第7話 宵闇の惑い
夜、眠れずベッドの上で幼子のように童話を握りしめていた。
小さい頃はよく気に入りの物語と寝たものだが、今はそういう心境でない。
頭に渦巻くのは憎悪の思考だ。
この森に生ける植物も動物も精霊もそして人間も、取り巻くすべての命が憎くて堪らなかった。いったい誰が父の孤独を理解したというのだろう。さぞ恐ろしかっただろう、さぞ無念であったろう。反逆者として吊るし上げられるように死んでいった父を思うと焼けつくような気持ちになった。
父は死の恐怖に侵されながらも森の未来のことを考えていた、自らの境遇を嘆きながらも家族の幸せを願っていた、そして何よりエルダーの存在と強いられてきた慣習を憎んでいた。だからこそ警告の意味を含めてセラとトニヤの兄弟へ一遍の童話を残したのだ。
表紙に触れるとざらついた感情が残る。
大人たちの遠ざけた奥にはエルダーマザーがいて大樹――エルダーの木がある。そう思うだけでおぞましさが増す。父はエルダーの木を切り倒そうという提案をした。未来を生きる子供たちの為に。それが長老の勘気をこうむり、供物に選ばれたのだ。
木がそこに存在する以上、毎年誰かがその身を奉げなければならないという負の連鎖が続く。終古の死という楔が森に残るのだ。
ゆえにあの木だけはここにあってはいけない。崇めていてはいけないのだ。
(森で生きるとはそういうことでしょう)
誰かが心のひずみに言葉を残していく。
窓辺の月光を見つめた。宵に静かにたたずむ感情は森を恐れていた。
忘れ去ろうとしても恐怖をぬぐえず、害したい感情があふれ、いても立ってもいられなくなり。セラはそっと起き出すと納屋のナタと松明をたずさえて一人、家を出た。
深夜の集落には人がおらず、素直に抜けられた。
月影をまといながら更けた森を歩く。いつもは聞こえてくるフクロウの鳴き声が聞こえない。眠っているのではなく、森が覆い隠しているのだ。
昼間とまるで様相が違い、夜の回廊は邪念に満ちていた。
鬱蒼とした樹林の奥では闇が生き物のようにうごめいている。正体を歪曲させながら、セラを飲み込もうと大きくのたうつ。天を覆う木立は真黒く、ざわざわと異音を奏でている。
大蛇の腹を進んでいるような粘り気のある感覚が肌から離れない。
視界には昼間に見ぬ精霊の姿があった。木立の影からわらわらと膨れ上がるように見え隠れし、影に触れるものをならずの底へと誘い込もうとしている。
これが命の森か。
命の森が命の森と呼ばれるたった一つの理由に気づき、セラは唇をかみしめた。
森の学び舎では教師に、豊かな森で生命力にあふれているからだと教えられ、愚かにもそれを信じていた。でも真実はそうじゃない。人の命を吸い上げることによって大樹がその生命力を維持しているからだ。
供物の役割は森を生かすこと。
何百年も受け継がれてきた命と遺恨の歴史がこの森にはある。
後悔しても遅いが、少なくとも宿り木は最初に選ばなくてはいけなかったのだ。
「セラ」
心を侵す声がした。父の声だ。昨日聞いたものより低くておどろおどろしい。父の声にたくさんの声が混じっている。たくさんいる。数えることが出来ないほどたくさんいる。
「セラ、セラ、セラ」
輪廻の奥から喚起するような叫びが聞こえてくる。
松明を持つ手に自然と力が入り、引き返したくなるのを堪え必死で足を運んだ。
長い回廊をようやく抜けると、ひっそりとした大樹の根元の入り口にたどり着いた。静かな夜の落ち着きを取り戻し、回廊で見た異形の気配はない。
今度は見張り番が一人で、彼もまたセラの姿を認めると表情を険しくした。
「お前何時だと思ってるんだ。こんな場所に」
そういいかけて言葉を失う。セラは空を切りナタを突きつけた。
「これは木を害するためのものです。でも、通していただけないのなら、あなたにも容赦はしない」
決して脅しではなかった。それだけの感情がある。
セラの真っ直ぐな決意をおそれて、見張りはあからさまな動揺を見せた。
「木を手にかけるだと。何を馬鹿なことを」
諫言を断ち切るようにナタを振るった。刃先が見張りの鼻先をかすめる。すっと切れ、血が伝い、見張り番は言葉を失った。セラの固い眼差しを見て後ずさりして道を開けた。
「お前は木を見たことがないからそんなことがいえるんだ。木の魔力には誰も逆らえない」
逆らえないという感覚は褒められたものではないと反感を覚えた。ナタを下げ、吐き捨てるようにいった。
「逆らったことなんてなかったんだろ」
見張り番に一瞥をくれるとエルダーの木の根元へと向かった。
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