第8話 エルダーの木
エルダーの木は森のどこにいても梢がはっきり見えるほど背高い。そのことから相当に大きいものであると予想はしていたし、長老の記憶でもそれは承知していた。
けれど間近で見ると畏怖を覚えるほどの巨木で、拙い想像を遥かに超える立派なものだった。
枝葉をみるに種類はジュナだろうが、問題はそのでかさ。幹の外周は森の子供たちが手を渡して繋いでも足りるかどうか。
木肌は苔生して古く、空を覆うように茂る青漆の葉に松明を輝かすといっそう不気味に映えた。
まるで意思を秘めた恐ろしき魔獣のように黙している。千年の命とは有り体でない。泉で見た長老の記憶よりもよりいっそう大きくなっている気がした。
額をすべる汗は暑さからくるものではなかった。たぶんおそろしいのだ。生まれて初めて出会った恐怖に戸惑っている。気持ちで負けてはいけないと思うけれど、もうその気持ちすらも負けそうになっている。父を呼ぶことさえも躊躇われて、声が絞り出せない。
神妙な顔で見上げていると木のくぼみがうごめいて一瞬顔に見えた。気のせいと思ったが、じっと見つめているとだんだんとデコボコが波打って人の輪郭が浮き上がる。
誰の顔であるか判別はつかないが人間の目と鼻と口、それだけは推察出来た。
「セラ」
「父さん」
懐かしさに思いが駆けた。
「セラ、やっと会えた」
セラは声を詰まらせて流れ落ちそうな涙を堪えた。ああ、これこそ愛しかった父だ。
求めるあまり幹に触れようと手を伸ばした時、叱責する声がした。
「触れてはいけない」
セラは目を見開く。これも父の声だった。やっと会えたという口で今度は拒絶しようとする。セラは眩暈がする想いがした。また訳が分からなくなった。
「お前は黙っていろ」
一つと思っていた父の声が二重に割れて、だんだん乖離していく。幹を見つめ続けると始めの顔の横にもう一人の男の顔が浮き上がってきた。端正な面影がある。ああ、これこそが間違いなく父だ。安堵に松明を下ろしそうになると木が声を上げた。
「セラ。今すぐみんなの所へ帰りなさい。この木に近付いてはいけない」
いつも自分を諭してくれた正しき声には少しの温かさと大きな緊張が混じっている。こちらを牽制しているようだ。何事とセラは縋るように話しかけた。
「父さんが呼んだんだろ。それでオレは」
心は愛しさでいっぱいだった。
「セラ、近づきなさい。そっとわたしに歩み寄りなさい」
始めの顔がそっと囁く。乖離した男の声は父よりもずっと低かった。まるで誘うように媚を売っている。その違和感がセラを遠ざけた。
「どうしたセラ、父さんに会いたかったんだろう」
内臓を抉り出すような声はすでに凡夫のもので無かった。
「違う、お前は父さんじゃない」
にわかに怖くなり、手を引いた。急に懐かしい気持ちが覚めて、恐ろしさが舞い戻る。
これ以上近づくべきではない。木の邪念に巻きこまれてしまう。
後ずさりしてエルダーの木から離れようとした時、幹が幻夢のように横に大きく広がって、セラはそのまま木の意識に包み込まれた。
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