となって残った。セラが火を放った理由。森を離れた理由。自分や母に何も相談しなかった理由。考えても答えは出てこなかった。


 日に日に募るのは懐かしさだ。大好きだったセラの記憶があふれて止まらない。声が聞きたくて、もう一度微笑んで欲しくて、一緒に緑の森を歩きたくて堪らなかった。書庫に行っても部屋をのぞいてもセラはもういない。ツウっと涙がこぼれてきた。こぼれた涙は大樹の焼け跡へと沈みこむ。


 集落に戻ろう、ここは長居する場所ではない。


 その場を離れようとした時、強い風が吹いた。南から北へと抜けていく季節風だ。女の声が風に乗って力強く響いた。


「北へ向かいなさい」


 トニヤは驚きのあまり天を振り仰いだ。即座に精霊の声に違いないと思った。でも、探してもそこに精霊の姿は無かった。




「セラに会いに行く」


 トニヤは帰宅するなり母に駆け寄った。母は驚いて皿を落とすところだった。


「会いに行くって。居場所は分かっているの」

「北だよ。精霊が北にいるって教えてくれたんだ」

「精霊が見えたの?」

「ううん、見えなかった」


 不可解な口振りに母は眉根をひそめた。


「でも母さんまた三人で暮らしたいでしょ。そういってたじゃない」


 母はそうだけど、といって黙ってしまった。トニヤは母の両手を握り、真剣な眼差しを送った。


「セラを連れて帰るよ」

「トニヤ、気持ちは分かる。お母さんも出来るなら一緒に暮らしたい。でももう、この森にセラの居場所は無いわ」

「だったら新しい居場所を見つけよう。皆一緒ならどこでも生きていけるよ」


 母は視線を下げて、そうね、と呟いた。


「でもセラは会いに来て欲しくないかもしれないわ」

「ボクは会いたい。だってたった一人の兄さんなんだもの」


 トニヤは力強く心を込めて懇願するようにいった。母は黙って考え込んでしまった。

 だが、永遠のように感じられる沈黙の後、母は深く頷いた。


「分かった」


 トニヤは驚きのあまり目を丸くした。


「いいの?」


 あまりのあっさりとした許可に気抜けした。許してもらえないのなら一人出ていこうとさえ思っていたのだから。


「でも条件があるわ」

「条件?」

「二人で帰ってくるのよ」


 トニヤは瞬きした。


「貴方たちは二人とも大切な息子なのよ」


 母はそういってにっこり笑うとトニヤを抱きしめた。トニヤは温かい母の胸でそっと瞳を閉じた。



       ◇



 森の住民たちが冬支度を始めた頃、トニヤは母シーナと唯一事情を告げたフィボットに見送られ集落を出た。春になってからでも、とシーナは心配したが、早く会いに行きたいとトニヤが懇願したため意見を尊重した。


 他の人々はトニヤの旅立ちを知らない。それほどに、住民たちはこの親子に無関心だった。


「よく行かせる気になったな」


 小さくなっていくトニヤの後ろ姿を見送りながら、シーナの隣に立ったフィボットが呟いた。


「この森に居ても今は辛いだけだから」


 シーナの顔に曇りは無かった。


「生きるということは楽しくもあり時に辛い。だが、いつでも前を向いていて欲しいと思うのは親の性かも知れんな。もっともわたしに子はないけれど」


 シーナは笑って頷くと後ろを心配そうに振り向いたトニヤに手を振った。

 トニヤが戻ってきた時、森はもうないかもしれない。でも、生きようと足掻くことは出来る。力を合わせ、困難を乗り越えていくこと。森に生きる人々にはそれしか出来ない。


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